イラク戦争 「無形化実況中継」  2003年4月20日報告

参照
20030323報告
2003年3月26日報告
2003年4月2日報告
2003年4月10日報告

 無形化時間で4日目に入った。すでに第一戦略目標を陥落させて第二戦略目標へ前進する段階に移行しているが、ここにおいて米国はようやくこの戦線の最初の障害に遭遇しつつあるようである。
 というよりそもそも米国がイラクをどうやってまとめるつもりなのかという、その今後の戦略のルートが何も見えてこないというのが気になる。「日本占領をモデルとする」と宣言されているが、それは冗談としか思えない。

 事前の予想では、もともとこの国は民族という主題でも宗教という主題でもまとめることはできないので、思い切って国土の実質的な分割を行ない(ただし軍事面だけは米軍が掌握し続けるので名目上は統一は保たれる)、そして南部のシーア派地域を支配の中核とする、ただしそれがイランと連携することがないよう、イランに対する牽制を行ない続ける、という方策で行くのだろうと思っていた。
 しかしこの方策の泣き所は、そのシーア派というものがもともと原理主義的傾向が強く、米国文化に対する敵対心が強いという特性を抱えこんでいることである。
 つまり中東の民主化という観点からすると最初から矛盾を来す理屈で、そのため本気でそれをやるつもりなら、そのための周到な文化的プログラムが不可欠だったはずなのだが、どうもそういうものを用意している気配がどこにもない。一体米国は何を考えているのか?

 というより、戦後構想がここまでお粗末だということがもし事前にわかっていたとした場合、フセインとしてはむしろ最初から無駄な戦闘は一切避けてさっさと国外に避難して、一旦は米軍を無抵抗のバグダッドに入城させ、米側のイラク統治が破綻するのをじっくり待って、フセインなしでは治まらないという状況が生じてからイラクに帰る、という戦略が唯一有効な方策だったろう。
 実際、チャラビなどという人物が政権首班の候補に上がっているということ一つをとっても、米側の戦後構想は正気を疑いなくなるような代物で、この状況下では国際社会(無論核大国を含む)にしても、リストアップされた人材を見てその貧弱さに戦慄を覚え、万一に備えてフセインをどこかに温存しておこうと考えたのではあるまいかとの想像も、そうナンセンスとは言い切れなくなってくる。

 もっともそうは言っても、将来においてフセインがイラクにどうやって帰るかという問題のハードルは高く、即座にこの可能性に飛びつくわけにはいかないが、それでも少なくとも最初からフセインがそうするつもりだったのだと考えると、これまでの展開において辻褄が合う部分がいろいろと多いことも、また否めないのである。


第二次大戦との比較にみる東部戦線の時間的位置付け
 さて次の年表は、本当ならもっと表面的な戦闘がクライマックスにある時に紹介する予定だったのだが、とにかくこれは準四次大戦全体の構図を、前回と同様、時間を1/10にして第二次大戦と比較したものである。この年表が最初に書かれたのは5年前だたったが、それ以後そのまま続けて実際の事件を書き足している。(なおこの対比年表は、前回のものとは異なり、上下を合わせる基準点はポーランド電撃戦と湾岸戦争の日付に置かれている。)


       表2

 現在そろそろ世界中でも、ブッシュ大統領の顔写真にちょびヒゲを描き足してヒトラーになぞらえる、ということが流行しつつあるようだが、もともとこれを第二次大戦と比較しようということの理由はむしろ次の点にあった。
 それは歴史において、西欧諸国の一国が大陸に覇を唱えて世界統合を図ろうとし、それを勢力均衡側が阻止しようとする際には、その経過はどこか似たパターンをたどることが多かったということである。
 そもそも他ならぬ第二次大戦自体、その経過はナポレオン戦争のそれと奇妙に似ており、中にはその再現とまで評する人もあるほどであり、それゆえもし今回の準四次大戦の本質が、やはり世界統合側と勢力均衡側の戦いになるとすれば、このジンクスが再現される可能性はやはり高いのではあるまいかというわけである。

 さてこれを見ると、今回の中東侵攻は「バルバロッサ作戦」に比べて6か月ほど早い時期に繰上がっている。まあ何もそれが一致せねばならない理由は別にどこにもないのだが、それでも無理矢理その理由を見つけようと思えばできないことはない。
 それは、第二次大戦において西方電撃戦に引き続いて発生した「バトル・オブ・ブリテン」すなわち英本土航空決戦に相当するものが、準四次大戦ではその時起こる必要がなかったので、それが抜けた分、年表も繰り上げになってしまったという解釈である。

 「バトル・オブ・ブリテン」は一応は航空決戦ではあったが、実はその本質はドーバー海峡の制海権を巡る戦いであり、そしてその制海権の鍵を握っていたのがたまたま陸上基地の航空機だったから、航空決戦という形をとったに過ぎない。
 そして準四次大戦の場合、とにかく情報制空権にせよ知的制海権にせよ、それらを共に米国が握っていたため、少なくともこの時点では最初からその争奪戦が発生する余地がなかったわけである。

 しかしそれでも戦争の主題がこのようなものである限り、制海権を巡る戦いはどこかで必ず発生し、それが決定的な鍵となるはずである。(ちなみにナポレオン戦争の場合、それに相当していたのはトラファルガー海戦だった。)
 そこで一つの予想として次のようなものが成り立つ。すなわち準四次大戦ではその知的制海権を巡る戦いは順序が変わって少し後にこれから発生するのであり、しかも今回はパターンとしては航空戦というより、むしろ潜水艦戦に近い格好でそれが行なわれることになるのではあるまいかという予想である。(そして希望的観測としては、そこにおいてこそ、日本が真の役割を発揮するということであってほしいものである。)

 ともあれこの年表を念頭に置くと、とりあえず2003年末までに米側が「第二戦略目標」に本当に達成できるかが、まずは当面の関心事ということになろう。