イラク戦争「無形化実況中継」  2003年3月23日報告

 2003年3月20日、イラクを舞台に、今後の世界史を塗り替えることになるかもしれない戦争が始まった。
 しかし一般に現代の戦争の場合、テレビから流れてくる映像は、時にどこかの広告代理店の手が入ったショーに過ぎないことがあり、またそもそも全般的に見ても、昔の戦争に比べて軍事力それ自体よりも、その背後にある経済やメディアなど、目に見えない無形のパワーの方が主役になっていることが多い。

 つまりむしろその無形パワーの部分を主体に見ていかないと、その真実の姿がなかなか見えてこないのである。そうなってくると、何らかの斬新な手法でそれを目で見える形にして示すことが必要になってくるであろう。

 そこで、その無形化した戦争の全体像を、なるたけリアルタイムに近い形で大胆に「可視化」して、実況中継よろしくお送りするという、ある意味画期的なことをこれから試みてみたい。実際もしうまくいけば、これは歴史的な初の試みとなるかもしれないものである。
(20030323 長沼伸一郎)


   (写真1)

 その前に基本的なことを少し解説しておくと、まずこの可視化には、「仮想地球儀」が用いられており、画像で示されているのもこれである。
 この地球儀では、大陸などの面積は、各国の経済力・人口・原油埋蔵量などの国力に比例するよう定められており、また大陸間相互の距離も、無形化したパワーに対応するよう再計算されて、可能な限り国際関係を反映するよう、位置関係や地形が決められている。

 そしてこの仮想地球儀上で、
・経済力を陸軍力に
・メディアの力を空軍力に
・研究機関の力を海軍力に
それぞれ対応させて、戦争の背後も含めた全体像を立体的に可視化して描き出すわけである。

 つまり例えば仮想地球儀上に航空機あるいは空軍力の存在が示されている場合、それは物理的な軍用機のことではなく、メディアの存在と活動状況を示している。
(なおここでは軍事力そのものはすべて「核戦力」に一括して表現される。それらの対応の理論的根拠は、「無形化世界の力学と戦略」に拠る。)

 実のところ、このように現代世界の無形パワーの激突する戦争を、リアルタイムで可視化してインターネットで中継してみたいというのは、われわれの以前からの一つの夢であった。
 それというのも、戦争でさえ広告代理店に操られている現状を見てもわかるように、今後の世界では歴史がカメラに写らない力に動かされる割合は、ますます強まる傾向にあると考えられる。
 そのため歴史の流れを真に感じ取ろうとすれば、むしろテレビに映る脈絡のない映像を捨て、真の歴史を担っている無形パワーの流れを目で映像として見ることが必要となってくるのである。

 それゆえ将来的には、それをリアルタイムで可視化して実況中継することは、不可欠な流れとして社会的に要求されていくと予想されるのであり、今回その初の試みを、この歴史的戦争を通じてやってみようというわけである。

  
 (写真2)


 ところで背後の無形パワーも含めてこの戦争の全体像を見ようとすると、実は6年前のアジア経済の崩壊をあらためて振り返り、それを同時に視野に入れることが必要となってくる。
 それというのも今回の事件は、構造的に明らかにそれと対になる形で発生しているからであり、双方を同時に視野に入れることで、この大きすぎて捉えどころのない戦争全体を、何やらかつての第二次大戦の欧州戦に似たパターンとして、頭にイメージできるようになるからである。

 さてこのアジア経済の崩壊は、経済世界で起こった見えない大戦争であり、米政府よりもウォール・ストリートが主体となったものだったが、このカメラに写らなかった戦争は、ひとたび可視化してみると、規模・意義・影響のいずれの点でも何ら今回に劣るものではなかったことがわかる。(なお可視化のルールに従って、これは非核戦力のみによる戦争として表現される。)

 これを経済戦争として可視化すると、それは当時「世界唯一の成長センター」と呼ばれていたアジア経済(仮想地球儀上では米国の西方に位置する)の頭上に、ヘッジファンドの巨額の投機資金が巨弾よろしく降り注いで、タイ・韓国・インドネシアなどの経済をたった数か月で一挙に崩壊させてしまったという、史上類を見ない規模の経済的電撃戦という形をとって現われることになる。

 そしてその後それらの国の経済は、IMFの占領統治下に置かれることになった。これによって、それまで米国経済の将来の最大の挑戦者と見なされていた新興アジア経済は粉砕され、結果的に米国は西方からの経済的脅威を早い段階で取り除くことができた。(このあたり、規模や意義の点で、これは第二次大戦における1940年のドイツの西方電撃戦に不思議なほど似通っているのである。)

 しかしそれ以上に決定的だったのは、この時を境にして、米国を打ち負かせる国がどこかに存在するという常識が人々の頭から消滅し、「グローバリズム」という単語が世界の合言葉となったことである。

 つまりこうしてみると、今回の戦争の特徴である「帝国の出現」という現象が、すでに無形化部分ではこのとき実現されており、またこの時の結果が今回の発端にもつながっているため、やはりどうしても対にして論じるべきものであることがあらためて明らかになるのである。


   (写真3)

 そしてその5年8か月後、仮想地球儀上ではちょうど反対側(米国から見れば東方)で、東部戦線が本格的に開戦を迎えた。(以前には9.11とアフガンが東部戦線の開幕ではあるまいかとも思われたが、今にして思えばそれは単なる前哨戦に過ぎなかったようである。)

 そして歴史は現在、「帝国の出現」を目にしつつあると評されているが、前回の西方電撃戦が、無形化された形でその下部構造部分を担っていたとすれば、今回はちょうどそれとは対照的に、通常のテレビカメラにも写る、いわば上部構造部分をなしている。

 そして前回がドイツの西方電撃戦に似ていたとすれば、やはりこちらも同じ第二次大戦の年表上で対応物を探したいという誘惑には抗しがたいものがある。
 そしてそのように対応物を探すとなると、今回はどうしてもそれと対の形で、東部戦線の開幕を告げたドイツの対ソ侵攻作戦、いわゆる「バルバロッサ作戦」を連想せざるを得なくなり、そしてその新しい視点を通して全体像を再構成することを、どうしても試みたくなってくるのである。

 事実、米政府自身が公言するように、今回の戦争の作戦目的はイラクのみで留まるものではなく、中東地域全体を将来の視野に入れたものであることは明らかである。そのためこれを可視化して仮想地球儀上で見た場合、作戦規模の面でも恐らくかつての「バルバロッサ作戦」に劣らない壮大な規模のものになると考えられる。

 そして可視化の場合、前回の西方電撃戦とは異なって、この東部戦線では少なくとも小型の戦術核までは使用されて砂漠に炸裂する映像として可視化されることになり、それはむしろ、世界全体に響く怒号を押し切って強行されたこの戦争にはふさわしいものであると言えるだろう。

 実のところ、今回の戦争を独立した1個の戦争として扱わず、「準四次世界大戦」という大きな戦争の中の、単なる東部戦線の開戦(そしてイラク戦はさらにその中のごく初期の「国境会戦」に過ぎない)として位置づけたのは、全体を総合的に視野に入れた場合、無形化したもっと巨大な戦争の姿が浮かび上がってくると予想されるからである。(なおこの場合、日本人が参加する経済やメディアの無形化された戦いなどは、基本的に「西部戦線」に分類されることになる。)

 それらも含めて、クローズアップ画像などの詳細については、今後順次お送りしていきたい。