実のところ今まで私は、太平洋戦争に関するシュミレーションというのは、それほど真剣にやるつもりはなかったんです。ところがどうも、先日アップした知的制海権のための作戦計画案を振り返ってみたところ、どうもパターン面で共通している部分がかなりあって、それが結構馬鹿にならないぐらいのものであるらしいことがわかってきました。そうなると完全に無視しておくというわけにもいきません。
それにまた一般的な問題として見ても、とにかく社会全体で、太平洋戦争というのは何をどうやっても勝つ方法はないというのが完全に常識に化してしまっていて、国家戦略を考える場合にそこで思考停止に陥ってしまうことが多いように思えます。
ところが例の知的制海権のための作戦計画論のパターンを逆に太平洋戦争に適用してみると、実は太平洋戦争の場合にも非常に大きな盲点があって、意外や意外、そこを突く戦略をとれば、あの悪夢の太平洋戦争にも勝つ方法があり得たのではないかという、驚天動地の結論が導かれてきました。(しかもほとんど無理な設定なしでです。)
まあ太平洋戦争に勝つ方法があったなんていうと、世間的にはそれだけで頭がおかしいと思われることが多いんで、ちょっと公言のはばかられることではあります。(笑)
そんなこともあって、現時点ではあまりそのシミュレーションに深入りするつもりはないんですが、それでもどういう思考パターンをとればいいのかということを覚えておくこと自体は、非常に重要なことだと思うんで、敢えてやっておきたいと思うんです。
さて先日アップした知的制海権のための作戦計画案だと、その主眼は、こちらの主力を常識で考えられるように東(米国側)に向けることをせず、全く逆の西に向け、そして初期段階に初手でそこに拠点を築いてしまうということにあるということになっていました。
ところがこれ、実は太平洋戦争の時も似たような構図があって、まず当時も常識では東、つまり海軍は上から下までやはり主力を東の太平洋側へ向けてアメリカの方へ押していくという固定観念に支配されていました。
これは現在の戦史家やシミュレーションの常識でも依然としてそのままで、当時も今も、とにかく日本海軍は太平洋でアメリカ艦隊を撃滅すると、もうそのこと自体が半ば戦争目的と化していたわけです。(図1)

(図1)
で、すべての戦略はそれを念頭に立てられていたんですけども、ここで私はちょっと、ひとつ、第二次大戦の場合、むしろ西に戦略上の巨大な盲点があったということを指摘したいんです。それというのも、実は当時インド洋には、連合軍の重要な動脈が3本通ってたんです。
それはまず一つは北アフリカのロンメル軍と戦っている英軍、そのアレクサンドリアに対する補給線というのは実は喜望峰回りでこのインド洋を通ってたんですよね。
それからもう一つは、当時ソ連はスターリングラードでドイツと戦ってる最中でしたが、そのときのソ連に対する連合軍からの援助ルート、これが実はイランを通ってたんです。
それからもうひとつは蒋介石軍と日本軍が戦っていたときに、蒋介石軍に対する援助ルートが実はインドとビルマと、ここら辺を通ってたんですよね。
ということは、もし日本海軍がここ(インド洋)を制圧してしまったならばこの3本のルートが同時に、遮断されてしまうことになるわけですよ。
仮にそうなった場合、まずアレクサンドリアは確実に落ちてしまうから、中東全体がドイツの手に落ちると。それからスターリングラードもソ連は支えきれるかどうかわからない、つまりこの時期にインド洋の動脈を徹底的にやってしまうことが、実は第二次大戦全体を左右しかねない巨大な鍵だった。これが実は今まで軽視されがちだった盲点なんです。
(図2)
では具体的に日本としてはどうすべきだったかというと、まあ、ハワイ、真珠湾攻撃をやるところまではそのままで、とにかくシンガポールまでを取るところまでは、史実どおりに進めてOKです。つまり時期的には1942年の2月ごろまでは史実のままでいいですが、問題はそこから先です。
この時点でまだ日本は6隻の空母を持ってましたけども、現実の歴史ではこの時点で日本は引き続きそれを東の米海軍に向けるつもりでしたし、アメリカもそう思っていたわけですよね。
しかしこの場合、日本としては東への進出はこれで一応停止し、むしろ東では徹底した防勢に移行するべきだったというのが、まず重要な一点です。
つまり占拠した島に飛行場を作ってひたすら防備を整える。島の航空基地というのは空母に比べてコストの割に防御能力は強力ですから、マリアナまでの一列に並んだ島を基地化すれば、そこに米艦隊が入り込めないようにすることは十分可能です。
でまあ、おまけとして、やはりニューブリテン島のラバウルとか、ここらへんの、割と楽に取れるところまでは取っといて、これはアメリカ艦隊を半年程度阻止できる時間稼ぎの武器にしておきます。まあ史実でも2月までには大体ここらへんは制圧されてますが、別に死守することは考えず、いざとなったらじりじり後退しながら半年ぐらい向こうの前進を遅らせるために使うということですね。
で、こういう風にして東に対する防備を固めた上で、日本は艦隊、というより攻勢そのものの主力を全部徹底して西へ向けるべきだったというのが、実は私の考えた太平洋戦争の最大の鍵なんですよね。(図3)
(図3)
つまりこの有利な時期に、初手でとにかくインド洋上の島をいくつか取ってしまって、そこを航空拠点として確保してしまうわけです。モルジブとかディエゴ・ガルシアとか、まあ島の候補はいくつか考えられますが、例えば、モルジブの南端にあるアッズ環礁って奴をまず取ってしまうと。
大体当時の常識では、米海軍側としても日本は東の太平洋へ来ると思っていたでしょうから、主攻が西へ向けられるというのは、それ自体が一種の奇襲です。
おまけにこの時期のインド洋のイギリスの空母部隊っていうのは、何せ艦載機が複葉機という有様で非常に弱かったですから、多分日本の空母6隻がここへ本気で来たらイギリス空母の力ではまず、防げるもんじゃなかったはずで、まずこれは1か月や2か月で確実に落ちていたでしょう。
そして、続いてもしも余裕があったならば、一応セイシェルまでを取っておくと。するとどうなるかっていいますとですね、大体この緑の輪で囲ったぐらいの領域が、日本の海軍の航空機の覆域に入るんですよね。ということは、アッズとセイシェルを取ってしまえば、もう、ユーラシア大陸の南岸への重要なルートへの接近路がほとんど完全にふさがれてしまうわけですよね。(図4)
(図4)
これを大体42年の5月までに出来たとすれば、その頃はまだ、ロンメル軍も元気だったし、スターリングラードの戦いもまだ始まっておらず、ソ連がウラルに疎開させた工場の生産立て直しに必死になっているころですよね。
そしてこのインド洋ルート遮断作戦には実は、ある意味でそれよりももっと重要なことがあって、それはこれで英本土インド自体との連絡が連合が絶たれてしまうということなんです。つまりこの段階からもうインド陥落ということまでも視野に入ってきちゃうわけじゃないですか。
この時にイギリスの立場からするならば、まず、このアフリカ戦線への補給が途絶してそこが陥落する。それからソ連が脱落するかもしれなくて、そしてインドを失ってしまうかもしれない。実はこの最後のこれが一番決定的なんです。
・ 講和相手の選択
そしてこの戦略のもう一つの大きな特徴は、講和相手の主体をアメリカではなくイギリスに狙いを絞るということです。
私は、当時はアメリカに対して講和を持ち掛けるってことは絶対不可能だったと思うんですよ。なぜならアメリカは10倍の国力を持ってるから、時間さえかければ必ず日本側を圧倒できるということを知ってたわけですよね。時間が味方についてると思ってるからアメリカ側は絶対講和に応じない。
その代わり、そうじゃなくて徹底してイギリスに講和を持ちかけて、いわば連合国側の弱点から、なし崩し的に休戦状態に持ち込んでしまうということ、これが唯一の策だったと思うんです。
まあイギリス側に持ちかける条件としては、もし講和が成って米国との休戦も実現するならば、その時点でもう日本としてはナチスドイツとは手切れでいい。つまりまあ少々節操がないですが、ナチスドイツとの同盟を解消して、一気に寝返って日英同盟復活でもいいというわけですよね。
そして日本側の主張すべき条件は、石油の確実な確保です。つまり例えば、オランダ領の植民地とその石油は日本が頂く。それから、石油を安全に日本に運ぶためのシーレーン防御拠点のいくつかを頂く。
そのかわりシンガポールをはじめ、もと英領だった部分の占領地は、その時点から5年後ぐらいまでにイギリスにほとんど正式返還する。ただ軍事的な重要拠点は、戦争期間中は日本が保持するが、日英同盟という新しい枠組みができれば、その中で、戦争中でも英海軍、英空軍にそれらを同盟国として使用することを許可します、という条件で、さあそちらさえ良ければこちらはナチスと手切れしますけどどうしますか、とイギリスに迫るわけですよ。
そして無論、これが拒否された場合には、日本はロンメル軍に徹底的に協力してスエズを落とし、イランとその石油も共同で英国からもぎ取り、一方中国から引き上げた陸軍をインドに投入し、英国からインドを永久にもぎ取る作戦を本格的に実行する体勢に入るわけです。
それはあるいは最終的な結果として日英共倒れという結末で終わるのかもしれませんが、どのみち実際の歴史でも英国は米国の外交に乗せられて日英同盟を切って日本との潰し合いを演じ、ある意味で実質的に第二次大戦最大の敗戦国になってしまったようなものなのですから、このさい共倒れを覚悟の上で英国にそれを迫るというのは、日英双方から見ても必ずしも外交上、非理性的な行動とは言えません。
その場合やっぱりイギリスとしては、今、日英同盟を結ぶことができれば、一応ここの脅威というのは全部なくなって、対独戦に集中できるわけですよね。で、ここら辺のルートも全部通れるようになるわけですから、インドを保持した上で、第2次大戦にも勝つことができるようになることができるかもしれない。
この場合、とにかくインドを失うということに関して、イギリスとアメリカの間ではその反応に相当な温度差があって、とにかくこれはイギリスにとっては最大の死活問題なわけですよ。実際インドを失っては、たとえドイツに勝っても戦争に勝ったかどうかは疑わしくなるほどで、講和への動機としてはこれだけでも無視できないものがあったと思います。
しかしアメリカとしては、イギリスにそんな講和に走られてはかなわんというわけで、とにかくアメリカ海軍が全力で支援するからそんなことはしてくれるなと、多分そう言ってくるはずです。そうなれば戦略は第二段階というところでしょう。
要するに、アメリカが、米空母がインド洋の日本空母を撃破するから、そんな講和に走るなと要求し、イギリスとしては本当にそれをやってくれるならということで、当面は講和を思いとどまる。ただし、それができなければその時はこっちにも覚悟がある、というわけで、インド洋での決戦が外交上の鍵になるという構図です。
・作戦の第二段階
そしてこの第二段階に突入した場合、そこでの大きな戦略上の鍵になるのが、実は、日本はシンガポールを中心とした内線作戦をとれるということです。つまり日本海軍は6隻の空母をここに集中させて、インド洋方面と太平洋方面のどっちへも出られる有利な体勢を占められるということです。
逆にこれを米国側から見ますと、アメリカとしては太平洋を空にするわけにはいきませんから、ハワイあたりの太平洋にはやはりどうしても2隻は空母を置いておきたい。ところがこの空母がインド洋に行くためには、オーストラリアの南を大きく迂回していかなければならず、シンガポールから最短距離でどっちにも出られる日本側に比べて大きなハンディを負っていることになります。
オーストラリアを迂回している時に無防備の太平洋を日本側に突かれたら大変ですから、結局この2隻は、不利を承知で太平洋に張りつかせておくしかなく、結果的に米空母は太平洋とインド洋に二分されてしまう構図を強いられる公算が高いでしょう。
で、アメリカとしては当時、正規空母を一応6隻ほど持ってましたけども、1隻ぐらいが損傷していると考えると、まあ実働で5隻、そしてそのうちの2隻を太平洋に貼り付けておくとなると、インド洋に割けるのはがせいぜい3隻が限度だと思うんですよね。

(図5)
まあイギリスも空母をもっていますが、もともと弱体ですし、セイシェルを巡る戦いのあたりで1隻か2隻沈んでいる可能性もある。また地中海のマルタ島も危ないとなれば1隻か2隻はひょっとしたら、地中海へ置いておかなければいけない、となると、米英合わせてインド洋にはやはり3隻展開が限度と見ていいんじゃないでしょうか。
で、この時にまだ日本軍は6隻持ってます。(ミッドウエー海戦なんかは最初からやらないわけですから。)まあ、もし不幸にして1隻損傷していて修理中だったとしても、5隻活動できると考えていいでしょう。その場合でもとにかく5対3ですから、よっぽどのへまをしない限り負ける戦いじゃありません。
実際ランチェスター法則を普通に適用して計算すれば、アメリカ側が3隻全滅の時点で日本側には4隻残る計算になります。
ですがここはもっと思い切り辛く採点して、日本側が2隻喪失で、アメリカも2隻喪失ぐらい、そのぐらいの結末になったとしましょう。
しかしこの場合でさえ、この時点でインド洋には日本側が3隻、アメリカ側が1隻を展開可能ということになります。しかしこれでは、アメリカ側がその目的を達成できず、イギリスのシーレーンが遮断されている状況を打開できないということは明らかですから、たとえ戦術的に引き分けでも戦略的には勝負あったというところでしょう。
とにかくアメリカの巨大な工業力をもってしても、現実に新しい空母が就役するのは翌43年の中頃あたりですから、それまでイギリスは何もできずインドの陥落を指をくわえて見ているしかないわけです。
それともう一つ、細かい問題なんですけど、実はこの状況だと、現実の歴史では無用の長物だった日本の戦艦が、かなり役に立つ局面が生まれてくるんですよ。
それというのも、シーレーンを遮断する際には、何と言っても戦艦が海の真ん中に居座っているというのが一番効くんです。それは実効性よりも多分に心理的な問題で、潜水艦の脅威があるぐらいだと、そこに護送船団を強引に送り込んで強行突破するということも行われるんですが、強力な戦艦が腰を据えているなると、しばしば海軍本部が最初から護送船団の派遣自体を断念してしまい、結果的に最も効果的にシーレーンを遮断できることが多いんですね。
それにまた、何と言っても戦艦の「見た目」のプレゼンス効果というのは大きくて、イギリスから見るとそこに日本の戦艦群が居座っていることは、イギリスの権威を刻一刻失墜させて、インド内部の独立派を力づけてしまうのではないかという強迫観念になってきます。
要するにここに戦艦群を置いておくと、それだけで相当な心理的圧力をかけることができるというわけです。
とにかくアメリカがもうこの状況で日本をインド洋から駆逐することに失敗した以上、このインド喪失秒読み状態の中でイギリスが講和に動くのを止めることはかなり難しくなってくることは確かです。とにかくイギリスとしては、戦争に勝ってもインドを失っちゃえば、もう、勝ったことにならない訳ですし、それは一旦失ってしまえば戦後にアメリカに泣きついても戻ってこないと考えるべきものです。
おまけにこの頃は地中海のマルタ島やアレキサンドリアも陥落寸前の有様で、2方向からの陥落秒読みとあっては、さすがのイギリス人の粘りをもってしてもちょっと限界というところでしょう。
だから、この戦略でやると、1942年の8月かそこらまでにはイギリスとの講和を通じて、なし崩し的に休戦を実現できていた可能性はゼロではなかったと思います。
これがもし翌43年の中頃以後にまでもつれこんだとなると、さすがに国力差というものがどうしようもなく表面化してきて、日本側にはもう成功の見込みは全くなくなりますが、秒読みの力を最大限に利用してこの時期までに片をつけられれば、勝利の可能性はそれなりにあったと言えるでしょう。
無論これを行うためには、開戦前から中立国を通じてイギリスとの外交チャンネルをあらかじめ温存し、それをナチスドイツに察知されないようにしておくという、スパイ小説顔負けの高度な外交謀略の周到な準備が必要ですが。
考えてみると、日米開戦自体、もともと英米首脳は、何とかしてアメリカを対独戦に参戦させる手段を見つけようとして必死になっており、そしてヨーロッパから見れば一種の裏口である対日戦というものから入る形で対独宣戦を可能にしていました。
で、今回は日本がその逆を行い、イギリスという裏口から入る形で、対米講和を可能にするというわけです。
こうしてみると、日本はまるで回転ドアを回すみたいにして、アメリカを対独戦に参戦させる一方、日本自身は逆にドアを一回転させて反対側から外へ出てしまうという、奇妙な歴史的役割を果たすことになるわけです。
これはちょっと日本人の思考パターンにはないアクロバットかもしれませんが、しかしアングロサクソン外交の常識に照らせば、むしろ普通の発想、というより、このぐらいのことを考えられないようでは最初から彼らと張り合うのは無理だったと言えるのかもしれません。
一方またこれは日本の国内問題として、陸軍に対しての国内政策の意味もあります。つまり関東軍をどうやって説得するかという問題なのですが、この場合、やっぱり陸軍を最低限、満州内部にまでは退かせないことには、いくら何でもアメリカ側が講和に難色を示したと思います。
そこでこの場合陸軍に対して、海軍の力で蒋介石支援ルートをインド洋から絶つという方針をとるから、直接攻撃はもういいだろうと言って陸軍を説得する一方、インド作戦に備えて待機という名目で、中国本土から陸軍を引き上げてしまう。
さすがに関東軍に対して、満州を放棄せよ、っていうのは、そりゃ無理だったと思うんです。ただ関東軍はじめ日本陸軍が、中国本土からは撤退してとにかく満州の中に引っ込むって条件であれば、アメリカとも何とか講和を結べた可能性は十分あると思うんです。
そうやって中国から一旦兵を引けば、多分すぐに中国国内で毛沢東と蒋介石の内戦が始まるでしょうから、無理に蒋介石に攻撃を加える必要など自然に失せていくでしょう。
まあアメリカに講和を納得させるには、もう少し色をつけてやることは必要で、どうせいらないマーシャル諸島なんかはアメリカに譲る、それからラバウルあたりをまだもっていたら、とにかくシーレーン防衛に関係ない島なんかは全部アメリカにやってしまって、勝ち負けのイメージをうやむやにしてしまう。
まあこのときアメリカとしては、ナチスドイツが片づいたら、その後で2年ぐらいして日本ともう一度戦争をやってこれを取り返せばいいやぐらいに考えて講和に応じると思うんですが、現実にはそうやってるうちにソ連の脅威というものが大きいってことが明らかになって、リターンマッチは取りやめ、ということになった公算は大きいと思います。
そうやってやってみると日本としては、最終的には東南アジアの石油と満州を抑えることができて、シーレーン防衛体勢も確保できる。また日英同盟を復活できた上に、インドに対するある程度の権益も確保できる。これは日本にとっては十分に勝ちですよ。
ただ強いて言うと、歴史の後知恵から見たときのこれの唯一の欠点は、ちょっと皮肉なことなんですが、負けの体験学習ができなくなるってことなんですよね。実は当時の日本の工業技術体系は、例えば部品の規格化という思想がないとか、エレクトロニクスが弱いとか、そういう根本的な欠陥を抱えていました。そして太平洋戦争は、その弱点を一挙に暴露させることで、結果的に巨大な学習効果を日本に与えたんですね。逆に言えば、太平洋戦争の技術的教訓がなければ、日本の技術が現在の隆盛を極められたかどうかは疑わしいと私は思っています。
つまりあの時なまじうまく勝ってしまっていると、その教訓が得られずに、次の経済戦争で負けることになった可能性があるという、実に皮肉な結果が予想されるんですけども、まあそこまで考えない限りはこれはベストの選択だったと思いますね。
まあそれはともかく、大体今までの一般常識からすると、太平洋戦争なんてのはもう何をやっても負けるしかない、勝つということは絶対にあり得ない戦争だというのが常識として定着していたんですが、この戦略でやってみる限りは必ずしもそういうわけではなく、何とそれなりに五分五分で勝利に持ち込む方法がちゃんと存在していたという、実に驚天動地の可能性が出てきたわけなんです。
こうなってくると、これはもうお遊びといって片づけるわけには行かず、それというのも、やっぱり国にとって過去の歴史のどうしようもなかった時期に、後知恵でもいいからそれでも一応どうすべきだったのかという、模範解答をちゃんと一通り知っていることは大変重要だと思うんですよ。
そしてどうも太平洋戦争に関する限り、今までそういうものがあったとは言い難い。太平洋戦争に関しては、一つの決まり文句として、日本は絶対に戦争をすべきじゃなかった、ていうことが言われていますけども、しかし果たしてそもそもそんなことは可能だったのか。つまり日本側が望みさえすれば戦争を回避できたものなのかということ自体が大問題です。
そしてここで私はイラク戦争を思い出すんですが、あのときに、アラブの新聞に風刺漫画が載ってて、それが傑作でした。ブッシュ大統領が花占い、要するに「愛してる・・愛してない・・」というやつをやってるんですが、彼が花びらをむしりながらつぶやいてる台詞が「イラクを攻撃する…イラクを攻撃する・・」(笑)
つまり私に言わせれば、太平洋戦争の時もやっぱりイラク戦争の場合と同じで、どう考えても当時アメリカ側が日本に対して何が何でも戦争をやるつもりでいて、そのために外交的な無理難題を吹っかけていたとしか思えないんで、日本の意志で避けるなんてこと自体、そもそも最初から不可能だったとしか結論のしようがありません。
そのため最初からあり得ない結果を解答にしているために、ここで戦略論議がいつも袋小路の思考停止に陥っているんですが、とにかくもし戦争を避けることが最初から不可能だったのだとすれば、やむを得ない選択として、戦ってそれなりに負けない戦略を一つの解答例として見いだしておくというのは、思考停止に陥らないためにも大変に重要なことです。
実際問題、「戦争はしてはならなかった」という処方箋が、実は日本側の選択肢としては最初から存在していなかったとのだすれば、沖縄戦の「ひめゆりの塔」の悲劇、さらには東京大空襲や原爆の悲劇なども、それらを避けるための処方箋は実は結局はこれしかなかったということになってこざるを得ないのではないでしょうか。
そしてあらためてその戦略の盲点というかポイントを再度整理しておくと、まず日本としては兵力を東へ向けるんじゃなくて、太平洋では基本的に防勢をとる一方、すべてを西へ向けてインド洋で攻勢をとり、初手で拠点を確保してしまって、連合国側の生命線たるこの3本の動脈を脅威する。そしてインド陥落を秒読みに入れながらアメリカではなくイギリスに講和の圧力をかけていき、相手側の戦力増強が本格的に始まる前の1942年の時点で、なし崩し的にでも良いから、一応連合国との休戦に持ち込み、その後は日英同盟の復活ということに力を入れる。まあもともと日英同盟を切ってしまったことは、英外交史上最大の失敗と言ってもいいことでしたから、長い目で見ればこれは向こうにとっても不自然なことではありません。
一方海軍の軍事作戦という観点からしても、当時の日本海軍はせっかくシンガポールというところをとりながら、シンガポールを中心とした内線作戦を取ろうとしなかった。だからみすみす3本のその動脈への締め上げも、イギリスという最大の弱点も、シンガポールを中心とした内線作戦の利益も追求しなくて、シンガポールを落としたところまでは大したもんでしたけども、そのあとは明確なゴールもなしに単に東へひた押しにしていくっていう戦略しかなく、講和も米国内の厭戦気分頼みだった。
実際こうしてみると、日本海軍の発想のどこに欠点があったのかが、あらためてよく浮き彫りになってくると思います。
しかしそれにしても、前回に無形化した形での知的制海権のための作戦計画と比較すると、押さえるべき基本パターンがあまりに似ていることには驚かされます。そうしてみると、これについてあらためて考えることは、お遊びどころか国全体にとって大変基本的で重要なものを秘めているような気がしてなりません。
ですから本当にこれで勝てたかどうかということは一応別問題としても、一つの解答例としてこのパターンは是非頭の中に叩き込んでおいていただきたいと思います。
まああまり精密なシミュレーションを行ったわけではありませんし、それに深入りするつもりもないんですが、できれば将来どなたかに本格的なシミュレーションをやってもらいたいとも思っています。