米大統領選後の世界の行方(中編)-オフェンスとディフェンスの新戦略

※2004年11月例会講義を編集したものです。

前編はこちら

●前置き

 前回は大統領戦後の世界の動きがどうなるかという事をお話しました。そして前回の結論では、今はまだそこまで沸騰はしてないものの、結局歴史の流れは「コラプサーか倒米か」という、非常に極端なところに行ってしまうのではないかという話になりました。

 今回はその続きと言うことで、「それでは日本はこの状況下で一体どうしたらいいのか」という話です。とにかく第二期ブッシュ政権が前にも増してターボがかかっている現在、これは前回の内容よりも多くの人が、本当は答えを知りたがってる問題ではないかと思います。

●小泉政権の問題点

 とにもかくにも、もしアメリカが将来そんなまずいことになるのだとしたら、今の小泉政権みたいにアメリカべったりの姿勢は長期的に見ると、従来とは次元が異なるほどにまずいことになってくることは明らかです。しかしどうも小泉政権、というより何だか今の世の中全体で、保守派が親米ヒステリーみたいになっている面があって、それが状況をさらに厄介にしているような気がするんですよ。で、本題に入る前にちょっとそれについてもふれておきましょう。

 その親米ヒステリーの心情を幕末の歴史に照らしてみると、ちょうどこれは例えば今まで外様だった藩に、京都守護職などに人を出せば譜代待遇にしてくれるという話が持ち上がり、それを持ち掛けられた時の、藩の家老の興奮ぶりみたいなものを私はイメージするんですよね。

 当時は外様の藩であっても保守的な家老なんかは佐幕意識というのはかなり強くて、藩内で倒幕なんて事を言う若いのがいたら、(ちょうど人質事件で家族がバッシングを受けた時みたいに)とっちめて牢にぶち込んじまえ、てな感じだったでしょうし、譜代待遇を得られるなら、それこそイラクに新撰組みたいなのを出すのも大賛成、てなもんで、まあ当時の家老の立場としては分からない訳じゃないですよね。

 これは、幕府が倒れないと仮定するならば、正しい大人の判断なんですが、現実の歴史のコースは倒幕という道を歩むことになって、かえって無知な若者の方が正しいという皮肉な結果になった、というよりそれどころか、例えばもう京都守護職を買って出た会津藩なんかは最後は相当悲惨な運命をたどる事になりました。そういう過去の例を見るにつけ、歴史のサイコロ次第ではこれは放って置いたら会津藩と同じ運命になっちゃうのかな、という気持ちもしない訳ではないですよね。

 当時の藩家老の盲点というのは、西洋文明の到来による社会的・政治的変化を予測できないことにあったわけですけれど、小泉政権の外交姿勢の盲点というのは、まあ次の二点でしょう。まず一点は言うまでもなく、アメリカの覇権というものが、ハーモニック・コスモス信仰という誤りに基づいていて、それが数学的な証明で呪縛が解けることが確定してそれが時間の問題と化していること、そしてもう一点は、アメリカの東部エスタブリッシュメントたちの「中国への異常な愛情」、つまり米・中が裏では緊密に精神的につながっている事を無視しているという点です。

 少々脱線しますけど、特に後者の盲点に注目すると、小泉政権の最近の行動というのはよく読めるように思います。あの政権というのは、非常に反中国的な色彩が強い一方で、その反動として親米的な色彩が逆に強い。これはアメリカと中国がつながっていないとしたならば、これはそれで一つ筋の通った外交の選択の一つではあると思うんです。

 ところがもしアメリカにとって本命の結婚相手が中国で、裏でつながっているならば、これでは基本的に破綻を約束されていて、結局アメリカに一方的片思いして、貢ぎに貢いで最後に捨てられてしまうという「キープ君」あるいは「都合の良い女」みたいな立場のパターンになってしまう恐れが強いと言わざるを得ません。

 例えば常任理事国入り問題なんかに関しても、もしアメリカが中国を本命の結婚相手と考えているならば、結局最後は中国が拒否権を使って、この話は無しになってしまうだろうという事は明らかなんですけど、どうも小泉政権はこれだけ尽くしたんだからアメリカが日本を選んでくれると信じていたらしく、国連で演説したけど全然相手にされず、そして案の定アメリカからはリップサービス以外何にも来なかったというのが実状です。

 脱線ついでに常任理事国問題についてもう少し言えば、私は今の段階ではその話は潰れた方が良いと思っています。その理由は、国連の常任理事国とかになってしまうと、大量の情報がどっと入ってくることになるんですが、問題はその情報を日本で吟味する能力がまだ育っていないことです。
 その時どういうことが起こるかは大体想像がつくんで、そういう場合、アメリカから情報を頂いたという人が、他の人間を全部素人扱いにして、日本人が日本の常識で判断したものを、「素人の意見だから聞くに値しない」と言って全部却下するという現象が多分起こってくると思うんです。

 それに似たことがすでにイラクの大量破壊兵器の問題の時に起こっていたと思うんで、あの時なんで小泉政権が向こうの嘘をあそこまで鵜呑みにしてしまったのかというと、恐らく向こうから情報を貰った人間が、「俺はすごい情報を貰ったんだ」ということで舞い上がっちゃって、それで、日本の中で常識論から一歩一歩積み上げた論というのを、嘲笑して全部却下してしまったというのが多分本当だと思うんですよ。その結果、皮肉なことに情報をもってなかった時代よりもかえって頭脳を向こうにコントロールされてしまうという結果になってしまったというわけです。

 だから、例え常任理事国に入るにしても、それ以前の問題として、まず頭脳がアメリカから知的に独立する、つまり知的制海権を取る事をやらないと、常任理事国には入っても意味が無いんだという事が言えるわけです。もっとも、知的制海権の重要性を理解していないというのは、この政権、というよりは日本全体がまだ十分に理解していないことではありますが。

 まあ以上、小泉政権のことをさんざんけなしはしましたけれど、しかしそうは言うもののやっぱり対米従属そのものは止むを得ないと言わざるを得ません。対米従属をいきなり脱すると言ったら、アメリカは日本に対する陰に陽にの制裁手段は幾通りも持ってますから、それで日本の経済を参らせるぐらいの事は、本当にそれは出来るわけでしょう。だから政権が変わったところで、やっぱり対米従属そのものは続けざるを得ないと言うのは、これは私もそう思うんです。

 ただ現にこうして第二期ブッシュ政権がますます暴走に拍車をかけ、そしてもし将来その反動として世の中が本当に倒米というところに向ってしまうのだとすれば、これでは会津藩とまでは言わないにせよ、相当に深刻な問題になることは明らかで、おまけにその脱出方法が容易に見つからないわけですよね。さて一体どこからどうやって脱出ルートを開いたものでしょうか。

●日本が取るべき道は

 ではどうすればいいのかということですが、それに関しては恐らく次の方針が唯一の解答だと思われます。答えを最初に言えば、それは、「日本国内のパワーをディフェンスとオフェンスという2つの勢力に分ける」ということです。
 要するに「国の安全を守るために当面ブッシュのアメリカについていく」というディフェンス勢力と、「アメリカが世界をコラプサーの地獄に落とすことを阻止するために、アメリカの戦略そのものに楯突く」というオフェンス勢力を、国内にそれぞれ育てて、それらが別個に役割を分担するということです。

 要するに日本のパワーを「親米的な防御側」と「反米的な攻撃側」の二つに分けるというわけですが、この発想は、そもそも「無形化戦略」という新しい概念を踏まえてその上ではじめて成り立つ戦略方針であって、従来のように政府勢力とその軍事力を国際社会のパワーの主役と考えるやり方からは生まれてこない発想です。
 そのためこの戦略構想は、あくまでも、無形パワーを軍事力と同等の戦略単位と捉え、さらに経済力という陸軍的パワーよりも、知的制海権という無形化した海軍力の存在を認識してそちらを重視することで、はじめて成り立つものです。
 しかし逆にひとたびその前提を認めるや、これ以外に解答はほとんど存在しないのだということが浮き彫りになってくるでしょう。

 この構想の場合、非常に特徴的なのは、政府勢力そのものをまるごとディフェンス勢力と捉えるということです。つまり政府の立場としては、日本の産業の9割とともに、ディフェンス側に回り、ひたすら対米協調路線を取って、日本の経済と国民生活を守ることに徹する。まあはっきり言えばディフェンス側のスタンスとしては、格好良さなどはどうでも良いから危ない事は考えないで、得たものをとにかく守る事だけを考えるというわけです。

 その一方で、日本の持ってる最高の精鋭部隊10%ぐらいを、政府とは別の立場やスタンスをもつオフェンス勢力として新編成し、これをアメリカへの挑戦を行うための部隊とするわけです。
 こちらが何を任務にするかは、後に詳しく述べますが、とにかく文明全体にとっての最優先課題である「コラプサー化の阻止」という主題を巡って知的制海権をアメリカと争うことが、基本的な任務です。まあその過程で恐らく必然的にアメリカに逆らうことになるわけですが、そういう事をやっているうちに、もし世界全体の流れが倒米などという事になってしまったならば、その時にはディフェンスに取って代わって主役に一気に浮上して、国全体を安全コースに導く。そのように暫くの間は予備として存在する勢力です。

  そういう具合ですから、ディフェンスとオフェンスの数量的な割合は、半々ではなく、むしろオフェンスはせいぜい国力の10%ぐらいで、残りの9割を占める大半はディフェンスに回すというぐらいのパーセンテージで丁度良いでしょう。そしてこのようにして外から見ると一見矛盾するような、対米協調を主にやるディフェンスと、アメリカへの挑戦をやるオフェンスを国内に同時に混在させておいて、どちらが主攻でどちらが陽動だかが外からはわからない状態にしておく。そして最後に阿吽の呼吸で上手く両方をまとめる。それが日本が生きていく唯一の道であるということは、私は断言していいと思うんです。

●政治家同士の役割分担は危険

 ところで、ここで一般人がオフェンスとディフェンスに分けると聞いてちょっと錯覚しがちなのは、野党をオフェンスに、与党をディフェンスに使えばいいのではないかという事です。しかし実はこれはあまり賢明な方策とは言えません。それというのも、一般に精神的に似たメンタリティを持つ者同士が対決するほど、近親憎悪のヒステリーを燃え上がらせてエスカレートし易いというのは、歴史の法則だからです。

 大体与党だろうが野党だろうが、それを構成する人間は要するに同じ政治家という同一のメンタリテイーを持つ者同士ですし、前者に親米ヒステリーが蔓延している現状で、今度は後者を反米ヒステリー勢力として育ててしまったら一体どうなるか。おまけにその時はマスコミが熱くなって火に油を注ぎ、これまで見られたごとく、マスコミ主導の政治的ブームは必ず悪い結果をもたらすというのは、日本の歴史の教訓です。
 そのためやはりここは、与党と野党で攻守を分担するという安直なやり方を取ることなく、敢えて日本の中でもメンタリティー的に少し政治家たちとは異質な部分で攻守の勢力を分けるようにしなければいけないということが明らかになってきます。

 それならどうすれば良いか。ここで意外な解答として浮かび上がってくるのが、次の解答です。それは、理系集団ないしその一部という、まあ日本の社会の中でちょっと特殊なメンタリティをもつ集団を、一つの政治勢力というか戦略単位として、これをオフェンス勢力として使うということです。
 しかしそれは政治団体として使うわけではありませんし、いわんや単なる物作りの下支え勢力として使うわけでもありません。むしろこの集団を一種の無形化した海軍力みたいなものとして捉えて、知的制海権をとるという、日本にとって最も重要な戦略行動のために用いるということです。

 極端に言えば、理系をオフェンス、文系をディフェンスという形で役割を分担させ、文系の政治家集団はディフェンスとして、いわば陸軍的な立場で本土防衛を行う。一方理系の科学者集団はオフェンスとして、いわば海軍的な立場で、米国の知的制海権に挑戦する。そういう風にオフェンスとディフェンスを分担させるということです。

 実を言えば日本は過去に無意識のうちにこの方法をとって一度成功しているんです。つまり冷戦=準三次世界大戦時に、日本は政府・軍事面ではアメリカの味方だが、経済・技術面ではアメリカの敵という具合に、ディフェンスとオフェンスを分ける格好になっていました。そして世界全体が、軍事力と経済力のどちらが主攻でどちらが陽動だかわからない状態にあった中、アメリカが前者を主攻と考えているうちに、日本は後者を主攻とすることでアメリカの圧力の下で経済大国にのし上がるという、本来無理なことに成功したわけです。

 ただ、前回が経済力という陸軍力パターンが主体であったのに対し、今回は知的制海権という海軍力パターンが主体になるという点が違っていますが、とにかく政府だけを外交戦略の主体と考えるのではなく、政府とは別の場所にもう一個の存在を置いてそちらを主力とし、むしろ政府は陽動に用いる、という新しい戦略構想を確立することによって、この手詰まり状況からの脱出ルートを開くということであり、総合的に考えればやはりこれが唯一の戦略であるように私には思えます。

●100兆円の設計図

 この常識外れの構想の具体的な細部、特に、日本の理系集団を国際社会のパワーとして使うということにどういうメリットがあるか、それをどうやって行うかなどの具体論については次回にお話するとして、それではオフェンス側に立つ勢力というものが具体的に何をやって行くか、ということを今日はメインにお話したいと思います。

 オフェンスを日本の理系集団が担当して知的制海権をとる、といっても、具体的に何をするのかというのは、もう一般にはイメージからして皆目見当がつかないのじゃないかと思います。しかし私はその答えははっきりしてると思うんで、日本のオフェンスの成すべき事は即ち「設計図!設計図!設計図!」であると。

 要するに次の時代の文明社会の設計図というものがないから今、世界の政治とかそういうものは今何にも動けないんですよね。考えてみると幕末時代のいろんな人を見ても、割と魅力のある明るいことをやってる人というのは、海舟にせよ竜馬にせよ、実は設計図をもっているか、少なくともその設計図をもつ集団に近い場所にいた人なんですよ。設計図に近いところにいた人々は、日本をどうすればいいかということを明確に持ってたんですけども、設計図から遠い人間というのは、もうこれは空理空論と斬り合いしかやって来なかった。

 まあ新撰組などはその最たるものですけども、とにかく後者の連中がやっていたのはひたすらテロの応酬だけで、そう考えると設計図というものが無かったら幕末史というのはすごく暗い、血生臭いだけで暗くて、得るものもない時代だったと思うんです。そして彼らの立場はどこか今のテロリストたちにも一脈通じるものがありますよね。

 とにかく設計図というのはそのくらい時代を動かすのにも世界を制するにも大きい力を持ってるはずなんですけども、ところが日本の一般社会では設計図というものが如何に重要だったかが分かってなくて、頭を抱えてしまいます。

 例えば政治評論なんかで気易く「日本の政治家は理念を持て」とか言いますけどもね、これは実は私に言わせれば、田舎の村長さんに自力で宇宙船を設計して、ロケット工学を踏まえた完全な設計図を書き上げろ、と要求するに等しいことです。これは選挙に忙しい政治家が選挙の片手間に考えられるような、そんな安っぽい代物じゃ全然ないんで、そういう安直な見解がまかり通っていること自体がむしろ問題なんですよ。

 そもそも今世界を動かしている設計図というのは、17世紀にジョン・ロックの啓蒙思想から始まって、その啓蒙思想がアダム・スミスの自由主義経済学を生み、それがもう少し進化してアメリカ的な資本主義になったという、恐ろしく時間と知的コストがかかったものです。
 まあ文系の人が知ってるのは此処ぐらいまでなんですけども、さらにこの話には奥があって、ジョン・ロックの啓蒙思想というのがどっから出てきてるかというと、実はそれはニュートンの天体力学から来ているんで、そしてその天体力学を作った最大の原動力が微積分の発見だったわけですから、実はこの設計図は微積分・解析学の出現から始まっている、逆に言えば解析学の成立が世界史に与えた影響がそこまで来てるという事なんですよね。

 要するにこの設計図の知的コストたるやそれほどのものなのであって、そして日本の場合には、ヨーロッパで、微積分から始まって300年掛けて造ったものをアメリカがさんざん応用して使い倒し、それを「もう使い倒したからいいや」っていうのでタダで貰った。

 つまり一番高価な設計図をタダでもらうことで、それに掛かるコストを異常なほど安く済ませて経済発展が出来たわけで、その事が戦後の日本の発展の隠れた要因でした。要するにその設計図を単に事業化すればよかったわけですから、あの時期はまあ確かに日本の社長さん達は頑張りはしましたけども、でもある意味でその点に関する限りは楽な戦だったんですよ。

 ところがそれが日本の長老の変な成功体験になってるもんだから、「若い連中は怪しからん、俺みたいにできないのは頑張りが足らないせいだ」と言うんですけども、実はその設計図が本当はいくらぐらいするものだったのかがわかっていない。そして現在、その設計図がもう旧式化して使用不能になりつつある訳ですから、それだけの膨大な手間掛けて新しい設計図を書かなければどうしようもないわけで、結局これがすべての問題の根本なんです。

 それならその設計図の知的コストっていうのは一体どの程度のものだったのか。それをまともに考えると実に卒倒するようなもので、その設計図に無理やり値段をつけるとすれば、どう考えても100兆円以下で買えるような代物じゃないんですよね。
 現実問題、アメリカの世界支配を支えているのは、その設計図を我が物として半ば独占的に旗印として使えるという事実に決定的に依存しているのであって、それなしではあの軍事力も核戦力も十分に力を発揮し得ません。その事を考えるならば、少なくともアメリカの軍事費あるいは海軍予算の10年分くらいには優に相当するんで、そこから考えると設計図の値段は100兆円と見積もってもまだ安いほどです。

 ところが日本社会の場合、その値段を2桁安く見積もるなんてのはまだましな方で、中小企業のおじさんなんかは7桁ぐらい勘違いしているのが普通で、たかが100億円で球団を買収するとかいう話にひれ伏してしているという情けない有様です。そのため日本が単なるアメリカの下請け中小企業国から脱却するためには、まず「その設計図のお値段実に100兆円!」、ということを理解することから始めることが不可欠のようです。

 おまけに、ヨーロッパの場合それを書き上げるのに300年掛かりましたが、我々の場合は300年も掛ける時間的余裕はないわけでしてね。どうしても30年程度で何とかやってしまわなければならない。

 そしてもう一つ決定的な問題というのは、そもそもこの設計図は、微積分学という数学史上の一大エポックが元になって、そこから発してる訳ですから、逆に言えばそれに匹敵するような数学的なツールがあって、そこから出発しない限りは、設計図なんてものは所詮書けるものじゃないということなんですよね。

 普通だったらこんな条件は、そんな簡単に満たせるものじゃないですけれども、我々の場合には幸運な事に「作用マトリックスN乗理論」という強力な武器が存在しているから、そこを通じて新しく設計図を描き始めて行く事は十分出来るわけです。

 しかし同時にこれは、アメリカのハーモニック・コスモス信仰に基づいた旧設計図と鋭く対立せざるを得ないという問題をも抱えています。それはアメリカの建国理念、というより文明の拠って立つ基盤となる理念そのものに真っ向から対決することになるわけですから、相手側からすればそれに負けることは知的制海権の喪失を意味し、さっきの設計図の値段から想像しても、それは経済競争や石油・核の問題すら上回るほどの死活的問題に発展しかねません。

 現実に設計図を握る者が世界を制する以上、そこに挑むということは、結果的に軍隊を動かす以上の挑戦的な行動とならざるを得ないわけで、これは戦略的には自衛隊だの経済競争だのを遙かに上回るほどのオフェンスの立場に立つことになるわけです。
 そしてまたこの場合には文系勢力がオフェンスを担うことは明らかに無理で、結局理系集団を単なる製造業の下支えなどとは次元の異なる用法で、最大のオフェンス勢力として用いねばならないというわけです。

●オフェンス側の外交目標

 その設計図を書くことは、それ自体が将来の文明社会のために絶対に必要なことではありますが、同時にこれは、特にイスラム文明との問題で外交戦略的な意味も濃厚に帯びています。そのためここではその外交的側面に関して見てみましょう。

 現在のアメリカの外交政策は、もうブッシュ政権の一般教書演説なんかを見ても、露骨にキリスト教原理主義に基づく十字軍外交の色彩を帯びるようになっていますが、その背後にあるのはやっぱり強烈なハーモニック・コスモス信仰です。つまりこの信仰を共有しない者は滅ぼすと言わんばかりの主張ですが、しかしそんなことを言われても、古くからこの信仰が誤りだということを感覚で知っているイスラム文明にとっては困惑する話以外の何物でもありません。
 そのためここに作用マトリックスN乗理論という数学的な武器が投入されることは、その力関係を根底から揺るがすことになる可能性があるわけで、それはこれまで何度も述べてきたことです。

 そしてもう一つ、われわれの見解では、イスラム文明の本質とは、実は要するにグローバルな商業文明の中で社会が縮退しないようにするための法的技術体系を、宗教の助けを借りて実現することにあったという見方をとっていますが、それを認めるならば、現在の中東情勢を収拾する鍵が、決して中東の民主化(つまり縮退化)を進めることにはないことが、明白にわかります。
 むしろ、そのイスラムの法的技術体系を現代のテクノロジーと調和させるための技術が未確立であること、そしてその担い手であるウラマー、つまりイスラム法学者階層が必ずしも十分にその面では機能していないことがこの混乱の真の原因であって、新しい「テクノ・ウラマー」を育成することこそ、中東情勢を安定化させる最大の切り札だということ、これも幾度となく述べてきました。

 しかし恐らくブッシュ政権が進めたがっている中東民主化の構想は、その過程で必ずそこにぶつかるはずです。つまりアメリカの拡大中東構想の場合、結局はウラマー階層の解体根絶を図ることが戦略の最大の焦点となってこざるを得ない理屈になります。
 だとすれば、逆にそこを再生させようという「テクノウラマー構想」は、実はそこと鋭くぶつかってこざるを得ないわけで、しかしそれしか安定化の鍵がないとすれば、日本のオフェンス勢力としては、衝突を承知でそれを支援せざるを得ないでしょう。

 で、仮に日本の理系集団がそういうことをやってくれるとなれば、それはイスラム世界の人々からはどう見えるか、多少の希望的観測を含めて想像するならば、とにかく何と言っても、「イスラム文明は遅れた劣等文明ではない」ということを、最新の強力な数学をバックに主張してくれるわけで、これはやはり彼らにとっては誇りを回復する上でも、有り難い以外の何物でもないはずでしょう。

 そしてそうなれば次の主張として、小泉政権がブッシュ政権にくっついていって何をしようが、日本政府自体は、単にアメリカにホールドアップされてやっているだけのディフェンスを担当勢力に過ぎず、日本の真の意志はそこにはないという主張が成り立ちますから、日本国民そのものに憎悪や反感が向くことを避けることが可能です。
 その上、日本の科学者・数学者たちを社会的に下支えして成り立たせているのが、日本の産業なのですから、そこへのテロ攻撃を行うことはイスラム世界全体の利益に矛盾する、という主張も十分納得させられます。まあこの場合、理系技術者というものが如何に日本という国を支える主体だったかということを十分に宣伝する必要がありますが、まあそういう細部に関しては、次回にお話することにしましょう。

 とにかくこのようにすることで、日本国民をイスラム世界から敵視されることによるテロ攻撃から守る一方、国際社会に対しては、日本は真の意志として、たとえアメリカ文明に逆らってもこういう文明社会全体のための設計図を書くことを世界の先頭を切って行い、そして文明の衝突を防ぐための強力な防壁となるということを、政府とは別の場所から宣言できます。それによって、国自体の名誉を守ると同時に、倒米ということが現実の歴史の流れとなってきた時に備えて、脱出ルートのための橋頭堡も確保しておけます。

 そしてその一方で、政府自体はおとなしくアメリカの言うことを聞いているわけですから、アメリカ政府は日本政府に表立って制裁の鉄拳を振り下ろすことは出来ません。まあ政府に対して国内でオフェンス勢力の取り締まりや締め出しなどを行うよう要求してくるかもしれませんが、そのときは政府は文系政権の性格を逆手にとって、自分らは理系音痴だから連中をどうコントロールすれば良いかわからんと言ってのらりくらりと逃げれば良いわけです。

●イスラム世界へのポジティブな影響

 以上のようにこれは日本にとって、現在の困難な状況から脱出するためには大量のメリットの並んだ戦略で、私が見る限りではどう考えてもこれ以外に策はないように思えます。そしてこれは日本の安全保障ばかりでなく、イスラム世界全体にもポジティブな意義をもってきます。そこで最後にそれらをちょっと列挙しておきましょう。

 まず1番目に、とにかくアメリカが崩れ始める前にイスラムを立て直して置かなければならないというのが、現在の国際社会全体にとって不可欠な課題になってくるということです。
 イスラムが立ち直ってしまえば、もうアメリカ軍のプレゼンスなどはいらなくなる理屈ですが、しかし現状のような有様では、やっぱり下がってくださいと言おうにも言えません。
 そのため、とにかく倒米なんてことに本当に火がつく前にイスラムを立て直して、そのプレゼンスを不要とできる状態にもっていくという事が、この世界の手詰まりを脱出するためにまず条件として必要です。そしてそのためにはテクノ・ウラマー構想が一番の早道ではあろうと考えられます。

 2番目に、現実をもう少しポジティブに考えて、イスラム世界というものを新しい社会システムの一種の実験場として捉えるということです。
 それというのも、今の西側の発達し過ぎた資本主義社会で、新しい社会システムを実現するなんて言ったって、失うものが大き過ぎてそう簡単に出来る冒険じゃ無いんですよ。けれどもイスラム世界の、もう石油に頼ってもいられないというところへ話を持って行けば、失うものは何にも無い訳だから、新しい社会システムを試してみてもいいじゃないかということになる可能性は高い訳です。テクノウラマーを使った新しいテクノロジーに対応した社会運営というものを試してみてもいいんじゃないかと。それはイスラム世界の都合からすれば十分あり得ると思うんですよね。
 そしてその実験で成功したものを、西側社会が取捨選択して逆輸入できる体制にもっていくということです。

 3番目はこれと関連したことですけども、テロ以外の目標をイスラム世界の人々に与えられるという事です。
 まあこれは無形化戦略の概念とペアで使うと特に効果的ですが、とにかくテクノウラマー構想にのっとって新しい社会システムを成功に導くことが実は、倒米のための一番の近道なんですよね。だからテロに走るよりもこっちでやった方がはるかに効率的なんだとイスラムの人々に伝える。イスラム世界の人々のアメリカへの膨れ上がってしまった憎しみをそのエネルギーに吸収して転化させて行けば、創造的なものにして行けるということです。

 今はイスラム世界のエネルギーも、世界を混乱と戦争に導く力にしかなっていないですけれども、むしろ西側世界がどうにもならなくて困ってる問題を解決するための非常にポジティブな力として平和利用に使って行ける。これは、それが出来れば理想的と言えるような事です。そして、それをやはり日本が道をつける、数学という新しい道を使って道をつけるべきではないかと思う訳です。

 では次回は、日本における理系集団というものが置かれた立場や、それをどうすればこういう力にできるかということについてお話しましょう。
(続く)

PathfinderPhysicsTeam