インドの数学パワーへの対応と日本史の中の「理数系の頭脳をもつサムライたち」

 最近、インドの頭脳パワーの脅威というものがジャーナリズムの中でも語られることが多くなってきています。とにかくインドは現在、国を挙げて科学技術教育に邁進しており、ソフトの開発能力などではすでに日本も太刀打ちできないレベルにあって、そのうえあの人口なのですから、それを前にして一体日本はどうすれば良いのかと狼狽するのも、むしろ当然のことでしょう。、
 大体中国に対してさえ有効な対策が見つからなかったところへもってきて、その上インドが現れるとなると、もう方策を考えること自体諦めムードといった感じで、政府としても、高校生の科学技術教育レベルを上げようというぐらいしか当面の対策が思いつかず、そしてこれがまた高校生の理系離れを食い止める段階ですでに苦戦している有様です。
 しかしまだ希望はありうるのではないか、というのがここでの話で、そしてここで注目するのが、日本の歴史の中には実は「理数系の頭脳をもつサムライたち」という人種が隠れ住んでいて、彼らが過去何百年もの間、果たしてきた意外な役割に着目すれば、この国の未来に一つの可能性が拓けてくるかもしれないというお話です。
(20070329 長沼伸一郎)


後発国の「高速コピー能力」という新要素

 ところでインドの台頭は、ある意味でもっと深刻な事実を浮き彫りにすることになりました。それは、新しいテクノロジーに関しては日本もインドも意外なほど近いスタートラインに立っており、「こちらにできることは基本的には彼らにもできる」という衝撃的な事実です。
 そしてこの「後発国のコピー能力の高さ」という問題は、実は10年ほど前に中国や韓国の追い上げに日本がどう対応するかの戦略が考えられた時に、すでに存在していたもののようです。
 実際当時作られた答申などの論旨は大体共通しており、それによれば、これからの日本は70年代に主力であった自動車や鉄鋼などの「旧産業」はそれら新興経済国に譲り、日本はコンピューターなどの新しい付加価値の高いハイテク産業にシフトすべきだ、というものでした。
 ところが蓋を開けてみると、コンピューター産業に関してはこちらも彼らも意外なほど同じスタートラインに立っていることが判明し、ソフト開発などはいくつもの国に追い抜かれ、現在現在日本が強いのは、皮肉にも伝統的な職人的ノウハウが必要な旧産業の側という結果となっているのが現状です。

 

これからの戦略の第一条件

 とにかくもう現在では世界全体が均質化してフラットになってしまって、ほとんどの国が同じスタートラインに立っており、国の力を決めるのはただ頭脳の数と質だけだ、ということは明らかのようで、これからはそれを本質的条件として戦略を根本から考え直さねばなりません。
 しかし勝敗が基本的に頭脳の数と質だけで決まってしまうのだとすれば事態は深刻で、これでは人口と学習意欲に劣る日本側の負けは最初から見えてしまっています。
 実際かつてのような、小手先の戦術で相手国の経済組織の問題点を突くなどという発想は、しばらくすれば彼らもそれをコピーできると覚悟せねばならない以上、もはや基本的には役に立たず、人口に劣る日本としては、かつての世界に存在していた地理的要害のような、その国しか持たないような特殊で強力な条件を何か探して、そのコピーの困難さを戦略の中心に据える以外に手がありません。しかしそんな都合の良いものが、この現代世界に果たしてまだ眠っているものなのでしょうか。
 

日本史の活発期に現れる「理数系の頭脳をもつサムライ」たち

 しかしいくら世界が均質化したと言っても、国の差というものはまだ完全には消滅しておらず、多少は残っていることも事実であり、例えば各国民の歴史的振る舞いというものは、時代は変わっても一種のパターンとして手を変え品を変えて繰り返されることが多いものです。
 つまりその癖の意外な根強さというものに着目すると、そこが「コピーの困難さ」という点で一つ、最後の拠り所となることが予想されるわけです。
 ではそのように、日本の歴史的、文化的な振る舞いのパターン、という話になると、普通なら、日本は伝統的に外来文化を採り入れてそれを改良して質の高いものを作り出し・・・なとどという話になるのでしょうが、ここで議論するのはそんなことではありません。
 大体現在の状況では、そうやって生み出した質の高い新商品も3年を経ずして後発国に高速でコピーされ、泥沼のような消耗戦に引き込まれてしまうことは明白で、この特性ももはやあまり役に立たないものと考えられます。
 むしろここで注目したいのは、日本の歴史に見られる奇妙な癖のことです、それは、この国の歴史には極端な活発期と不活発期が交互に訪れることが多く、活発期には国際社会で特異な存在として周囲を大きく動かすのに対し、不活発にはひたすら内向きになって諸外国からほとんど無視されるというパターンが割合に繰り返されているということです。
 そして日本の場合、外からの国難に直面する時期が幸運にもその活発期と重なることが多く、そしてその際に「理数系の頭脳をもつサムライ」というものの存在が、意外に大きな役割を果たしていたと考えられるのです。
 

「理数系の頭脳をもつサムライたち」の肖像

 さて日本の歴史でそのような活発期と停滞期の対照例といえば、まず誰でも思いつくのが戦国時代と徳川時代の対比でしょう。そしてまた両時期を代表する人間である信長と家康を比べると、信長のメンタリティにはどうも理数系のにおいがあることも、以前からよく指摘されています。
 実際、彼の合理的世界観、新技術の大胆な導入、史上初の装甲軍船の開発、人間の感情に対する無理解など、良くも悪くもその頭脳は理系の性格が濃厚ですが、もう一方の家康はイメージの点からしても明らかに文系です。
 そして戦国期にすでに両者は集団として対立していたようで、秀吉の死後、関が原で西軍の意志の中核をなしていた諸将は、石田光成をはじめとして計数に明るく、どちらかといえば理数系のにおいがあるのに対し、東軍諸将は遥かに血の気が多くて文系のにおいが感じられます。
 また三百年を経た幕末期を見ても、志士集団は文系と理系に分かれてかなり鮮やかな対照をなしており、まず文系の志士の筆頭といえば、もうこれは新撰組で、その他には水戸の攘夷派、各地の攘夷浪人とその結社などがあり、また幕府内部でも、保守派の老中などの大半はどう見ても基本的にコテコテの文系です。
 これに対して蘭学・洋学系が理数系と重なっていることは指摘するまでもなく、勝海舟を筆頭に長崎海軍伝習所、適塾などの蘭学塾、まあ海舟の弟子ということで坂本竜馬もこちらに属するでしょう。
 面白いのは薩摩で、ここでは藩主の地位になぜかこの両派が交代で就いてその派閥が対立することが多く、理数系の代表は西郷隆盛の師である幕末きっての名君、島津斉彬で、一方彼の死後に藩主となった島津久光が文系派の代表と見て良いと思います。

 

彼らの意外な外交戦略能力

 大体以上がその肖像ですが、それにしてもこの人々を見てみると一つ意外なことがあります。それは彼らの中には、明らかに理数系の頭脳をもっていたらしいにもかかわらず、その能力を機械技術などではなく、むしろ戦略、外交、組織など、本来なら理系がやらないはずの分野に向けることで、大きな力を発揮していた者が多かったということです。
 例えば五稜郭で戦った榎本武揚などは、もともと造船や砲術などの西欧技術を中心に学んでいた人間で、学歴の面では明らかに理系だったはずなのですが、それでもあの戦いの際に見せた外交手腕は、日本よりも当時の西欧列強の外交官から高く評価されるほど優れたもので、当時の老中などは及びもつかない高い外交戦略能力を持っていたことになります。
 つまり理数系だから政治はできないどころか、むしろ外交に関する限り話は逆で、そう思って眺めると、日本史の活発期においてしばしばこの国が別人種のように高い外交能力を発揮することは、ひょっとしたらこうした「理数系の頭脳をもつサムライ」が外交戦略の分野に進出していたことにあるのかもしれません。
 むしろ彼らは、職人的な技術の世界に押し込められてしまうと、単なる使われ人になって急速に力を失う傾向があるようです。そしてこの国では国難の時期が去ると、どうもそういうことが起こりがちで、彼らが歴史から退場していくと共に、国の外交能力もどんどん落ちていくのです。
 どうも思うに、日本の大多数の人間は、そういう理系の合理的頭脳を頂点に頂くことの緊張感にあまり長くは耐えられないらしく、それがこういう交代現象を生むのでしょう。そしてまたこの「理数系のサムライたち」は国内では歴史を書く権限がなく、後世その歴史が書かれる際には、書き手が彼らに花を持たせることを嫌って、かなり低く評価される傾向があったことも、付け加えておくべきかもしれません。


彼らと海軍力との結びつき

 もう一つ注目すべきことは、榎本武揚が長崎海軍伝習所出身であったことにも示されるように、どういうものか彼らは海軍との結びつきが深く、全般的に見て彼らは何らかの形で海軍力というものと結びついた時に国内で力を得ていることが多いということです。
 そしてこれをトルコなどと比べると面白く、実はこの両国は比較的同時期に近代化・西欧化を成し遂げたのですが、その後違ったコースをたどることになり、ヨーロッパなどでは、「なぜトルコは日本のように技術大国になれなかったのか」ということがしばしば議論になるとのことです。
 その理由を一言で言えば、近代化されたトルコの場合、軍の主体が陸軍でそこが旧エリート戦士階級を吸収していったのに対し、日本の場合はむしろ旧武士層の多くが海軍に流れたということが大きな違いです。そしてもともと技術が勝敗を決める海軍では工学部との結びつきが強いため、その恩恵で結果的に工学部もかなりの士族を吸収することができたのです。
 これは他の国ではほとんど見られないことだったと言われますが、とにかく日本ではその「理数系のサムライ」が現在の技術大国の基礎を築いたのに対し、トルコにおいてはそういう「理数系のサムライ」が存在せず、それが両国の道を大きく分けるようになったというわけです。
 ところで日本では昔から陸軍と海軍の仲が極端に悪いと言われていますが、ひょっとしたら日本の場合、理系がまとめて海軍に入り込んだことが、普通以上にその反目を強めていたのかもしれません。それはともかく、日本においては理数系のサムライたちが活躍していた時期は、海軍力が大きな意味を持っていた時期となぜか重なることが多いということだけは言えるようです。


 要するに上までに述べたことをまとめると、
・日本の歴史ではなぜか「理数系の頭脳をもつサムライ」というべき人々が国難の時期に出現して、それが対外的な活力に大きな影響を与えるが、危機が去ると退場するというパターンが多い。
・その場合、彼らの理数系の思考力が戦略や外交など、技術以外の分野に振り向けられた時には意外な能力が発揮されるが、逆に彼らが技術的な職人の世界に閉じ込められた時に、全体的な国の力は内向きになって弱くなる傾向がある。
・彼らは海軍力というものと何らかの形で結びついた時に力を得ており、一般に内政は得意ではないが外交はむしろ得意である
ということになるでしょう。これは日本の際立った特性で、例えばインドなどもその歴史を見る限り、そういう「理数系のサムライ」に相当する存在はなく、だとすればそこが、この極度にフラット化した現代世界の中で、日本がテコの支点として利用すべき一つの重要ポイントになることが考えられるのです。


数学だけでは国の力にならない

 ところで数学のパワーが国に及ぼす影響をインドと比較することなどを考える場合、しばしば盲点となる重要ポイントが一つあることは指摘しておくべきでしょう。それは「国の近代化に決定的な役割を果たすのは数学よりむしろ物理学である」ということであり、そして日本の場合、先ほど述べた彼らはまさにそこを埋める役割を果たしていたのではないかと考えられるのです。
 そもそも「日本には科学が無かった」と一般には言われますが、しかし考えてみると数学に関しては日本には関孝和に代表される高度な和算があり、そのレベルは驚くほど高いものでした。また機械工学に関しても、からくり人形に見られるように非常に高いレベルのものがあり、矢を射たりるそれらの人形はドイツのそれらも及ばない、世界最高水準のものでした。にもかかわらず日本に「科学」がなかったというのは一体どうしたことでしょうか。
 その最大の理由は、日本にはそれをつなぐ「物理学=古典力学」というものがなかったからです。実はこれこそが単なる知的遊戯だった数学に一個の世界観を与えて現実とつなぐ決定的要素で、そしてこれがない限りせっかくの数学も単なるゲームで終わってしまい、和算がそうであったように、それは国の力にはならないのです。
 そもそも幕末期に日本に入ってきて思考にインパクトを与えたのは数学よりもむしろ物理学(窮理学)だったと考えられ、その思考はいろいろな分野に影響を及ぼし、例えば幕末期の最大の軍略家であった大村益次郎もそれを好んだと言われて、事実彼の軍略にはその影響が感じられます。
 そして私見ですが、どうも日本人が思考として生み出せなかったものが二つあり、それは古典力学=物理学と、海軍戦略の二つなのです。そしてこれら「理系のサムライたち」はこの二つを身に着けることで、日本の知的弱点となっていたミッシング・リンクの部分を一挙に埋めることになり、周囲全体を一つのパワーとして組織化する存在となったのではないかと考えられるのです。
 つまり国全体としては、その前と後で技術者の質や量自体はさほど変化していないのに、彼らの存在による組織力が一挙に国全体の力を数倍にすることになっていたというわけです。
 

インドの弱点

 そしてこれはインドの数学パワーの意外な弱点をあぶりだすことにもつながってきます。それというのも実はこの点に関する限り、インドの高度な数学はかつての和算に似て、物理学(古典力学)と結びつかずに、単なるゲームで終わってしまうことが多かったのです。
 そして宇宙や世界を考える際には、彼らは力学的世界観というものをすっ飛ばして一挙に仏教的なスケールの哲学に行ってしまい、世界観としての古典力学を持つことはありませんでした。
 恐らくそのためにインドの歴史には「理数系のサムライ」は登場せず、ゼロを発見した数学力が国の力に反映されることも稀だったのです。事実、現在のインドの頭脳パワーにしても、それはむしろアメリカ企業の傭兵としてのパワーになっている部分が多く、確かに数そのものは多いため、技術者を単なる企業の職人的戦力と考える限りはそれは決定的ですが、もし日本がこの層の出現で力を一挙に増す癖を隠し持っていたとすれば、インドがそれを真似るのは困難と考えられるのです。
 

支えあう4タイプの集団

 それでは日本においてはそれら「理数系のサムライ」はどういう具合に出現していたのでしょうか。それが不思議なことに、彼らは国難の時期に比較的自然発生的にまとまって出現してくることが多く、必ずしも政府が公的な機関で総力を挙げて作ろうとしたわけではないようです。
 ただし何人かのキーパーソンは必要で、それらがいくつかのタイプに分かれて、互いに支えながら現れていたというのが実際のところでしょう。そして具体的に見てみるとそれは大きく分けて4タイプあり、それらを列挙してみると、
 
@突出した発想家
 これはとにかく当時の常識人からは理解できないほど突出した発想を出してくる人々です。まあ戦国なら信長がこれに相当することは言うまでもありませんが、幕末で言えば勝海舟とか、あるいは海舟すら畏れたという横井小楠、また藩主クラスだと島津斉彬などがこれに当たります。
 
A開明派官僚
 海舟の場合は特にそうでしたが、先ほどの人々はその突出性ゆえ組織の中でとかく生きずらく、そのため組織の中にいて、それを引っ張り上げたり保護したりする人物がどうしても必要になります。自身が藩主や大名なら必要ありませんが、海舟の場合、大久保一翁という開明派官僚(「竜馬が行く」にも登場する)に引っ張り上げてもらわねばなりませんでした。この種の開明派官僚は、なまじ組織の中で生きていく能力をもつ故に大衆的人気は得にくいですが、その存在抜きではどうにもならない重要なキーパーソンです。そして幕末期だと、その役割を果たした最大の存在は老中阿部正弘で、彼がいなければ長崎海軍伝習所もそれにつながる人間も登場できなかったでしょう。
 
B各地の学習者たち
 幕末期だと、各地の蘭学塾などで学んでいた大勢の者たちが果たした役割については、これはもう指摘する必要はないでしょう。彼らの多くは私的な学習者たちでしたが、その数の力の下支えはやはり大きく、「文系のサムライ」たちの草の根的な活動が学生運動のようなもので終わってしまったのに対し、各地の私的な蘭学塾はその後の人材供給にも一定の役割を果たしています。

C天才に倣う非理系人
 そしてこれが面白いのですが、日本の場合、どうも本人自身は理数系という感じではないのに、@のタイプの人物を神の如く崇拝してその思想の代行者となり、結果的に英雄となっている人物が少なくないのです。
 まあそれは秀吉のことを考えればよくわかり、彼自身はあまり理系のにおいがありませんが、信長を崇拝してその意思の代行者となることで英雄となっています。幕末だと、西郷は自身はあまり理数系という感じではありませんが、島津斉彬を神と崇めて生きることで、結果的にその意志の代行者となっています。また海舟に対しては、坂本竜馬がちょうどそれに相当する存在です。
 そして彼らの文系らしい体質・体温は日本人全般には受け入れやすく、そのため大衆的人気ではむしろ@をしのぐことが多いのですが、しばしばそれがこの層全体の行動を一般大衆と融和させる役割を果たしていたことは否めません。
 
 場合によっては一人が二つの役割を兼ねていたこともありますが、大体この4つのタイプがある程度まとまった人数出現して、お互いに支え合っていたわけで、こういうことはインドにはほとんど見られないことでした。それにしても国難においてこれだけの協力体制を作るだけの人数が常にまとまって出現するのだとすれば、それは国としての驚くべき特性というべきでしょう。


現在その力をどう使うか

 それにしても、もし日本という国にそういう潜在力があるとすれば、現在の状況ではそれは一体何に使えるのでしょうか。
 まず現在直面する最大の問題、つまりインドや中国の「人口」にどうやって対抗するかということですが、実はこれはそもそも米国に対抗する際にも必要な問題だったことは、しばしば忘れられがちです。つまり米国の人口も日本の2倍あるのですから、もともと戦略などの発想力において彼らと同レベルにあるだけでは駄目なのです。
 そのため日本の場合、この体重差をカバーするためには、彼らより発想力において1周上回っていないことにはどうにもならないのですが、ところが現実には日本では、逆にアメリカの発想を1周遅れで導入してそれに追随していく体制が絶対化しており、それでも今まで数十年間やってこられたのは、米国がソ連を第一の敵と考えてそれを倒すことに熱中し、日本との経済戦争など眼中になかったからです。
 ところがこれからはそうは行かず、そうなると差し引きで従来の常識的な発想力から2周進んだものでない限り、今後は役に立たないという大変なことになってきたわけで、実はこれこそが日本にとっての真の問題なのです。しかし考えてみると幕末当時に海舟などが幕閣で何か構想をぶち上げた際にも、彼らはまさしく当時その問題に直面していたと言えるのかもしれません。
 実際海舟らの構想とは、今まで農業しか無かったこの国に工業を興して、数十年で世界三大海軍国の一角に食い込もうという、当時の欧米の目から見ても常識を1周上回る狂気じみたものだったわけですから、今までの幕府の常識からすればそれはまさしく2周上回る発想だったでしょう。
 しかし驚くべきはこの国がそれを現実にやってしまったことです。そしてこの国の普段の体質を考えると、その不可能を可能にしたのは、やはり当時、前述の4つのタイプがまとまった人数出現し、互いにカバーしながら進んでいったからだという以外、考えようがないのです。


奇襲効果の強み

 実際に現代の日本を見ても、「従来の常識レベルから2周進んだ発想力の構想でなければ役に立たない」という障害は、すでにグーグルのようなものにどう対抗するかという話などで現実のものとなってきており、経済産業省あたりが今頃「日の丸検索エンジン」を官民上げて作ろうなどと言って失笑を買っている有様です。
 こういう2周進んだ発想力というものはやはり文系の頭脳からは出てきずらく、また現在の手詰まり状況は、先ほど整理した三つの原則の一つ、「理数系のサムライが単なる職人として技術だけの世界に閉じ込められると国全体が弱くなる」が現れている実例と考えられなくもありません。つまりこの力はまさにこの難題に風穴を開けるためにこそ用いるべきだと考えられるのです。
 そして日本の場合、そういう突出した構想がこういう意外な非正規ルートで実現されることは、そのこと自体が結果的に周辺諸国の意表を突く形になることは注目して良いでしょう。つまりそれは周囲の予想を大きく狂わせてその備えをすり抜けることで、さらにその力を増すという効果があり、日本の場合、ひょっとするとむしろその点こそが効果として大きかったのかもしれません。
 実際、明治以降だけに限っても、日本が国際社会の奇跡と言われた時には、少なくともその初期から中盤にかけては周辺諸国がそれを予想せず、その防備の甘さに助けられてそれが可能になっていることが多く、そう考えると、この「理数系のサムライたち」が国難の時にだけ表舞台に現れることが、皮肉なことに一種の奇襲効果を帯びてかえって国の戦略的な力を増しているかのように見えなくもないのです。


現在、覚醒を促すべき層

 しかしこうしてみると、これまで理系を力づけるための合言葉だった「モノ作り」という言葉が意外や意外、逆効果だったのかもしれません。つまり先ほどの原則に照らすと、これはその層を職人的な技術の世界に押し込めて、結果的に国の力を最も弱めるパターンになりがちだからです。
 むしろ国としてなすべきことは、これら「理数系の頭脳をもつサムライたち」(もう少しスマートなキャッチフレーズが欲しいものですが)がこの国の歴史で何をなしてきたかということに、もっと国全体が光を当て、その層に自覚を与えることだったのではないでしょうか。そして理系離れを食い止めるにも、士気の面では意外とその方が効果があるかもしれません。
 そうなると最後の問題は、現在だとその覚醒を促すべき層の第一陣が、大体どのあたりに眠っているのかということですが、現実問題、現在の小中学生がその第一陣になることを期待したのではスケジュール的に間に合わず、やはり第一陣は最も若い層でも、まあ2〜3年後ぐらいに40代に差し掛かかって、ある程度の社会的ポジションを得るぐらいの層に期待せねばなりません。
 ところで幕末当時の年齢は、15で元服、40で隠居というのが普通、つまり
 
     幕末当時    現在
     15歳元服   22歳大卒
     40歳隠居   60歳退職   (共に1.5倍)
     
という具合に1.5倍で換算することが必要で、それに従うと逆に現在の40歳は1.5で割って大体26歳ぐらいですから、ちょうど当時の志士たちが活動を始める年齢に当たっており、そう考えるとその面でも意外に良く一致していると言えるでしょう。(詳細は「歴史上の人物の年齢換算」参照)
 要するにまずこの年齢層(1970年前後生まれあたり)を中心に、4タイプの「理数系の頭脳をもつサムライ」たちがまとまった数で出現するかどうか、ということが国の命運を決める一つの大きな鍵になる可能性があるというわけです。
 ともあれもしこの国の中にそのような人間集団がまとまった数で眠っていて、それが国難の時に表に出てきて「2周進み」の発想を相手国の意表を突いて実現する、という特性を備えているのだとすれば、それは「周辺諸国が真似にくい」という、現代の平坦化した戦略環境の第一優先条件を満たしうることになり、国としてそこに賭けてみる価値は十分にあるのではないでしょうか。

Pathfinder Physics Team