さてとりあえず米側は、この作戦全体の「第一戦略目標」に到達したと言って良いだろう。(あえて単なる「第一戦略目標」としたのは、当初からこのイラク戦争自体がもっと大きな出来事の単なる序章に過ぎないとの見方をとっているからである。)
思えば湾岸戦争以来、フセインの行動パターンとしては、最初の相手の第一撃は故意に避けてやられっぱなしになる一方で、虎の子の予備戦力はしっかり手放さず温存して、相手がもう勝ったと思ったあたりでそれを慎重に繰り出し、しぶとく生き延びるということを十八番にしてきた。
しかし今回ばかりは、そのパターンさえ通じなかったようである。正直言って大体あと1か月程度はかかるというのが大方の見解だったと思われ、それはこちらも例外ではなかったのだが、その予想も上回るほどに米国の力は強大化していたということなのかもしれない。
事実世界中でテレビを見ていた人々の中には、その力はすでに人類にとって危険なものなのではないかとの恐怖を抱いた人も多かったのではあるまいかと思われる。
バルバロッサ作戦の経過との比較
さてそんなわけで、この年表ももっと早めに紹介しておくべきだったのかもしれず、いささか出し遅れの感があるが、しかしむしろ今なればこそ、逆にその真の価値はかえって増大している言えるかもしれない。
それというのも、米国のいわゆる「ネオコン」は、イラクは単なる始まりに過ぎず、最終的な目的は、中東全体の民主化あるいは米国の衛星国化であると、現実に半ば公言している。だとすれば、今やイラク戦争後の大きなビジョンを追うことの重要性の方が、むしろ増してしまったからである。
次の表は、無形化戦略の基本法則にしたがって現在のイラク戦争の時間経過を1/10に圧縮し、それを「バルバロッサ作戦」の経過と比較したものである。(無論ここでは開戦の日時を基準に上下を合わせてある。なおこの対応年表自体は昨年の6月ごろの時点ですでに構想されていたが、3月の開戦の時点で基準日時が1月半ずれる形に修正された。)
表1
まあこれは一種の占いのようなもので、何も今後の情勢がこのような年表で経過するなどと主張するものではない。(そもそも「バルバロッサ作戦」との比較などということ自体、単に年表の上で最も意味の近い事件をもってきたに過ぎない。)
しかしながら現在の事件に関して、その歴史的規模がどの程度のものなのかについて、誰一人確固たる見通しやビジョンをもっていないような場合、とにかく規模だけでも類似した事件と比較してみると、それだけでもビジョンを得やすくなるものである。
仮にたとえ最後にそれを放棄することになるとしても、一種の最初の足場ないし叩き台として、このようなお遊びもどうしてなかなか馬鹿にならないのである。
さてここでは「バルバロッサ作戦」全体は、イラクよりもっと広い中東地域全体を視野に入れたネオコンたちの構想に対応づけられ、このイラク戦争自体はその中の単なる一作戦として扱われる。
そしてこれを見ると、「バルバロッサ作戦」では開戦後1か月あたりまでが、破竹の進撃のいわゆる「国境会戦」の時期である。
これがちょうど規模の点でイラク戦争全体とオーダーが合うと考えられるため、イラク戦争(戦後処理までを含めた)全体を、この年表上では「国境会戦」の部分に対応させるわけである。
そして第二次大戦の場合だと、ドイツは開戦後D+7日で第一戦略目標であるミンスクに到達しているが、今回は早くもD+2日で早くも「第一戦略目標」に到達している。(まあ圧倒的な兵力比を考えれば、それでもよく粘った方だと言えるのかもしれないが。)
そして今後イラクに、一応自分で立っていける政権を樹立し、イラクが「完全に片付いた」時点をもって、「第二戦略目標」への到達だと見積もるのが、作戦規模の点から考えて順当な対応だろう。
作戦の最終目的地はどこか
さてそれならば、中東全体を視野に入れて今回の作戦を「バルバロッサ作戦」に対応させた場合、モスクワに相当する今後の「最終攻略目標」はどこだろうか。
つまりイラク制圧後に米国がどこへ向かうのかを考えた時、一つ予想できることがある。それは、現在の米国の十字軍的態度から予想するならば、次の目標はシリアどころか、どうやらこの作戦全体が最終的には「イスラム文明解体作戦」にまで発展せざるを得ないのではあるまいかということである。
そして今回の場合、前回のモスクワに相当する最終攻略目標はどこかを予想すると、恐らくそれはずばりサウジアラビアである可能性が高い。(ただしそれは無形化した意味においてであり、必ずしも軍事作戦の対象というわけではない。)
写真7
そうであるとするならば、まさに作戦全体の規模が「バルバロッサ作戦」と釣り合うものとなり、一つのそれらしいビジョンにまとめることができるのである。
実はそれはそう無理な予想というわけではない。それというのも現在の米国人たちは、この素晴らしい米国の民主主義を広めるという崇高な行為に反対するというのは、要するにアラブ人たちがイスラムという暗黒の迷信に囚われているからだという、一種の神話の世界に住んでいるように思える。
だとすれば、世界を闇から解放するためにはその迷信から人々を解き放ち、そのためにはその邪教の僧侶の支配を覆さねばならないというのは、ファンタジーの筋書きとしては当然の結末だろう。
だとすれば、その総本山であるサウジアラビアがその焦点となってくるのは一種の必然的な成り行きで、たとえ最初そのつもりがなくとも、現在悪循環のように増えつつある米国の敵を追っていけば、結局は作戦構想は最終的にイスラム文明解体作戦としての色彩を帯びざるを得ず、そしていつの間にやら最終攻略目標もサウジアラビアに行き着かざるを得ないのではあるまいかというわけである。
このように東部戦線の状況も、軍事の時期が山場を過ぎて、西部戦線と同様に無形化した段階に突入しつつあると言える。そんなわけで全般的な状況が、ある意味でこの企画の本領を発揮しやすい局面に入りつつあると言えなくもない。
大体軍事作戦の部分は、最初から一方的な結末に決まっていたので、記述する価値自体が乏しかったが、状況が無形化すればするほど、米側にとって不得手な局面が増えてくることになる。
そしてこのイラク戦争では、当初からほとんどの専門家が一致して、「第一戦略目標」への到達は容易だが、「第二戦略目標」こそ米側にとっての真の困難な戦いになると主張していた。(つまりいわば「泥のシーズン」が到来するというわけである。聞くところによると、前回のうまく行っていたはずのアフガンの統治が、最近では随分怪しくなってきているとのことで、これがどのような形で推移するかは見物である。)
世の中の一般のメディアでは終わりのムードが漂っているが、むしろ真の物語はようやく幕が開いたばかりである。