理数系武士団の研究‐‐‐なぜ今の政界から「現代の竜馬」は現われないのか
last update: 2010/09/13
以前にこのサイトで、現在の日本が中国やインドに追い上げられて、これまで国の切り札としてきた力を失いつつある状態の中、一体全体何に頼れば良いのかという問題に関して、その答えが「理数系武士団」という存在にあることを論じました。
それは
「インドの数学パワーと『理数系のサムライ』たち」のタイトルで当時かなりの反響を呼びましたが、その内容とは、日本の歴史の中には「理数系武士団」という他国に例を見ない不思議な集団が普段から眠っており、それが国難の時にしばしば目を覚ますという話です。
そしてそういう時、この国はそれまでと全く違った行動パターンをとるようになり、他国から見るとほとんど無敵と言えるほどの存在となることも珍しくありませんでした。また今年は竜馬ブームに沸いた年でしたが、実は他でもない、竜馬もそのパワーを利用することでヒーローになり得たと考えられるのです。
さらにこの話は現在、中国の台頭でいよいよ死活的に重要なものとなりつつあります。何と言ってもこれまで数十年間、日本にとって「世界第二の経済大国」という看板は一種の国家アイデンティティと言えるほどのものでしたが、今年はいよいよGDPで中国に追い抜かれ、日本はついにその称号を失うことになると考えられています。
そうなった時にどこに精神の拠り所を求めれば良いのか、国民全体が迷っており、早々と絶望してしまっている向きもあるようです。しかし過去の歴史を探ると、この国にはまだ頼るべき強力な力が一つだけ眠っており、それが目を覚ますならば中国といえどもさして恐るるに足りないということが浮かび上がってくるのです。
(ところで現在、惑星探査機「はやぶさ」が大人気ですが、それは一つには多くの日本人が潜在意識の底で、この国がこれからどこに希望を託すべきかを感じ取り始め、その「理数系武士団」の影を「はやぶさ」の中に見ていることも一因のような気がするのです。まあこれは筆者の勝手な思い込みかもしれませんが。)
そしてこの話は具体的な国家戦略においても重要です。恐らくこれから日本は巨大な中国の10倍という図体にどう対抗すべきかという問題を戦略の根本に抱え込むことになるでしょう。普通では容易に答えの見えないこの問題ですが、しかしその際にこの不思議な層の存在が、不可欠なものとして戦力の重要部分を担うことになると予想されるのです。
そうしたことを別にしてもこの話題は、何しろ話自体が非常に面白く、内容的にもまだたくさん語るべきことがあるため、以前の内容をさらに発展させて新たに論じてみたいと思います。
(また電子書籍版の
「現代経済学の直観的方法」をお読みいただいた方にとっても、同書の結論もそれに希望を託すという形でしめくくられているため、もう少し詳しい話を望まれていることでしょう。)
ただし中国の10倍という規模の力にどう対抗するかの戦略や力学の話は、かなり堅い論理的な話が多くなると思われるので、そちらは別のタイトルで別に論じ、こちらにはむしろ肩の凝らない誰でも面白く読める話題を集め、それら二つの話題を並行して論じていこうと思います。
とにかくもし現在、国の将来を諦めてしまっているという方がおられたら、筆者としてはその前にもう一度だけ思い直して、この話をお読みいただきたく思っています。
はじめてこの話をお読みいただく方に・・・「理数系武士団」の話の要約
■単なるモノ作り集団ではない「理数系武士団」の力
さてこの稿をお読みいただく前に、以前このサイトで述べたことについて、簡単におさらいしておきましょう。まず「理数系武士団」とはどういうものかということですが、実はそれは一見想像されるような「モノ作りの強さ」というものとは少し違う話です。
むしろそれは国家戦略などに関する話で、彼らは普段は目立たない技術系の職場にいて黙々とモノ作りなどに従事しているのですが、ひとたび国難が訪れると「理数系武士団」として結束し、それまで文系が行っていた戦略立案や国家設計などの場所に乗り出してくるのです。
しかも彼らは自発的に役割分担を行うようにして、少人数ながら要所要所を押さえ、不思議な連携をとって国全体を動かすのであり、そのため海外から見ると、それまで外国の言いなりに平身低頭していた日本全体が、まるでそれまでとは別人のように突如独創的なビジョンで動き始めるのです。
それは日本人自身さえ普段はその存在や力に気づかないほどなので、外国勢はかなりのプロでもなかなかそれを読めず、しばしば彼らのあらゆる予測を完全に裏切ることになりました。
つまり結果的にそれが一種の奇襲効果を帯びて、彼らの国際的な包囲網を根底から覆すことになり、国難を救うことにつながってきたわけです。事実、このちっぽけな島国がなぜこれまで生き延びられたのかの原因は、検討すればするほどその力の存在なしには考えられないのです。
■それは日本以外の国には存在しない
ではそういう存在は中国やインドをはじめ、他の国にはいなかったのでしょうか?実は明治に近代化が行われた時、日本では一つの珍しい現象が見られていました。それはこの時期、教育制度が近代化されて「工学部」というものが新しく設けられた際に、その入学者には旧士族の出身者が際立って多かったということです。
これは一見何ということもない話ですが、実は国際的に見ると相当に珍しいことで、同時期に近代化を図ろうとした他のアジア諸国などでは全く見られないことでした。例えばトルコなどは明治維新と同時期に近代化(と脱宗教化)を行った国で、スタートラインが似ていたことから、ヨーロッパの歴史学会などではしばしば日本とトルコは比較の対象として研究されると言われます。
しかしトルコの場合、旧戦士階級が工学部に集団で入ってくるなどという現象は全く起こっておらず、そんなことは想像すること自体が困難という状況でした。そしてその後のトルコの歩みと比べてみると、日本が戦艦大和やゼロ戦を作れた最大の理由が、実はそこにあったということがはっきりわかります。
つまり本当に武士階級が理工系世界に入り込んでいたわけで、その意味で「理数系武士団」というものは単なる言葉の比喩ではなく、完全に文字通りの実在でした。そしてそれは日本だけが持っていたユニークな存在として、この国に他の国とは違う歴史を歩ませる大きな要因となってきたのです。
■「二つの武士団」の好対照が幕末史を面白くする
しかし明治のそうした現象は幕末期を眺めると全く不思議でも何でもなく、むしろそこでは理数系武士団の存在は明治期よりもはっきりした姿をとっていました。
そもそも幕末史の面白さは、「理数系武士団」と「文系武士団」がはっきりと分かれて、それぞれが別のストーリーで活躍していたことにあったように思われます。つまり肌合いやメンタリティの点で互いに全く異なる別種の人々が集まるようにして、それぞれ2種類の武士団を構成していたのであり、両者は
理数系武士団= 蘭学・洋学関係者や長崎海軍伝習所など海軍関係者
文系武士団 = 水戸の国学などを中心とする攘夷派の人々、および新撰組などの武闘集団
という形で非常に鮮やかな対照をなしています。
もう一つ面白いのは、後者はとかく陸地の中にこもりたがる傾向があるのに対し、前者は「海」と結びつくことでパワーを手にしているということで、これは日本の理数系武士団全体の特徴です。それを考えると幕末期の場合、海軍関係者は基本的にすべてこの理数系武士団に分類するのが適切でしょう。
■戦国期からの両者の横顔と確執
しかしこのように人間集団が二つに分かれるというのは、それ以前の時代にも見られたことで、戦国時代にも合理的で「理数系のにおいのする武将」というものは存在していました。
例えば合理主義者の戦国武将といえば誰でも思いつくのが織田信長で、その徹底した合理性や鉄製軍艦などの新技術導入、その反面として人情の機微への無関心などは、良くも悪くも理系のそれであり、彼を理数系の武将と呼ぶことに誰しも異論はないでしょう。
そして当時の理数系武士団の代表を信長とすれば、文系武士団の代表がまず家康であることも、恐らく誰もが納得することと思われ、両者は見事な対象をなしています。
また豊臣政権の内部でも、海軍系の小西行長などと陸軍系の加藤清正などは互いに肌が合わず、秀吉の死後は両者は対立を深めていきます。そして後者が次第に家康のもとに集まる一方、前者は石田光成(恐らく彼も理数系の武将です)と組み、西軍と東軍という形で二つに分かれて関が原の戦いで火を噴くことになったのですから、この構図がかなり古くから存在していたことがわかります。
また昭和期に入っても、幕末期にすでに確立していた
・海軍は理数系武士団
・陸軍は文系武士団
という構図はそのまま引き継がれ、両者は水と油のように溶け合わず戦国末期と同様に対立を深めていき、そのため昭和期の日本は世界で最も陸軍と海軍の仲が悪い国となっていました。
そして今もなお日本は理系と文系が特殊な関係を作っており、恐らくその伝統的な力関係や力学もそのまま引き継がれていると想像されるのです。
■理数系武士団の中の4つのタイプの人間集団
ではその理数系武士団の中はどうなっていたのでしょうか。それは大きく分けて4つのタイプの人間たちから成っていましたが、ここで面白いのはそれらが一種の役割分担を行っていたことです。
そして竜馬の話もそこで登場するのですが、その際に彼らが連携をとって国を動かしていったことは、現代のわれわれにとって何よりも注目すべきことです。
そもそも普通なら国を動かそうとする場合、権力を掌握するために組織の頂点を押さえること(ちょうど国政選挙での総理の座を狙うようなこと)を考えるものです。ところが彼らはあえてそれを行わず、むしろその4つの人間集団が組織の内外に分散して、目につきにくい場所で要所要所を押さえて連携をとるという、極めてユニークなアプローチをとりました。
そのため表向きの権力中枢とは関係ないところで、彼らが少人数ながら絶妙な連携で状況を大きく動かしていくことが多く、それは世界の他の国の歴史ではほとんど見られないことだったのです。
それではその各タイプを、具体的に列挙してみましょう。それらは
1・独創的思想家
2・開明派官僚
3・末端の自発的学習者たち
4・第4タイプ(?)
の4つのタイプに分かれ、それらが絶妙に役割分担を行っていたのが幕末史の面白さです。それぞれをもっと詳しく、具体的な人物像と共に見ていきましょう。
第1タイプ:まず最初の第1タイプですが、この人たちはとにかく当時の一般の人間には理解が困難なほど独創的なビジョンを出してくる天才たちで、幕末期では勝海舟、あるいは薩摩藩主の島津斉彬などがこれに相当します。
海舟にしても何しろそのビジョンたるや、それまで近代産業をもたなかった農業国の日本を世界三大海軍国の仲間入りさせようというのですから、相当にぶっ飛んだものでしたが、島津斉彬に至っては、あの当時すでに「将来マレー付近で日本と西欧の大海戦が起こるだろう」と予言しており(それは後に太平洋戦争で英戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈した「マレー沖海戦」として現実のものとなります)、その凄さは当時の人にはほとんど理解困難だったと思われます。
幕末期にはそうした人々がおり、それ自体日本の幸運でしたが、戦国期の場合だとそうした独創的ビジョンの持ち主と言えばまず信長で、彼がこの第1タイプに相当することには、誰しも異存はないでしょう。
第2タイプ:この人たちは、組織の中で「開明派官僚」として、そうした独創的ビジョンをキャッチアップして本格的に現実化させる人々です。この人たちは多少地味ではありますが、組織の外にいる英雄たちを組織内部からサポートし、彼らが活躍するために不可欠な役割を果しました。
この人たちの代表は、幕末だと越前藩主で政治総裁も務めた松平春嶽、幕府官僚の大久保一翁、また薩摩では小松帯刀(以前の大河ドラマ「篤姫」では瑛太さんが演じていて実に適役でした)などで、戦国なら石田光成などがこれに相当します。
第3タイプ:これは幕末だと各地の蘭学塾生などです。この人たちは自発的にそうした新しい学問や技術を学ぶことに熱心で、国家の支援もないのにいつの間にかそれを下支えする厚い人材の層を国の中に用意するという、非常に重要な役割を果しました。
それがあったため明治期の日本は、教育制度がまだ十分整わないうちから質の高い人材を豊富にそこから得ることができ、これは当時の中国などでは全く真似のできないことでした。
■ユニークな「第4タイプ」と竜馬
そして最後の「第4タイプ」は、日本以外には全く見られないユニークな存在で、そして他ならぬ坂本龍馬こそがまさにこの第4タイプだと考えられます。
この人たちが他の3つと違うのは、彼ら自身は理数系出身ではないということで、外見的にも彼らはあまり理数系のにおいがしないのですが、この人たちは前記の「理数系武士団第1タイプ」の誰か一人を神のように信奉し、そのビジョンの代行者として行動するという点が最大の特徴です。
つまりその独創的思想を相続して現実化することで、彼らはヒーローとなるのであり、竜馬の生涯はまさにそういうものでした。
そして竜馬の場合、第1タイプの誰を「神」と見定めて信奉したかは言うまでもないでしょう。つまりそれが海舟だったのであり、竜馬自身には理数系のにおいがしませんが、海舟の独創的ビジョンの忠実な実行者となることで、彼は理数系武士団の力を手に入れたわけです。
■彼らに見られる驚くべき共通性
しかしそのようにして眺めると、ここに意外な事実が浮かび上がってくるのであり、それは日本の歴史においてはこの「第4タイプ」は必ずしも竜馬一人ではなかったということです。それというのも、実は良く見ると西郷隆盛もこの「第4タイプ」なのであり、さらに戦国期においては、豊臣秀吉などもそうであったと考えられるのです。
これではまるで「日本史の英雄総ざらえ」という感じで、一見、強引な解釈に思われるかもしれませんが、良く検討してみると、彼らの存在が驚くほど共通点を持っていることに気づきます。
まずこの話が正しいとすれば、彼らはそれぞれが神として信奉する相手(竜馬における海舟のような)を持っていなければなりませんが、彼らにはいずれもそのように崇拝する「理数系武士団・第1タイプ」の人物がそれぞれ一人、存在していました。
つまり西郷の場合は薩摩藩主の島津斉彬が、そして秀吉の場合は信長がそれに相当していたのであり、その傾倒ぶりはいずれも神への崇拝に近いものだったと評されています。そして彼らはそのビジョンの最大の代行者として生涯を送り、結果的にその効果を独占的に収穫する形で、ヒーローへの道を駆け上っていきました。
そう考えるとある意味、彼らは儲け役的なポジションにいたわけですが、しかし理数系武士団全体から見ても彼らの存在は必要だったようです。つまり周囲の一般の日本人大衆にとっては、「第1タイプ」は凄味はあってもクールすぎてとっつきにくく、そのためせっかくのビジョンも敬遠されてしまいがちでした。それに比べるとこの「第4タイプ」は、いずれも日本人好みの「ぬくもり」を持っており、彼らの体温のフィルターを通すことで、日本人全体がそのビジョンを受容することができたのです。
そうしたことの結果として、彼らは日本において最も愛されるヒーローの地位を手に入れることになったわけで、これら3人が何から何まで見事な一致を示しているのは驚くほかありません。
それにしてもこういうタイプが歴史の中に3人もいて、いずれもそっくり同じような道をたどっていることをみると、それはどう考えても偶然とは思えず、日本史のその部分には何か非常に深いものが隠されてように思えます。
■「第4タイプ」が登場するとき
そしてどうも現在の日本を見ていると、この「理数系武士団第4タイプ」がどういう形で出現するかということが、将来に向けて最大の鍵を握っているように思われるのです。
それというのもこの第4タイプが現われない時というのは、理数系武士団全体が何か裏方の地味なポジションに留まって今ひとつぱっとせず、そして結果的に日本全体も独自のビジョンで行動できないことが多いのです。
なお筆者自身は理系出身なので、このタイプの「自身は理数系出身でない」という条件を満たしておらず、この「第4タイプ」の候補者になることはできません。そのためこれから述べることは、むしろ文系出身の方にこそお読みいただきたいと思っています。
そして文系出身の方(そしてひょっとして今これを読まれている方)の中から「第4タイプ」が本当に現われたとすれば、そのとき日本の運命が大きく決まると言ってよく、それは後から振り返ってみると、下手な国政選挙などより遥かに重要だったということになるかもしれません。そのため以下にこれを重点的に論じていくことにしましょう。
第1回・なぜ政界からは「現代の竜馬」が出てこないのか
■「竜馬伝」と俳優の年齢
ところでたまたま今年は大河ドラマが「竜馬伝」で、この第4タイプを巡る話として関連が深いため、本題に入る前にその話題について見てみましょう。
まずその第4タイプがどうこういう前の話として、以前にこの理数系武士団の話で付録的な話題として出てきた「換算年齢」の話、つまり幕末期の年齢は1.5倍しないと現在の年齢には対応させられない(現在では学ぶべき情報量の増大によって、昔よりも1.5倍の学習時間がないと、世界を把握するために最低限必要な情報を習得できない)という話について見ておきましょう。
このドラマがスタートするとき、一部でキャストの年齢が問題にされていたことがあり、40代に入った福山雅治さんが竜馬を演じるのは如何なものか、として揶揄する向きもありました。
しかしこの換算年齢の話に照らすと、現在の実年齢は1.5で割らないと当時の年齢にならないと考えられるので、現在41歳の福山雅治さんは、換算年齢で27才ということになります。そして年譜と照らし合わせると、竜馬が土佐勤王党に加盟したのが27歳、勝海舟に弟子入りしたのが28歳ですから、まさにジャスト、実はぴったり年齢的にドラマと一致していたわけです(《年譜》を参照)。
そしてドラマの後半、海舟と離れて独立してからの場面は、むしろ現在の福山さんよりもまだ少し上だったということになり、そう思って眺めると何となく納得が行きます。
大体幕末ものなどでは、下手に俳優の実年齢を一致させるとかえって駄目で、少し前の時期にテレビドラマでは、志士たちの実年齢が意外に若かったということで、同じ実年齢の若手俳優を集めて、もっと青春劇っぽくやろうとしたことがありました。
しかし実際にそれをやってみたところ、どうにもこうにも志士たちが幼く見えて、彼らに複雑な国際情勢や政治情勢の話をさせると、無理に背伸びをしているような違和感が漂ってしまったのです。しかしそれは無理もない話で、実年齢で30歳前後の若手俳優は、精神年齢で当時の20歳前後に換算されるわけですから、いくら幕末時の青年が老成していたからといって、さすがによほど早熟の大秀才でない限りそんなことができる年齢ではありません。
そのためこの手のドラマでは、志士たちの精神年齢を俳優に合わせてかなり下げざるを得ず、そのため竜馬の台詞も難しい内容があらかたカットされて「これがキッスちゅうもんぜよ」というものばかりとなり、世界を動かす感覚がどこかへ消えてなくなるという、情けないことになってしまったわけです。それを考えると、むしろ現在の「竜馬伝」の俳優さんたちの年齢は、換算年齢から考えてベストに近いものだったと言えるでしょう。
逆にもし30歳前後の若い人で「自分はもう竜馬と同い年なのに、彼と比べて今の自分の有様はどうだろうか」と落ち込んでいる人があったとしても、それは幕末時の年齢に換算するとちょうど20歳前後にしかなりません。これは司馬遼太郎の「竜馬が行く」では冒頭、19歳の竜馬が江戸修行に出かけるあたりに相当していることになり、少なくともその嘆きは当たらないということだけは言えると思います。
■政治家の年齢は「現代の竜馬」が現われないことの原因ではない
それにしても現在の底なしの政治の混迷を見るにつけ、新聞の余禄などでは「現代の竜馬」のような政治家はどうして出ないのか、というぼやきの台詞が聞かれます。
もっとも政界の内部にいる人は自分を歴史上の人物になぞらえるのが好きで(もっともそれ自体は全く悪いことではないのですが)、ちょっとした政界再編の話を、やれ倒幕の挙兵だの薩長同盟だのと表現しては、有権者から「おまえが竜馬かよ」と失笑を買っているものです。
その失笑の理由には、そもそもかなり年齢の行った政界の人たちが自分を幕末の30代前後の若い志士たちとになぞらえること自体、噴飯ものだということもあるのでしょうが、しかしこうしてみると実は年齢の点に関する限り、さほど無理な話ではなかったことがわかります。
竜馬が死んだのが33歳だったことは良く知られていますが、換算年齢で計算すると幕末時の33歳は現在の49.5歳ということになりますから、意外なことに現在の政界でも比較的若手の代議士や閣僚なら、年齢的には十分に一致しており、そのためもし政界から現代の竜馬がどうにも出てこないとすれば、それは年齢以外のもっと別のところに原因があるはずだということになるでしょう。
しかし上の話からすればその理由は簡単、要するに政界内部にはその「第4タイプ」を輩出するための条件がないからです。大体、幕末の時の人たちは凄かったと言ってもそれはごく一握りの人たちだけで、幕府の老中の会合などを見ていると、その無策無能ぶりは何だか現在の混迷と大して変わりありません。勝海舟の台詞ではそれは「湯の中で屁をひっているようなもの」で、当時の政界の中も「第4タイプ」がいられるような場所ではなかったわけです。
■パクリ合戦の中の消耗戦
ではどうして「第4タイプ」の性格がそれほど重要な鍵となるのかということですが、それ以前の問題として、誰もが現在の選挙を見て思うのが「政策のパクリ合戦」というか、何だかどの候補者も同じことを言っていて主張が陳腐化し、とにかく新しいアイデアのようなものが何もないということではないでしょうか。
そしてパクられた側が「もともとあの政策はわが党が主張していたことであります」と演説で恨み言を並べても、有権者からすれば、大体それ自体がどうせ最初から欧米のどこかの国でやっていることの焼き直しだろうということで、大して同情の念もわきません。
これは政治家が無能というより、国が何をなすべきかの解答パターンが出尽くしていて、使える数少ない模範解答に全員が殺到し、それがたちまち陳腐化してしまうというのが現在の状況です。
しかし幕末期の「文系武士団」を見ると、何だか彼らのやっていたことも、どうも似たようなことだったと言えなくもないのです。例えば幕末期にも勤皇派の志士には、やれ「天誅組」だのやれ「赤報隊」だのといった政治結社がいくつもありました。(無論、土佐勤皇党もその一つです。)
ところが彼らを眺めると、何だかどの集団も判で押したように同じことを言っており、その典型的なパターンとは要するに、政治工作で天皇をかついでその主導のもとで攘夷を実行する一方、各藩内部では政治改革を行うというものです。
土佐勤皇党などの主張もそうでしたが、他の集団の考えていることも似たようなもので、細部を別にすれば大筋ではほとんど同じだったと言えるでしょう。(それはちょうど現代の選挙で、「政治改革」というスローガンがあらゆる陣営の候補者に連呼されているのに似ています。)
■壊滅していった文系志士集団
そこから想像すると、どうも当時のその種の構想というのは、ちょっと本を読んだだけの人間なら誰でも思いつくものであったらしく、要するに文系武士団の範囲内に留まる限り、アイデアがもう出尽くして誰もが平凡なものしか見つけることができなかったわけです。
そしてそういう彼らがどうなったかと言えば、とにかく独創性の点で頭一つ突き抜けたビジョンがないため、戦略もすぐワンパターン化して周囲に完全に読まれてしまいます。そのため単純に正面から力押しする以外に手がなくなり、そうなれば結局は物量作戦で、図体の大きさと数の力が物を言うことになって、小さい側の負けが自動的に決まってしまいます。
つまりこのパターンの中に留まる限り、図体の点で最大の力を有する勢力(早い話が体制側)が勝つという結末以外になりようがなく、そのようにして、少人数の若者から成る規模の小さな草莽の志士集団は主導権を失い、半ば宿命のように壊滅していったのです。
■竜馬の勝利の方程式
では竜馬がどうしてそういう負けパターンに陥らなかったかと言えば、これも話は簡単で、要するに彼は理数系武士団が持っていた(そして一般の人間には良く理解できなかった)ビジョンと設計図を、独占的に使える立場にいたからです。
逆に言えば、彼は文系武士団が超えられなかったハードルを一つ超えることで、そのパクリ合戦の構図から頭一つ突き抜けることができたのであり、それは「理数系武士団第4タイプ」であることによって初めて可能だったのです。
そのあたりをもう少し詳しく見てみましょう。まずそうしたビジョンというのは、海舟はじめ「理数系武士団第1タイプ」が長い思索の上に作り上げておいたもので、凡百の志士の構想などとは桁違いにレベルの高いものでした。
しかしそれだけに一般大衆にはとっつきにくく、頭に血が上った尊王攘夷派の志士には「理系=洋学系の連中がこね回している面倒な理屈」ぐらいにしか思われていなかったものと思われます。
逆にそのためもし活動家や志士の中に、例外的にそれを理解できる者がいれば、その希少性ゆえ良くも悪くもパクリ合戦の中には巻き込まれにくく、ライバルが極めて少ないため頭一つ突き抜けた戦略力を帯びており、たとえ少人数の集団でもうまく使えば大きな力を発揮し得たわけです。
■ハードルの高さを逆手にとった竜馬
つまり理数系武士団のビジョンの「理解しにくさ」というハードルの高さを逆手にとることで、竜馬はその力の源泉を手にしたわけですが、逆にそう考えるとそのハードルが当時の凡俗の志士たちから見ればどれほど高いものだったかも想像がつきます。
筆者の勝手な想像ですが、恐らく竜馬といえども、そのビジョンを聞いたとき、即座にその全てを理解できたわけではなかったと思うのです。しかし彼の凄みは、むしろ少しぐらい疑問が残っていてもそれを一切投げ捨て、海舟を唯一の神として帰依する覚悟を決めてしまったことではないでしょうか。
逆に言うと、彼の他にも海舟の言っていることを多少なら理解できた志士はいたと思うのですが、そこまでの覚悟がない限り、自身の中の疑問点や批判精神で躊躇して行動に踏み出すことができず、それゆえに英雄になれなかった者が数多くいたのではないかと想像されます。
つまりそのビジョンを受け入れるということは、それだけ高いハードルだったわけですが、しかしひとたびそのハードルを超えてしまえば、それは逆に自分の背後でパクリ合戦に対する強力な防壁となってくれます。
しかもその高度なビジョンは、正面で本当に使ってみれば威力は桁違いなのですから、ライバルの極度の少なさと相俟って、たとえ少人数の集団でもその戦略力を活かして、無人の地を行くが如き前進が可能だったというわけです。
逆にそうでない限り、両陣営の大勢のライバルの中で消耗戦に陥ることなく、少人数の集団が力を発揮するなどということは、どんなに人間的魅力があろうと根本的に不可能だったでしょう。
巷の多くの竜馬評伝などでは、彼は人間的な魅力で周囲を男惚れさせ、それだけで英雄になったという、何だか「サラリーマン金太郎」のような話になっていますが、恐らく実際はそんな甘い話ではなかったはずです。
とにかく高度なビジョンのハードルの高さを逆手にとって消耗戦から抜けたことが、竜馬を竜馬たらしめた戦略的な本質だったことはまず間違いありません。そうしたビジョンは必ずしも理系世界だけの産物と断定すべきではないかもしれませんが、しかしこれらの条件を満たすものとなると現実問題、やはりその外の文系世界ではまず見つからないものと考えるべきでしょう。
つまりこうしてみると、結局そうしたことは「理数系武士団・第4タイプ」という特殊なポジションにいなければ、まず不可能なことだったということになります。
■それゆえ政界からは竜馬は現われない
そしてまたそう考えると、政界から現代の竜馬が現れないことも良く理解できます。つまり比較的誰でも思いつく「文系的発想(悪い意味で)」によるビジョンや政策は、常識的で誰にでもわかるものであるが故に、逆に即座にパクリ合戦の中に巻き込まれ、たちまち陳腐化して消耗戦に陥るという宿命を負っています。そしてひとたび消耗戦となれば、その後は数の力だけが物を言うことになり、何をどうやっても竜馬には近づくことができないのです。
というよりその問題に先立って、そもそも現代の政治の世界にはそうした独創的ビジョン(海舟が持っていたような)そのものが見当たらず、むしろそれが混迷の根本原因というべきでしょう。実際それがない限り竜馬タイプの人間も存在できず、極論すればそれ以外の問題などどうでも良いとさえ言えるかもしれません。
要するに「現代の竜馬」の候補者がまず何をするべきかというと、政界に入るなどということは二の次にしても、何よりまず「理数系武士団・第1タイプ」をどこかに探さねばならず、それを最優先目標として動き出さねばならないということです。
そんなことを言うと、国を動かすには結局は総理を目指して権力を掌握するしかないではないか、と言われるかもしれませんが、しかしそれを平然としてバイパスしてしまったのが日本の「理数系武士団」の凄さでした。
■もともと政界の中は彼のタイプには住みにくい
そもそも政界という場所自体、どうも「第4タイプ」が活躍するには都合の良い場所ではありません。とにかく選挙というものを抱える政治家にとっては、有権者が上から下まで全員が納得理解できる演説をするということが必須ですが、竜馬は意外とそういうことは苦手だったようです。
「竜馬がゆく」でも、彼が一般の人々に話をしても、聞いている側はぽかんと口をあけているだけという記述が目立ち、下々の町人が彼の政治演説に熱狂したという話もあまり見当たりません。
むしろ当時の町人にとってそういう存在とは(海舟の証言によれば)、威勢の良い攘夷論で「水戸の烈公」として知られた水戸斉昭で、海舟などは彼をただのデマゴーグとしてあっさり切り捨てていますが、とにかく海舟や竜馬の海軍のビジョンは大衆向けの演説にはあまり向いていないのです。
そのため現代において、「第4タイプ」の候補者がもし存在したとすれば、その人物はむしろ政治の世界より少し外に居場所を見つけ出した方が良いようです。
■政府内部には「第2タイプ」の方が向く
そして幕末のパターンを見る限りでは、政界や官界の中にいて有効な役割を果す人物は、この第4タイプよりも「理数系武士団第2タイプ」、つまり開明派官僚という立場の方が、それをキャッチアップするのに有利なポジションだと言えるかもしれません。
大体、竜馬のような「第4タイプ」の最大の存在意義は、斬新すぎる理系的なビジョンと日本人的な感性との橋渡しをすることにあるのですが、そういう斬新なビジョンを広めるということを考えると、何しろ日本のコテコテの政界などは最もそれがやりにくい場所で、そのぐらいならまずIT業界の内部あたりを舞台に選び、そこを足がかりにしていった方が早いのではないかと思えます。
そのため政府部門の中ではむしろ「第2タイプ」、つまり開明派官僚の方が、地味な実務の部分を探して黙々とそれを実現していくことができ、遥かに有効に活動できると思われるわけです。
そのせいか、理系出身の総理大臣というものは実績を見てもあまり評判が良くありません。しかしその理由は伝統的な理数系武士団のパターンを見れば明らかでしょう。つまり彼らは組織の中と外で緩やかな連携をとってこそ最も有効に活躍できたのであり、そのため理系出身者は政界・官界の内部で力を発揮しようとすれば、恐らく「第2タイプ」に徹した方が遥かに効果的で、むしろ総理大臣というポストでは意外にそれがやりにくいのです。
■この解釈で初めて竜馬の話はビジネスの世界と繋がる
それにしてもこうしたことは、むしろ現実にビジネスの世界に身を置いている人こそ、よく理解できることかもしれません。というよりここで現在ビジネスに携わられている方にお尋ねしたいのですが、凡百の竜馬評伝のような「人間的魅力だけで英雄にのし上がった」という「サラリーマン金太郎的ストーリー」は、夢物語や妄想としては楽しめるものの、ご自身が身を置いておられる世界の常識とはどうにもつながらないのではないでしょうか。
とにかく現代世界においてはビジネスであれ政治であれ、とにかくすべてがたちまちコピーされて消耗戦に巻き込まれ、陳腐化して消えてしまう危険の中に置かれています。それゆえ何か高いハードルの存在を逆手にとって、それを背後の防壁として用いることでライバルの追撃をかわし、その消耗戦の中から頭一つ突き抜けねばならず、それが現代のビジネス戦略の最重要課題だと言っても過言ではありません。
つまり「第4タイプ」というユニークな存在に光を当て、それを本質に据える解釈をとると、はじめて竜馬の物語と現代のビジネス社会が同じストーリーで繋がるのではないかというわけです。
■「第4タイプ」には国全体の問題が秘められている
そしてそれが話の本質だとすると、実はこれはもはや単なる政界などの話を超えて、現在の日本という国自体が抱える難題と見事にオーバーラップしていたことが浮かび上がってきます。
つまりその難題とは何かというと、それは現在の日本という国そのものが、今まで武器としてきたものを中国にコピーされ、激烈な消耗戦に巻き込まれる脅威に直面しているということです。そしてひとたび価格競争などの消耗戦になれば人口や図体の差でどうにも勝ち目が薄く、それが国民全体の不安であると共に、その消耗戦からどうやって抜け出すかということが、いわば国全体にとっての最大の戦略的課題となっています。
ところがもし竜馬の話の全体像が「理数系武士団・第4タイプ」という、高度な背景をもつ戦略的なストーリーだったということになると、実はそこには国全体が抱えるこの問題への解答が隠されていたということになるのではないでしょうか。
確かに今の竜馬ブームも、従来のように単なる「サラリーマン金太郎的」ストーリーとして解釈されて終わってしまうようなら、大して役には立ちません。しかし彼の成功の理由が、従来の常識と違って実は「理数系武士団・第4タイプ」にあったということが理解されたとなれば、もうこれは単なる竜馬ブームなどというレベルを超えて、日本にとっての最重要課題への鍵が一つ開いたことになるでしょう。
そのためもし、国民に広くそのことが知られ始めるきっかけを作るという形で、今年の竜馬ブームがしめくくられるとすれば、それはこの国の将来にとって実に意義のあるブームだったということになるはずです。
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