理数系武士団の研究‐‐‐竜馬が行く」の面白さは本当はどこにあったのか
last update: 2010/12/14
 
■CONTENTS
  
はじめてこの話をお読みいただく方に・・・「理数系武士団」の話の要約
  第1回・なぜ政界からは「現代の竜馬」が出てこないのか
  第2回・竜馬のファッションは渋谷系か秋葉系か
  番外編・もし今、司馬遼太郎が「竜馬が行く」を書いたなら「大政奉還」をどう説明したか
 
第3回・「竜馬が行く」の面白さは本当はどこにあったのか
 
司馬「竜馬が行く」は理数系武士団を初めて描いた
 さてこれまでの話で、竜馬を竜馬たらしめたものが、実は彼が「理数系武士団・第4タイプ」であったことにあると述べましたが、そう考えると、なぜ司馬遼太郎の「竜馬が行く」が、他の凡百の竜馬評伝に比べてあそこまで突出して面白かったのか、ということの謎が一つ解けてきます。
 つまりずばり言うと、実は「竜馬が行く」は、そのバックの理数系武士団の存在を初めて明確に描いた作品ではなかったかということです。
 そしてちょうど大河の「竜馬伝」が終わったこともあり、両者を比較して総括する意味でも興味深いので、今回はこれについてちょっと見てみましょう。
■ 司馬作品の登場前は竜馬は幕末ヒーローNo1ではなかった?
 ところで今でこそ、誰に聞いても幕末ヒーローNo1は竜馬ですが、何十年か前の大衆歴史小説の世界では(特に司馬「竜馬が行く」の登場以前には)、どうも幕末ヒーローの代名詞としてそのトップに君臨していたのは、意外にも必ずしも竜馬ではなかったようなのです。
 では一体誰が当時その座にいたのかというと、恐らくそれは鞍馬天狗ではなかったかと考えられます。彼は大仏次郎の小説による架空の人物ですが、それにもかかわらずかつては「鞍馬天狗を知らない日本人はいない」というほど人口に膾炙した幕末のヒーローの代名詞でした。
 そして当時の感覚では、どうやら「鞍馬天狗ワールド」の中で竜馬は3番目か4番目ぐらいの脇役の位置づけに過ぎず、むしろ桂小五郎の方が順位は上だったらしいのです。
 それは現在の常識からすればいかにも意外なことですが、しかし良く検討するとそこにはそれなりの理由があったことがわかります。
■ 鞍馬天狗が占めていた絶好のポジション
 それというのも、そもそも大衆娯楽小説の基準からすれば、本来なら鞍馬天狗の方がヒーローとしての好条件を備えていたはずなのです。何故かというと、時代劇の最大の魅力である「刀を振り回すアクション・シーン」の多さという点では、彼が最も有利な立場にいるからです。
 つまり設定によれば、鞍馬天狗は勤皇志士に味方する正義の剣士で、彼が新撰組という悪役集団相手に毎回大立ち回りを演じるというポジションにいるのですから、その気になればアクション・シーンはいくらでも盛り込めます。
 逆にその観点からする限り、竜馬の話というのは刀を抜いた立ち回りのシーンが意外に少なく、映像的には(船に乗っている場面などを除けば)、むしろ地味な政治折衝の話が多いことに気づきます。
 実際に彼が本気で刀を抜いて戦った場面を数えてみると、寺田屋での脱出場面(もっともこれは刀ではなくピストルを威嚇にぶっ放しただけ)と、暗殺された時だけで、よく見ると志士全体の中ではアクション・シーンの数はそう多い方ではありません。
 そのため、そもそも薩長同盟や大政奉還ということの何がそんなに凄いのか、ということがわからないと、竜馬のストーリーは大衆娯楽小説としてはトップに立ちにくい不利を抱えていたのです。
■ 司馬作品が初めて描いた「勝大学」
 しかしその構図に決定的な転機をもたらしたものこそ、やはり何と言っても司馬「竜馬が行く」の登場でした。
 そして司馬「竜馬が行く」の何が革命的だったかというと、それは彼の背後にいる「理数系武士団」の人々に光を当て、彼らと竜馬の関係を通して、それまで理解の難しかった「幕末世界のメカニズム面」を解き明かすということを行ったことです。
 彼らの存在は同書では「勝大学」の名で呼ばれており、海舟を筆頭に他に横井小楠、松平春嶽、大久保一翁の合計4人が教授となって(言うまでもなく全員が理数系武士団の所属です)、竜馬に新しいビジョンを教え込むと同時に、豊富な人脈も提供していく様が生き生きと描写されています。
 つまり彼らがいわば竜馬に翼を与え、それによって彼が飛翔していく様が十分なリアリティをもって描かれていたのですが、その場面は同時に、読者に幕末期の複雑な話を理解させる役割も果たしていたのです。
■ 「司馬革命」で差し込んだ光
 そしてそう思って同書を読み直すと、記述が必ずしも竜馬一人に密着した形になっておらず、海舟などの姿を追った場面が意外なほど多いことに気づきます。巻によっては半分ぐらいが海舟周辺の理数系武士団の世界の描写に充てられていることもあり、これは本当に竜馬の評伝なのかが疑わしくなることさえあるほどです。
 しかしむしろその部分においてこそ、この時代の背後のメカニズムがどんなものだったかが鮮明に描かれ、本来地味で退屈な話だったはずの薩長同盟や大政奉還が、何かひどくキラキラした輝きをもったものに感じられるようになっています。
 つまりそれが放つ光を受けて、竜馬の物語の中で本来なら映像になりにくかった部分が輝きを帯び始め、そのために竜馬はヒーローとして一挙にトップに躍り出ることになったというわけです。
■ 没落してしまった鞍馬天狗
 そしてそうなってくると、今度は逆に鞍馬天狗の話は、如何にもリアリティが不足に見えてきて、まるでB級アクションもののような印象に変わってしまいました。
 つまり極端に言うとこのときに幕末世界では、ヒーローの序列に根本的な変化が生じ、ただ刀を振り回すだけの人間ではヒーローになりにくいという状況になったと言えます。
 実際にひとたびその「司馬革命」によって、竜馬が幕末ヒーローのトップの座につくや、たちまち鞍馬天狗はヒーローNo1から転落してしまい、それどころかトップの地位を明け渡した途端、もはや鞍馬天狗には居場所そのものがなくなってしまいました。
 確かに架空の人物の場合、その人気の寿命はもともと短いものですが、今では鞍馬天狗の話は読む人も稀という有様になってしまい、高校生まで読者年齢を下げると、もはや名前さえ知っているかも怪しいほどです。
 そして鞍馬天狗の没落はもう一つ、別の場所にも予期せぬ結果をもたらします。それは、善玉ヒーローの代名詞だった彼がいなくなると同時に、敵役だった新撰組の方でも、それまで貼られていた「悪役」のレッテルが消えて、その立場から解放されたことです。
 つまりこのときに、新撰組はむしろ一種「滅びの美学」を持った負のヒーローとしての地位を得て、現在につながる人気を確立したと考えられるわけで、これを見ると司馬「竜馬が行く」の登場は、幕末の小説世界全体における構造的な革命だったことがよくわかるのです。
■ 不可欠な狂言回しとしての「第4タイプ」
 一方海舟なども、それ以前はどちらかといえば「咸臨丸の艦長」というのが歴史的な肩書きだったのですが、これを境にむしろ「竜馬の師匠」として記憶されるようになり、それによって以前よりも一歩メジャーな存在となったことは確かです。
 そもそも幕末期に実質的な頭脳となっていたのは、彼をはじめとする理数系武士団「第1タイプ」で、幕末時代のメカニズム面を描き出そうとする場合、どうしても彼らに光を当てねばなりません。しかし日本人読者の好みからすると、やはり彼らの「体温の低さ」は大衆小説向きではなく、それがあの時期の複雑なメカニズムを読者に浸透させる大きな壁となっていたわけです。
 ところがここで「第4タイプ」の竜馬がいわば狂言回しになることで、初めてその物語をメジャーにする道が開かれたわけで、その意味では司馬作品の構造自体が、まさに日本における「第4タイプ」の役割を浮き彫りにしていると言えるでしょう。
■ 「借景」で成り立つ以後の作品
 ともかくこの「司馬革命」によって幕末ものでは、それまで難しくて扱えなかった難しい政治メカニズムの話を大衆小説レベルに持ち込むことが可能となり、そしてそれ以後は、他の作家の作品も司馬「竜馬がゆく」からの一種の「借景」を行うことが可能となりました。
 つまり薩長同盟だの大政奉還だのがどれほど凄いことなのかに関して、そのメカニズム描写は「竜馬がゆく」で説明ずみということにして良くなったため、難しい話は省略して、いきなり「薩長同盟は凄いことぜよ」という台詞からスタートしても、読者がそれを無条件で受け入れてくれるようになったということです。
 そのようにして面倒な部分をまるごと「借景」ですませることができたため、それらの作品は青春ストーリーの部分に全部を集中することが可能となり、その意味では他のほとんどの作品が、その上に成り立っていたといっても過言ではないのかもしれません。
■ 理数系武士団の存在が希薄だった大河「竜馬伝」
 一方その話を踏まえてここで大河「竜馬伝」を振り返ってみると、まさにその点が一つの焦点となっていたように思えるのです。
 どうもあのドラマは終わってみると、最終回の「選挙速報テロップ事件」の印象が強烈で、それに災いされて作品自体も「記憶に残る名作」になり損ねた感がありますが、それ以前からも演出上の問題点を指摘する声はありました。
 これは私の周囲だけの感想なのかもしれませんが、どうも正直な感想を聞いてみると、あのドラマは始まったときには結構斬新で、期待感が大きかった、ところが中盤に入ると、なぜか司馬「竜馬がゆく」にあったようなキラキラした魅力が感じられずに、むしろ何だか土まみれの暗い雰囲気の中で気分が滅入って、そのあたりで見る気力が失せてしまった、という意見が結構あるのです。
 それは一般には映像面での演出のせいだとも考えられていますが、しかしここで上のフィルターと通して眺めると、その理由は別の場所にもあったらしいことに気づきます。
 つまり大河「竜馬伝」の場合、その「借景」をあえて避けようとしたらしく、そのため本当なら竜馬のバックにいて、彼の飛翔のベースとそのリアリティを提供したはずの「理数系武士団」の姿がどうも希薄で、「勝大学」の力も申し訳程度にしか描かれていなかったのです。
■ それは司馬以前の竜馬像に戻っていた?
 まあそれが全ての原因ではないのかもしれませんが、とにかくそのせいかあのドラマでは海援隊の活動にしても、何だか体育界サークルに毛の生えたようなものにしか見えず、その程度のことで本当に世の中が動くのかという違和感が先に立って、彼の飛翔にリアリティがどうしても感じられなかったのです。(これは個人的な印象ですが。)
 ひょっとするとそのあたりが、本来ならこれがNHKの年間の最大の看板番組だったはずなのに、この時期に話題のトップを「ゲゲゲの女房」にもっていかれた理由だったのではないでしょうか。
 逆に言うと、そのように理数系武士団という背景をあまり描かず、また借景もあえて行わなかったことで、大河版の竜馬像は、むしろ司馬「竜馬がゆく」の登場以前の姿に戻っていたと言えるのかもしれません。
 つまり何十年か前、鞍馬天狗に負けていたその時期の、くすんで今ひとつキラキラ感に欠けていた竜馬のイメージは、ひょっとすると今回の大河の竜馬像と一脈通じていた(ただ、現代の大河版の竜馬像では「青春」を過剰に強調した演出で、そこは昔のものとは違っていましたが)のではないかとも考えられるわけです。
 少なくともドラマの構造上、彼のキラキラした魅力を構成するための重要な柱が一本脱落してしまっていたことは確かのようです。
■ むしろ「坂の上の雲」に感じられるキラキラ感
 ところがここで、現在やはりNHKで放映中の「坂の上の雲」を眺めると、むしろこちらの方にそうしたキラキラ感が強く感じられるように思えるのです。
 大体司馬作品では「竜馬がゆく」のように、背後の「理数系武士団」を描くことで、それまで印象の薄かった歴史に新たな魅力を与えるというパターンは他にも多く見られていますが、「坂の上の雲」もその一つなのかもしれません。
 そしてNHKのドラマとしては同時期のオンエアであるにもかかわわらず、こちらの演出は「竜馬伝」とは対照的に、忠実に原作のテイストをそのまま映像化しており、そのためこのパターンの持ち味が強く現われているのではないかと考えられるわけです。
■ 「坂の上の雲」も「竜馬がゆく」と共通した手法だった
 そして「坂の上の雲」の場合には、海軍参謀の秋山真之(ドラマでは本木雅弘さん演じる)が、一応は理数系武士団の代表ということになります。
 多少異論もあるかもしれませんが、とにかくこの稿では「理数系武士団の分類条件」として、海軍全体を(海舟などの流れから)理数系武士団に分類しているので、少なくともその観点からする限りでは、まあそのように分類して差し支えないでしょう。
 実際に司馬遼太郎自身もその面を強調したかったのか、特に海軍に入ってからの秋山真之の人物像は、合理的分析力に優れているが、人間関係への配慮にあまり興味をもたない(その面でちょっと理系らしい欠落したところのある)人間として描き出されています。
 しかし同書を読んだ時の印象では、その情緒の希薄さがむしろ面白く、それに比べると正岡子規の場面はどうも面白くなくて、後者の部分はこの作品のメインではないなあという感じた記憶があります。
 それはともかく、秋山真之はそれまでは戦記マニアにしか知られていない、一種のマイナーなキャラクターで、それを主役に据えて一般読者に語るなど、それまでの常識では考えられなかったことでした。
 つまり「坂の上の雲」も、日露戦争の背後のメカニズムを彼らの姿を通じて描くという点で、「竜馬がゆく」と共通した手法をとっていたとみることができるわけです。この話は突っ込んでみると面白いので、司馬作品と理数系武士団の深い関わりについては、次回にもう少し眺めてみましょう。
 (なお日露戦争の話題に関しては、このサイトにも
日露戦争の海軍戦略 として述べた一文が掲載されていますので、興味のある方はそちらもご参照ください)
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