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「無形化された東部戦線の開幕」としての2001年9月11日

目次
 開戦前の状況
 9月11日・「ヘパイストスの劫火」
 「スーパーノヴァ作戦」の発動と東部戦線の開幕
 東部戦線での主導権確保
 周辺から見た影響
 東部戦線の今後
 米国の今後
 「シャドー・ゾーン」の発生と日本の真の予定舞台
 やがて姿を現わすべき準四次世界大戦の真のテーマ

(2001年10月31日長沼伸一郎)



 ここでは、今年2001年9月からの例の一連の国際情勢に関して、無形化戦略解析の観点から分析を行ってみたい。これは、「無形化した世界では時間経過が1/10になる」という原則のもと、1990年代の湾岸戦争から始まって、恐らく今後50年は続くであろう無形化した大戦争を「準四次世界大戦」として捉え、それを5年間に圧縮して第二次世界大戦と比較するという一連の試みの中の一つである。
 以前に、97年のアジア経済の壊滅という世界的大事件を「経済電撃戦」として捉え、そしてそれを年表と照らすと、ちょうど第二次大戦初期の「西方電撃戦」に時期的に近いものになっているとの分析を行った。
 ではそれに続けて今回の事件を分析するとどうなるかというと、実はこれこそ、準四次世界大戦における「東部戦線」の開幕だったのではないかというのが、ここでの分析の基本的な視点である。 注)なおここでは地理的な分析は、仮想地球儀を用いて行うので、従来の東とか西とかいった概念もあくまでそれに準拠することになり、そしてまた基本的に米国を中心としてそれを新しく決めるため、従来の伝統的な「極東」や「中東」の呼称はもはやここでは完全に意味を失うので、それらは廃止することにする。
 そして米国の位置から見れば、日本や東アジアはいずれにせよ「西方」であり、イラクやアフガニスタンは「東方」となる。だからこそ、97年の事件は「西方電撃戦」の呼称が適切なのであり、そして今回のものは「東部戦線」に位置付けられることになる。  ただし誤解のないよう言っておくと、「東部戦線」の定義は、必ずしも仮想地球儀上で米国から見て東にあることが第一義ではない。むしろその本質は、
・ウォールストリート資本主義によって貧窮を宿命づけられた「ロスト・ワールド」の国が、合法的な抵抗手段を失って非合法的な戦闘行為を行うこと、およびその領域
であり、そのことを総称してこう呼ぶのが適当である。逆に言えばそれらの諸国がイスラム国であることは必ずしも「東部戦線」の本質的要因ではなく、むしろ第二義的である。  そして可視化に際しては、現実世界での軍事力の行使は、仮想地球儀上ではすべて核兵器(ただし小型の戦術核兵器)の使用として可視化される。
 一方それに対して、テロリズムの行使は、基本的には化学兵器の使用として可視化される。実際に化学兵器は「貧者の核兵器」と呼ばれることがあり、先ほどのものと好対照をなしている。(ただしここでの対応ルールでは、生物細菌兵器はテロ可視化には用いないことになっており、炭疽箘テロといえども仮想地球儀上では化学兵器として可視化されるので注意されたい。)
 一般の無形パワーの可視化に関しては、従来と同様、メディアのパワーは空軍力に、経済と法律の力は陸軍力に、そして大学と研究機関の力は海軍力に、それぞれ対応づけられて仮想地球儀上に示される。また、ここでは現実世界の10年間が「無形化時間」の1年である。(なお、対応の細部のこまごましたことに関する一覧が欲しい場合には、第三支部掲載の「対応ルール一覧」を参照されたい)
 なお本稿では、仮想地球儀上での作戦名としては、現実のものとは異なる名称を新たに適当に考えてつけることにする。それというのも最近米国が自分の作戦名としてつける名称は、あまりにも愛国主義的でこちらが恥ずかしくなるほどで、勝手に考えてつけた方がまだましだと思われるからである。

  開戦前の状況

 では以上を踏まえて、まずこのときの直前の世界の状況はどうであったかというところから見ていくことにしよう。
 1997年の「西方電撃戦」の前までは、当時日の出の勢いだった東アジアNIES諸国が急速に経済的地位を向上させつつあり、それらはダークホースとして将来の米国経済を脅かす最大のライバルではあるまいかと囁かれていた。
 ところがそれが「西方電撃戦」によって、ウォールストリートの巨大機関投資家に突如叩きのめされ、世界が呆然として見守る中であっけなく崩壊してしまう。そしてそれからというものは、もはや勝ち誇る米国を止められるものは誰もないという空気が世界に満ちていた。
 その間の状況は省略するが、ともあれ2001年にブッシュ政権が登場した時は、ある意味でその勝利感は頂点に達していたと言える。そのためこの政権は、発足当初から独善性が目立ち、他国の事情や要求を一切顧みずに政策を強行するという傾向があった。 そして例えばその一つとして、この政権は発足早々に早速ミサイル防衛構想の一方的推進に乗り出し、それは極めて大きな国際問題のテーマになっていた。

(1)ロシアの状況


 そのミサイル防衛構想の問題は、例えば特にロシアの立場から見ると、それはある意味で国家の死活問題に近いことだった。それは仮想地球儀を見れば一目瞭然であり、ロシアの現在の仮想的面積の大部分は、実は核兵器の存在によって辛うじて維持されているに過ぎず、それがなければ仮想面積はほんの小さなものでしかなくなってしまう。
 しかしミサイル防衛構想が本格的に進められるとなると、ロシアが昔の遺産として抱えている核兵器はほとんど無力化し、核保有国という特権的地位は消滅することになる。つまりロシアから見れば米国のこの政策は、無形化して見ればその広大な領土そのものをロシア本国から遮断して消滅させることを狙う、大侵攻作戦に等しいものだったのである。
 もっともロシアとしても、現在の国力や経済状態から考えればいずれはそこを放棄しなければならないことはよく承知していただろう。しかしこれほど急速にそれが遮断の危機に見舞われるとなると、話は全く別であり、それというのも今のロシアは、ソ連崩壊直後の米経済進駐軍による負の遺産を抱えこんでいたからである。
 ソビエト連邦が崩壊した直後、ロシア国内に米国経済の進駐が始まり、マクドナルドを先頭に立ててウォール・ストリートの進駐軍がモスクワに到着した。
 しかしその進駐軍の統治たるや最悪の無責任な代物で、ロシアの復興など全く眼中になく、金儲けの種を鵜の目鷹の目で探し回ることにしか関心がなかった。そのためエリツィン政権下ではその無秩序に乗じてマフィアが急速に勢力を伸ばし、それがさらに地方の民族反乱やテロと結び付いて、国内はかなり危機的な乱れた状況にあり、テロの脅威を西側よりも遥かに身近に感じていたことは恐らく疑いない。  そしてその混乱を収拾するという期待を担って登場したのが、KGB出身のプーチン大統領だった。そしてこの状況下では警察権力を用いてマフィアとテロを容赦なく封じ込める以外に手はないのだが、その際に最大の障害と予想されるのは、「人権」の言葉を振りかざしてお節介に介入してくる欧米のメディアであり、そしてそれに動かされて内政に干渉してくる欧米諸国である。
 だがそれの言いなりになっていれば、警察力を用いた秩序回復の努力は骨抜きになる一方、欧米のメディアや政府は自己の正義感が満足されればどうせすぐに飽きて無責任に引き上げてしまい、後には無秩序だけが残される。
 結局ロシアとしては現状では、残っている核兵器の力を最大の防壁にして、その無責任な干渉を無視してはねのけ、その間に秩序回復を強行する以外に手はない。
 つまりこの時期、ロシアは内にはマフィアとテロを抱える一方、外には欧米の無責任な「人権原理主義」という北風にさらされており、核兵器という外套だけをしっかり握り締めて辛うじて耐えているに等しかったと言える。いずれはその外套も破れて無くなるが、しかしそうやって稼いだ時間で何とかマフィアとテロを制圧することに望みをかけていたわけである。
 ところがそこにブッシュ政権が無思慮にミサイル防衛構想などを急速に推進し始めたとなれば、彼らの危機感は想像に難くない。ともあれこれが、ロシアの状況だった。

(2)「東部」全般の状況
 では仮想地球儀上では今回の一連の出来事の本来の舞台であるはずの、抽象的な意味での「東部」全般および「ロスト・ワールド」の状況に関してはどうだったろうか。
 実は97年の「西方電撃戦」は、東部の「ロスト・ワールド」にも将来の深刻な懸念の種をまいていた。もともと1980年代ごろから低開発国の絶対的貧困は、単なる社会問題というより、文明レベルの大問題としての側面を帯びていた。
 それはこの時期にコンピューターと工業用ロボットの発展によって、伝統的に低開発国が上に這い上がるための唯一最大の切り札としてきた「低賃金の労働力」というものが、武器として無力化しつつあったからである。
 そうだとすれば現代世界は、若い貧乏国と老いた富裕国の間で世代交代のメカニズムが消滅するという、未曾有の事態へと足を踏み入れていたことになる。
 それでも90年代の中ごろまでは、東アジアのいわゆるNIES諸国が日の出の勢いで地位を上昇させつつあり、それが低開発国の希望の灯火となっていた。ところが97年の「西方電撃戦」でそれが壊滅したことで、一挙にすべての希望が失われ、茫然自失の状態に陥ってしまったのである。
 それゆえ近い将来そうした諸国が、絶望から資本主義経済自体を敵視してその破壊を試みるようになるのは必然の流れであり、いずれにせよ「東部戦線」が形成されることは時間の問題ではあったわけである。
 しかしながら、それが本格的に始まるにはまだ5年ほどの時間を要したはずであり、今の時点ではまだそれが沸騰するほどの状況にはなかった。

(3)イスラム諸国の状況
 一方、イスラム諸国全般について見てみると、少なくとも政治上の問題でロシアほど切羽詰まった状況にあったわけではない。確かにイスラエルのシャロン政権の強硬姿勢などは問題で、また米国のイスラエルへの不公平な肩入れも例によって例の如くだったが、まあそれは毎度のことと言えば毎度のことである。
 強いて何か目につく要因を挙げれば、それは米新政権の顔ぶれがブッシュ・パウエル・チェイニーという、湾岸戦争時を思わせる面々で固められており、その点で感情的反応を引き起こしやすかったということぐらいである。
 そして仮想地球儀上の映像として見ると、これらの諸国の多くは、欧米メディアの情報制空権に対して、「イスラム防空網」をがっちりと形成してその上空への侵入を阻止し、彼らが我が物顔で飛び回ることを頑強に拒んできた。
 それゆえ米国側としては、地球全土で絶対的情報制空権を確保するためにはそれは目の上のコブであり、いずれはその防空網を解体したいと願ってはいたはずである。

(4)アフガニスタンの状況
 次にアフガニスタンの状況の本質を一言で述べるなら、それは「ゲリラ戦の魔性に呪われた地」であるということに尽き、他のすべては従属的な意味しかもたない。
 ゲリラ戦の魔性とは次のことである。それは一般原理として「ひとたびゲリラ戦を行なってしまった国は、そのゲリラを指揮した人物が戦後にカリスマ的独裁者となって国内を治めた場合以外、無限の内戦による破滅の運命から逃れることはできない」ということである。
 これはちょっと考えればわかることで、ゲリラの本質とは要するに小銃さえあれば誰でも軍隊を組織できるという点にある。そのため一度その味を知ってしまうと、国内でどんな政権が樹立されようとも、その都度国内の不満分子が勝手に軍隊を組織して反抗を企て、永遠に内戦から抜けられないのである。
 アフガニスタンは、ソ連による侵攻を受けた際、確かにゲリラを編成してソ連軍を追い出すことには成功した。しかしその時にはゲリラの毒は全身に回っており、しかも不幸にしてカストロや毛沢東のようなカリスマ的独裁者を出すこともできなかった。
 かくてアフガンの地は公式どおりに無限の内戦の中に落ち込むことになり、そしてそのカリスマ的独裁者の代替物として登場したものこそ、異様な神権独裁政治を行なうタリバンだったのであり、それはいわば呪われた地に秩序をもたらすための、唯一の苦肉の策だったわけである。
 それゆえタリバンの歪んだ神権政治は一般のイスラム教徒から見ても異様に映っていると思われ、最近ではどうもその特異性が飽きられて政権維持が難しくなっており、それが例の仏像破壊事件などにもつながっていたらしい。
 そしてまたそのゆりかごを作り出した張本人であるロシアからしても、タリバンの存在はロシア国内のテロに力を与える厄介物として跳ね返ってきている。
 ロシアとしてはそれを叩いておきたいところではあるが、しかし先ほど述べたように、ロシアは国内の秩序回復に専念したがっており、出来ればもうそこからは手を引きたい。それゆえもし米国がロシアに替わってアフガンに入り、米国の予算でそこを制圧統治してくれれば、ロシアにとって本来これほど有り難い話はないわけである。  ともあれ事件発生直前の世界は政治的に比較的静かな状況にあり、そして米国は前述のロシアへの攻勢作戦の開始予定を、無形化時間で僅か1週間後に控えていた。

9月11日・「ヘパイストスの劫火」



 9月11日、歴史を揺るがす大事件は突如勃発した。実のところこの事件の真相はいまだ不明解な部分が多く、米国政府の公式発表を本当に百%信じてよいかは疑問符がつく。実際、本来あまりにも強く国益がからんだ状況であるところへもってきて、その気になりさえすればほぼ無制限な情報操作が可能な状況とあっては、その公式発表に対してはどれほど慎重になっても慎重すぎるということはない。(米国のメディアと戦争の問題について考えるとき、かつての米西戦争の異常性などは常に参考にされるべきである。)
 その一方、現在の段階で断定的な陰謀論に飛びつくのも賢明ではないため、結局誰がどこにどの程度まで関与しているのかは、いまだに不明として扱うしかない。
 そこで、この稿では真の首謀者不明のまま、いわば一種のコードネームとしてこの破壊活動に対して「ヘパイストス作戦」の名を与えておこう。(「ヘパイストス」とは、ギリシャ神話に登場する神の名で、鍛冶と火の神「バルカン」のギリシャ名である。なお「バルカン」はローマ神話の側の名。)  そして無形化戦略解析では、一般にテロ全般は「化学兵器およびの使用」という形で可視化されるが、しかしこの場合だけは例外と言わざるを得ない。
 それというのもこの事件は、その規模と正確さの点で、過去の如何なるテロとも次元が異なるほどの全く類例を見ないものであり、一昔前であればまずソ連の「スペツナズ」級の実力でない限り実行不可能と評されたことだろう。
 本来なら、恐らくせいぜいオウム真理教と同規模の組織でしかない「アルカイダ」に出来るような代物では到底ないのだが、もし彼らが単独でこれを成功させたのだとすれば、歴史の神が何重もの奇跡的な偶然を用意して、その本来不可能なことを可能としたのだとしか言いようがない。
 ともあれその結果の巨大さという点では、これはいわゆる常識的な「テロ」では全く不可能なレベルにあって、事実上は軍事作戦の範疇に含めるべきものである。
 そのため無形化戦略解析では、これを化学兵器の使用として可視化することには無理が伴い、例外的にこれだけは一種の核兵器の使用として可視化せざるを得ない。ただしそれはやはり軍事力そのものではないので、ここではいわゆる「スーツケース核爆弾」のようなものを考えるのが適当だろう。
 これは例えばフレデリック・フォーサイスの「第四の核」に登場するようなものを考えればよく、同書に登場していたのは全長60センチほどの、分解して持ち込める爆発力1キロトン程度の小型核爆弾で、その形状は直径20センチほどの球に長さ50センチほどの太い円筒が柄のように取り付けられたものとして描かれている。  つまり仮想地球儀上では、それが分解されて密かに工作員の手で帝都(エンパイア・ステート)=ニューヨークに持ち込まれたという形で可視化されるわけである。そしてその小型核爆弾は誰にも気づかれることなく爆発予定場所に運び込まれ、米国は9月11日を迎える。
 この日の朝、帝都の中心部付近で自爆要員の手によって起爆装置のボタンが押された。瞬時に出現した火球は曙光のように周囲を染め上げ、「ヘパイストスの劫火」が帝都を揺るがせた。
 ただし仮想地球儀を見ればわかるように、仮想地球儀の上での「エンパイア・ステート」部分(実際にニューヨークは過去の一時期そう呼ばれていたことがある)の仮想面積はかなり広いので、小型核爆弾1発ではそれ全体を壊滅させることはできず、核爆発といえども被害が及ぶのはそのごく一部に過ぎなかった。
 また、その爆発地点は鉄道網(=金融を意味する)の集まる中心地にかなり近かったが、爆発力が僅か1キロトン程度(ちなみに広島型は20キロトン)ということもあって、鉄道網全体を壊滅させるには至らなかった。
 死者の数も、広島の7万人余と比べると、約6000人であったからやはり爆発力の小ささを反映して、一桁少ないものとなってはいる。
 しかしそれでも米国にとっては、帝都の真中で核爆弾が爆発したことによる精神的な衝撃は未曾有のものだった。

「スーパーノヴァ作戦」の発動と東部戦線の開幕



 そして全土に警報が鳴り渡る中、米国全体が引き金を引かれるようにして動き出した。まず「ヘパイストス作戦」の首謀者の捜索が始まったが、確認を本当に行なったのかが疑わしいほどの性急さで即日、アラブ過激派とアフガニスタンのタリバン政権が首謀者と宣言される。
 そして直ちに報復作戦の名目で、本格的な東方侵攻作戦「スーパーノヴァ(超新星)」作戦が急遽発動された。(作戦名称の由来については後述。)
 伝統的に米国は、たとえ自分に侵略の意図がある場合でも、事前に挑発やいやがらせなどの手段を駆使して、相手を暴発へと追い込んで必ず先に手を出させ、正当な報復という形式をとって開戦に持ち込むのが普通である。しかし今回の「ヘパイストス作戦」は別に米国自身が直接的に罠を仕掛けて誘ったものではなく、全く予想外の奇襲を受けて、米国は確かに最初は大きなショックを受けた。
 だが奇襲といっても別に基幹戦力がダメージを受けたわけではなく、最初の衝撃が去ると同時に彼らはむしろそれを奇貨として、これをきっかけに東部で大規模攻勢作戦へと打って出ることに決する。
 それは明らかに単なる報復作戦の域を超えて、東部において主導権をとることを狙ったものであり、中には無意識のうちに、将来の視野の中にイスラム文明解体さえ作戦目的として含めていた者もあったかもしれない。  仮想地球儀上の映像でこの作戦の推移を見ると、ヘパイストスの劫火の鳴動もさめやらぬうちに、即座に米国政府は東方に展開するA軍集団に対して待機を命じ、装備する戦術地対地ミサイルの核弾頭−−1キロトン級の小型弾頭を想定−−の安全キーが解除された。
 無形化時間で3日後までには、アフガニスタン国内の山岳地帯にあると推定される、分厚いコンクリートで強固に防御された地下化学兵器工場が目標に設定されて座標データが与えられ、そしてついに命令が下るやミサイルは轟音と共に発射されて、炸裂する核弾頭がアフガニスタンの岩山を揺るがせた。
 それと前後して、米国の無形エアパワーは情報制空権を一挙に確保すべく、欧米全体のメディアを引き連れて行動を起こした。全土から一斉に離陸した高高度重爆が銀色に輝く大空中艦隊となって、巨大な編隊を組んで東へと向かい、イスラム勢力の航空拠点へと殺到した。
 一方、無形化された重支援戦車を含む地上軍−−経済と立法の世界の−−の側は、テロ組織への資金供給を絶つことを目的あるいは口実に、世界各地で前進を開始した。それは必ずしも巡航戦車の大群がじゅうたんのように進撃するという映像ではなく、むしろ法律上の拠点攻略がメインだったが、すべてを合わせた規模ではその種の大進撃に劣るものではなかった。
 かくて「スーパーノヴァ作戦」の幕は切って落された。核兵器と化学兵器が憎しみを込めて容赦なく投入される、地獄の東部戦線の扉がついに開いたのである。第二次大戦の年表と比較すると、それは「バルバロッサ作戦」の発動による独ソ開戦より約8か月ほど早い東部戦線の開幕であった。

東部戦線での主導権確保

 この「スーパーノヴァ作戦」の主眼は、一見すると狭いアフガニスタンを主目標とする報復作戦のように見えはするが、しかし大戦略的観点からすれば、むしろ広く東部戦線全体が目標として視野に入っており、その全域で情報制空権を確保するための、メディアによる無形航空作戦の方が遥かにその主体であったと言える。
 考えてみると本来、単なる報復作戦に出ることは必ずしもテロの抑止に役立たないのであり、むしろ逆に「文明の対立」を助長して報復合戦を拡大してしまい、そうなればテロリストの思う壷である。
 そう思って見ると、表面的には米国はテロリストに手玉に取られて踊っているようにも見えはする。ところが視点をもっと大きくとって「東部戦線」という観点から見るならば、必ずしもそうとも言えなくなってくる。その理由は他でもない、米国にとってはいずれは東部戦線の泥沼に巻き込まれること自体は、避けがたい戦略的宿命であることが明らかだったからである。  先ほども述べたが、ウォールストリート資本主義は、80年代ごろから急速に第三世界を間接的に収奪し、「ロストワールド」に閉じ込めてきた。
 そしてコンピューターの発達は、その住人たちを労働力としての価値すらない「要らない人間」にしてしまい、そして今や唯一の核軍事大国となった米国が、「勝ち組」の狭い場所だけで経済と富が回って自己完結する「縮退状態」を保護・推進して、そのルールの中では低開発国が這い上がることさえできないという世界を固めてしまった。
 そのため、彼らがルールそのものを拒否して非合法手段で復讐を試みる「東部戦線」の形成は、いずれにせよ避けがたく、それは単に時間の問題に過ぎなかった。そして米国はそれに対して、軍事力で遮二無二押さえ込む以外のアイデアを何一つ持ち合わせていなかったのである。
 そのためそれが始まった場合には、本来ならば米国とウォールストリートはそのいわば元凶として悪者のレッテルを貼られ、情報制空権を相手に奪われた形でその泥沼戦を戦わざるを得ない羽目に陥るだろう。
 ところがそれが今回のような形で始まったとなれば、少なくとも情報制空権の面では主導権をとることが可能になる。つまり余りにも衝撃的な「ヘパイストスの劫火」の映像が世界に伝えられたことによって、当面それへの報復だけは正義と主張しても異議を唱えるものは誰もいない。
 そのためいっそこれを機に事態をさらに拡大して、ここで東部戦線全体の開戦に持ち込んでしまえば、以後東部戦線で起こることはすべてそのストーリーの続きとして語れるようになり、遭遇する敵のすべてに悪人のレッテルを貼っていくことができる。
 つまり確かに地上での戦いが泥沼化するという点では大差ないかもしれないが、少なくとも情報制空権を確保した状態で作戦を開始でき、以後の東部戦線での戦い全体を有利に進めることができるだろう。特に情報制空権の争奪戦では、最初に頭を押さえることがしばしば決定的な結果につながるのである。  それを考えると、本来米国にとっては「ヘパイストス作戦」の首謀者が誰だったのかなどということは、むしろどうでも良いことだったのかもしれない。そして、少なくとも情報制空権を確保するという点では「スーパーノヴァ作戦」は今のところ完全に成功しており、現実に米国はほとんど絶対的な情報制空権を手にしていると言ってよい。
 なお参考のため、独ソ開戦時の「バルバロッサ作戦」の場合はどうだったかというと、その時も緒戦の制空権奪取は劇的だった。「バルバロッサ作戦」においては、地上軍の侵攻と同時に一斉に大規模航空作戦が開始され、初日のたった1日だけでソ連空軍機を(主として地上で)実に1200機も撃破するという空前の大戦果を挙げ、ドイツ空軍は東部における絶対的制空権を手にすることに成功した。
 なお「スーパーノヴァ作戦」の場合、無形空軍力としての仮想的出撃機数および仮想的投弾量がどの程度のものであるかは、大変な作業なのでまだ到底算出できていない。ただ原理的にはそれは算出可能であり、具体的には世界中の新聞の紙面を調べて、これに関する報道を打撃力別にランク分けし、それと紙面の合計面積の値を集計して「無形化世界の力学と戦略」のメソッドを用いて換算することで、その仮想的投弾量を求めることができる。
 それにしても、その絶対的情報制空権を手にした米国人の現在の心情というのは、まさに「バルバロッサ作戦」時のドイツ空軍のパイロットたちのそれと共通するのではあるまいかと思われてならない。
 −−確かに現在のところ、この航空作戦は空前の大戦果を挙げつつあり、今や空の上でわれわれに刃向かってくる者は誰もいない。しかし相手側の表面的な戦力を撃破しても、その背後には無限の底なし沼が広がっているように思われる。一体この先の見通しはあるのだろうか。そしてどこまで進めば終わりになるのだろう?

周辺から見た影響

 ではここで視点を少し周辺部に向けて、この出来事の結果や影響を見てみよう。
 まず当事者以外で最も大きな結果を手にしたのはロシアであり、まずこれによって米国のミサイル防衛構想は大幅に遅れることになった。しかし実はもっと大きく見ると、ロシアが手にしたものはもっと遥かに大きなものだったようである。
 実のところこの事件のロシアへの影響は、第二次大戦終結のしばらく後に、朝鮮戦争が日本にもたらした恵みに近いものだったと言えるだろう。
 朝鮮戦争の日本への影響と言えば、よく当時の日本経済が「戦争特需」で潤ったことが語られるが、ここで問題にするのはそんなちっぽけな話ではない。それは、米国が朝鮮半島においてソ連の南下の圧力というものを身をもって体験することで、明治以来日本が置かれていた苦悩のすべてを理解し、それが結果的に日本を救ったという事実のことである。
 どうもそれまでは米国は、なぜ日本が軍国主義に走るのかの理由が良くわからず、日本人は邪悪な本能をもって生まれているのだと決め付けていたふしがある。そのためその時期までの占領政策には、積極的に日本を復興させようという意志が見られず、むしろ二度と世界の脅威とならないよう、農業国レベルに留まってくれた方が良いというのがGHQの態度だった。
 しかし朝鮮戦争の洗礼を受けることで米国の軍関係者は突如すべてを理解し、ついにはマッカーサーが「日本にとって太平洋戦争は(侵略戦争ではなく)純然たる正当な自衛戦争であった」と発言するに至る。そして積極的な経済復興への支援、再軍備要求、同盟国への格上げなど、それに続くすべてがこの覚醒なしには成り立たなかったのである。
 ひるがえってロシアを見ると、まさにこれはロシアが置かれている状況そのものである。米国は、テロの洗礼を身をもって体験することで、ロシアが直面していた問題を理解することになった。そのためロシアとしては、もう核兵器という外套なしでも国内の困難を切り抜けられるかもしれないという機会をつかんだわけである。
 恐らくここしばらくは、ロシアは欧米の「人権原理主義」の監視が緩和している間に警察力によって秩序回復に乗り出し、また経済に関しては米国よりもむしろドイツの力や技術に頼って復興を試みると思われる。
 そしてまた朝鮮戦争後の日本を参考に予想する限りでは、どうもロシアは今後はもっぱら国内の立て直しに専念するため、準四次大戦にそう積極的に関与する意志はあまりなく、必ずしも「ロスト・ワールド」諸国の旗頭や後見役を引き受けて「東部戦線」への積極的な肩入れなどを行なうことはなさそうだと考えられる。

東部戦線の今後

 ではイスラム圏および「東部戦線」に関してはどうかといえば、まずイスラム圏にとってはこの事件は青天の霹靂というべきものであり、またイスラム教徒自身の目から見ても、タリバン自体がゲリラ戦の魔性の染み込んだアフガニスタンという異常なゆりかごの中で育った奇形児であったため、これは愚かな異端者の暴発という以外に言葉を知らなかったろう。
 そして戦略的に見れば、これがイスラム世界にもたらしたものは分裂以外に何もないと言って良く、おまけに情報制空権を瞬時に失って、文明としての積極的な前進能力の点で大打撃を被った。
 また先ほども述べたように、これはイスラム以外の東部戦線の諸国の観点からしても大敗北だった。大体において筆者自身、数年後ぐらいに何らかの形で東部戦線が形成されるであろうとは思っていたが、それがまさかこれほど劇的な形で開幕するとは全く予想しておらず、むしろもっと別の形でサイバー化・無形化して起こると考えていた。
 実際に効率を考えるならば、何かとコストのかかる物理的なテロよりも、コンピューター・ネットワークを狙った方がしばしば効果があり、第三世界へのパソコンの浸透はテロリストたちの武器、というよりその性格自体を、物理的なものから無形化したものへ転換させる可能性が大だったからである。
 その状況とは、例えばインドの村などで、村で一番頭の良い青年に中古のパソコンがあてがわれ、異常な能力をもつ凄腕のハッカーとして米国の資本主義システムに打撃を与え、村の英雄になって皆から敬愛されるなどという光景を想像すればよい。
 さらにまた、そういうハッカーが金持ちの銀行口座や大企業のネットワークから巧みに金を盗んで、それをランダムに選んだ世界全体の一般庶民−−米国内の貧乏人も含む−−の口座に振り込んでばらまいたりして、「バグダッドの盗賊」として悪のヒーローになったならば、米国内の愉快犯もそれに合流して、かえって狙われる金持ちの方が悪人に仕立てあげられかねない。
 しかし今回の一件でその構図はひっくりかえってしまったわけであり、米国としては当面の間はそれを「テロ資金に回る可能性」のレッテルを貼って悪人にしていくことができるようになったのである。  そう思ってみると、どうも米国側としては、情報制空権を確保し続けるためには、たとえ一人相撲をとってでも対立を煽って、本来フィクションだったかもしれない「文明の衝突論」を現実のものとしていった方がむしろ有利という、逆説的な構図を抱えているようである。
 つまりイスラムが東部戦線の「顔」となることで、この大きな戦いがイスラムとの戦争という形に矮小化されて、それを悪者イメージで叩いていくことができる。そしてそれがまたイスラム側を怒らせれば、この構造が雪ダルマ式に拡大強化され、結果的に「相手をこちらの都合のよい場所に集結させて、まとめて叩く」戦略が可能になるという寸法である。
 そしてまた軍事的緊張を長引かせることは、一見国家にとって無駄な負担のようにも見えるが、実はよく考えると新聞の第一面を少なくともその話題で占拠し続けることが可能になっているわけで、情報制空権を維持できる時間も結局は延長できる。
 確かに派手に軍事力を動かすことは、報復合戦を激化させて市民の犠牲者も増やすだろうが、その一方で米国民の結束は確実に高まることになり、国家的観点からはむしろ有利だという無意識の判断がどこかに働いているのではあるまいか。  そんなわけで、今後の東部戦線が激しさを増すのか、それとも意外に静かになるのかは、双方の思惑が逆説的な形でからんでいて極めて予測が難しい。
 ただここで一つ、将来について漠然とした予感として思うのは、ひょっとすると世界や文明は、もはや資本主義の存在自体に耐えられないという段階を、ついに迎えつつあるのではないだろうかということである。
 そして歴史がどんなものを東部戦線の今後のシナリオとして用意しているのかを考えるとき、もしそれが本当ならば、世界全体がとうとう資本主義という制度そのものを放棄して封印するという結末で終わるシナリオも、少なくとも候補の一つとして用意されているのではあるまいかということになってくる。
 その場合には、その結末と現在の間の落差は、恐らく大部分が東部戦線の経過のどこかに突っ込まれることになり、そうなれば東部戦線は静かな小事件の連続だけで終始するというわけには到底いかず、それは良くも悪くも現在のわれわれの想像を遥かに超える、スケールの大きなものになってくるだろう。

米国の今後

 さてその米国としては、確かに情報制空権を確保するという点では今のところ成功しているが、しかし先の見通しがないという点ではかつての「バルバロッサ作戦」と良い勝負である。
 現実に彼らの発言を聞いていると、最後の収拾策もなければ、そもそも作戦をどこまで拡大するかさえ決まっていない有様である。にもかかわらず、情報制空権を完全に掌握したため、ここで米国は如何なる強行策をとってもそれを正義と主張でき、誰もそれに意義を唱えないという、滅多にない状況を経験している。
 そして一旦この味を知ってしまった国が、果たして長く理性を保って暴走せずにいられるかどうかは大きな疑問であり、ある意味で米国は今や「スーパーノヴァ化」しているように見えなくもない。(なお本作戦の名はこのことに由来する。ちなみに「バルバロッサ作戦」の場合、バルバロッサとは第三回十字軍に参加した赤髭王フリードリヒ1世の綽名である。ヒトラーは異教徒殱滅を共産主義の根絶に重ね合わせてこの作戦名を選んだと言われているが、その異教徒とは本来イスラム教徒のことであったことを考えると、むしろ「バルバロッサ」の名は今回の作戦につけた方がふさわしかったように思えなくもない。)
 ところで作戦方針がよく定まっていなかったと言えば、かつての「バルバロッサ作戦」の時には途中でこれがもろに表面化し、前進途中で最高首脳部が方針を巡って対立して統率が空白となり、まるまる1か月作戦が停滞するという異常事態が起こっていた。
 おまけに大体「バルバロッサ作戦」の場合、その一応の最終目的であったモスクワ突入も成し遂げることができなかったのであり、この点で「スーパーノヴァ作戦」が今後どう推移するかも、興味深いものがある。
米国の東部戦線勝利の最終手段
 しかしそれにしても米国にとって、もしそれでもどこかに、どんなに大がかりになっても良いから東部戦線、ひいてはそれを含めた準四次大戦全体で勝利する方法があるとすれば、それは何だろうか。
 それは結局のところ一つしかあるまいと思われる。すなわちそれは、世界全体の速やかなコラプサー化であり、米国が潰れる前に世界が寝たきり状態になれば良いということである。
 大体において、何も信じるもののないコラプサーの絶対的虚無の中では、人間は手間のかかる戦争や破壊活動に乗り出す気力もなくなる。つまりそれらの国々の人々が短期的願望に惑溺できるような何かの手段を供給して、長期的なことを企てる根気を奪ってしまえばよい。まあ悪く言えば、それはモルヒネや麻薬を空中散布するようなものである。
 この考え方は一昔前に医療が陥ってしまった錯覚にちょっと似ている。それは、病気の時の発熱や痛みというものは、実は悪というよりむしろ体を守るためのものだったのであり、アスピリンで熱だけ下げることは、本当はあまり意味がなかったのだということである。
 そう考えると、実は戦争というものも非常に巨視的に見れば、社会全体とってはその発熱や痛みのようなものかもしれず、そうなると痛みを神経ごと麻痺させることが本当に問題の解決になるかは疑わしいとも言えるわけである。
 大体において米国の場合、ロスト・ワールドとイスラムの問題に関して、それを根本から直そうとすれば、文明としての米国自身にもメスを入れて、そもそも彼らが二百年間やってきたことが根本的に間違いではなかったかということを徹底的に問い直す必要があるのだが、現実にそれが行なわれる可能性はほとんどない。
 そうなると、やはりアスピリン主義のように、発熱や痛みの側を悪と規定するアプローチに走るほかなく、そしてそのようにして神経の側を麻痺ないし除去してやれば、体の方は安心して痛みを感じずに壊疽で腐っていくことができるというわけである。  思えば、昔の専制国家の場合、その支配の原理はしばしば「恐怖」であり、そしてその手段や道具は軍隊による弾圧だった。それに対してもし現在の無形化した世界で専制状態が成立するとすれば、その原理は「虚無と無関心」であり、そしてその手段は短期的願望の過剰提供によるコラプサー化である。
 そしてナチス・ドイツの場合は前者の例で、多くの占領地を抱え込んでどう考えても維持に無理が出ている帝国をそれでも支配していくために、彼らは占領地に対しては次第に恐怖を原理とする統治方法に傾斜していかざるを得なかった。
 それを考えると今回も米国が、すでに彼らの統治能力では無理が出てきているこの体制をそれでも維持していくためには、表面上は確かに正反対だが本質においてはむしろ共通する「短期的願望の解放」という方法を用いて、結局は一種の「多数者による空からの専制」を積極的に推進せねばならず、それはやはり文明社会全体にとっての災厄となろう。(実際に、物の見える数学者ならばこの二種類の方法が、「縮退の極限状態」という点で、実は数学的にほぼ等価であることを証明できるはずである。)

「シャドー・ゾーン」の発生と日本の真の予定舞台

 そして東部戦線の開幕は、日本の未来にとって巨大な可能性を秘めた現象を、仮想地球儀の上の海上部分に出現させつつあるように思われる。それはここに「レイヤー」(水中音響の用語)というものが発生し、その下が米側にとっての一種のシャドー・ゾーンと化す可能性が高いことである。
 そして東部戦線の開幕は、日本の未来にとって巨大な可能性を秘めた現象を、仮想地球儀の上の海上部分に出現させつつあるように思われる。それはここに「レイヤー」(水中音響の用語)というものが発生する可能性が高いことである。
 そして実を言えば、先ほど浮かび上がってきた東部戦線の真のテーマ、すなわち「ロストワールドの資本主義への復讐」さえも、準四次大戦を貫く真のテーマではなく、それよりさらに巨大なものが、誰にも知られることなくそこで目覚めの時を待っているのである。  その話に入る前に、現在の米国内で決定的となりつつある一つの流れに注目してみよう。それはこの事件以来、米国の知的世界においては「エアパワー主導」の傾向が決定づけられてきているということである。
 もともと米国の知的世界は「エアパワー=大衆メディア」と「シーパワー=知識人世界」の対立構造を内在させていたのだが、それが今回の一件で決定的に前者にシフトし、その主導で物事が進んでいくことになると予想される。
 思えばかつての太平洋戦争直前の日本の状況を参考にする時、そこでは陸軍と海軍の抜き差しならぬ対立というものが一つの重要なポイントだった。そして前者の精神が後者を圧倒したことが破滅の一つの源だったことは、少なくとも一面の真理である。
 それと同様に米国の知的活動の場合、空軍的な精神が海軍的なそれを圧倒するようになるというわけで、その選択が端的に現われると予想されるのが、イスラム文明に対してどういう捉え方をするかという問題においてである。
 エアパワーすなわちメディアと最小語数の原理が主導権を持った場合、当然その捉え方は、西欧=「文明」、イスラム=「野蛮」と捉えて、野蛮なイスラムの暴力は彼らもろとも地上から消し去るか、あるいは強制改宗させるべきだという見解になる。
 一方シーパワーすなわち冷徹な知的世界の精神が主力となる場合、米国とイスラムの間に横たわる問題の本質−−それは後に述べるようにむしろ米側の「ハーモニック・コスモス信仰」の問題である−−にメスを入れての深いアプローチも不可能ではない。
 だが今回の件で、後者のアプローチが本格的に許される可能性は、少なくとも米国内においてはほぼ消滅したと考えてよいだろう。つまりこの件に関する限り、米国の知的世界・大学は半ば空からの監視に気兼ねして、極めて浅いところまでしか行動できず、それより深いところに関しては探知能力すら失うようになるということである。
 「レイヤーの発生」とはこのことである。(「レイヤー」とは、水深数十mのところに発生する一種の境界層のことで、「変温層」とも言う。そしてその境界層の下にある物体や潜水艦は水上からはソナーで探知できないという特徴がある。)
 仮想地球儀上の海洋では、知的世界で何か大きな盲点が生じてそれがつながって広い面をなしている時、それをこの「レイヤー」に対応づけている。



 つまり無形シーパワーとして見た場合、米国側は基本的に航空戦力に頼り過ぎ、確かに水上目標への打撃力は増大するが、反面その代償として、このレイヤーの下を探知する能力が大幅に低下するものと予想されることになる。つまり日本側としては、逆にその弱点を突いていけば、知的制海権を確保できる可能性が生まれたということである。  これまでは一般的に言って、日本側が米国側に対抗して知的制海権を奪取することは極めて難しかった。それというのも、たとえ一人二人が優れていたとしても、日本全体として見ると、何せこれまで欧米の下働きのような仕事の経験しかなかったため、自国で良いものが生まれても、欧米のお墨付きが出ない限りぐずぐずした不決断な行動をとりがちで、結局その機動性の鈍さで戦略的に負けていってしまうからである。
 しかしもしこの「レイヤー」を戦略的機動のために使用できるとなれば、そのハンディを補える可能性が出てくることになる。
 具体的に言えば、例えば次のような局面においてそれは有効である。それは、ある分野においてもし何らかの形でハーモニック・コスモス信仰の存在や縮退現象が重要になっていた場合、日本側が次のような一種のコペルニクス的逆転ともいうべき視点をもったらどうだろう。
 すなわちそれは「文明のコラプサー化を防ぐという点ではむしろイスラムの方が先進的な文明であり、米国の方が原始的な文明である」という視点であり、そしてそれをヒントにいろいろな分野で斬新なものを生み出していったとするならどうだろうかということである。(白状すると、ステルス理論にしろ作用マトリックス理論にしろ、着想の際には現実にそれは大きなヒントになってきたのである。)
 この視点こそ、今後の米国が絶対的に拒否すると予想されるものであり、こちらとしてはそこに発生した「レイヤー」の下で戦略的な機動を行ない、そして発表の際には、それをヒントにしたことを、彼らの望み通りに削除するか公言をやや控え目にしてやれば、たとえ彼らの航空戦力が如何に勝っていたとしても、探知されずに彼らの予想外の場所に浮上して攻撃を加える神出鬼没の機動戦が可能になる理屈である。
 だとすれば、それを利用した知的制海権の争奪戦こそ、日本のためにこれから用意されている真の戦いの舞台である。
 その巨大な意義に比べると、現在新聞の紙面を賑わせている自衛隊派遣の後方支援の問題などは、およそ吹けば飛ぶような小さな歴史的意味しかもっておらず、ほとんど記述するに値しない。

やがて姿を現わすべき準四次世界大戦の真のテーマ

 さて準四次世界大戦が90年の湾岸戦争によって始まって以来、97年に西方電撃戦が発生し、そして今、東部戦線が開幕し、その舞台装置はかなり出揃いつつある。
 しかしまだ準四次大戦を貫く真のテーマは姿を現わしているとは言えない。それといのも、実は予定されている舞台装置のうち、一番大事なものがまだ登場していないからである。
 その最後に登場する本命の舞台とは、知的制海権を巡る戦いであり、それこそが準四次大戦全体の行方を決するのである。
 そしてまたそれは、世界を焦土にしかねない不毛な「文明の衝突論」を回避する最大の鍵でもあり、日本にとっては、恐らくその舞台に参加することこそがいわば歴史的役割であって、現在日本にある他のすべてはそれを支える準備のために存在していると言っても過言でない。
 大体において米国政府は今回の事件を評して「新しい型の戦争が始まった」などと宣言しているが、それは歴史を捉える視点としてはいささか旧式で視野が狭く、単なる東部戦線の開幕を、表面だけ見て独立した「戦争」と捉えてしまったため、ストーリーの統一性がどこにもなく、そのため多くの人の頭の中では、ここ十年の大事件とその議論が全部ゼロにリセットされてしまっている有様である。
 おまけにその戦争のテーマにしても、彼らはそれを「暴力的で野蛮なイスラム過激派テロリストに対する文明世界の防衛戦」と位置付けているが、先ほども述べたように、東部戦線だけを見ても本当はそれよりも大きなテーマが横たわっているのであり、さらに言うならば第二次大戦の場合を振り返ってみると、そもそも独ソ開戦の時点ではまだ本当の戦争全体のテーマは姿を現わしてはいなかったのである。  では準四次大戦全体の背後にある真の本質とは一体何なのだろうか。その内容を完全に理解するには、作用マトリックス理論についての理解が必要になるが、ただ結論の方だけを言ってしまえば、それは次のようになる。
 すなわちそれは要するに、米国という国と文明の成り立ち自体が、実はハーモニック・コスモス信仰という一種の錯覚の上に樹立されていたということであり、そしてそれが行きつくところまで行った末の文明レベルの精算ということが、現代の世界が抱える最大の歴史的なテーマだということである。
 そしてその歪みがついに頂点に達した結果、世界の各所でそれへの抵抗が噴出する一方、米側が危機感からかえって迷信にしがみつき、力づくでそれを粉砕しようとする反動が激突しているというのが、まさに現在の世界の本質である。
 事実そう考えると、現在発生しているほとんどすべての問題が、実はこの主題を巡る惑星のようにして存在していることがわかる。以下にそれらを列挙してみよう。
(1)まずそもそも、先進国内部で起こっている、短期的願望の肯定による社会秩序の急速な崩壊−−すなわちコラプサー化−−は、まさにハーモニック・コスモス信仰がもたらしたものである。
(2)そして国際経済の世界では、その思想の行き着く果てにグローバル資本主義という怪物が生まれ、97年に西方電撃戦でアジアの「健全な」経済がそれによって壊滅させられた。
(3)さらにそれに引き続いて、世界経済全体の縮退−−富が勝ち組の中だけで回るようになること−−を黙認して正当化したことで、「ロスト・ワールド」は米国への反乱を宿命づけられて東部戦線の形成へと進んでいる。
(4)また大体においてイスラム文明の問題も実はこれが本質で、イスラム文明の最大の特性は、かつて人類が天体力学と三体問題の岐路に立った際にハーモニック・コスモス信仰を受け入れず、それが西欧文明との命運を分けたという点である。
 すなわちコラプサー化の阻止という観点からは、本来むしろイスラムこそ先進文明であったにもかかわらず、西欧側が自己の錯覚を進歩だと錯覚して彼らに押しつけ、おまけにイスラム側が微積分や解析学的世界観に対抗しうる知的武器をもたなかったため、抵抗がどんどん欝積して奇形化しながら拡大していったのであり、実はこれがイスラム問題の本質である。
(5)さらに、世界全体の戦略的構図という点で、世界統合型と勢力均衡型の対立になるという予想も、実は前者がハーモニック・コスモス信仰に基づく縮退力をバックにしているからこそ起こっていることである。  以上をご覧になってどうであろう。まさしくハーモニック・コスモス信仰がすべての中心に鍵として存在していることが浮き彫りにされているであろう。つまりもしここでそれを数学的に証明することが可能になったとなれば、まさにそれが準四次大戦全体の帰趨を決することになるのである。
 しかしそれがゴールを迎えるには結局は、米国という文明が200年間やってきたことが基本的にすべて誤りだったということが、反論のしようもない真実として文明全体にあまねく布告される、というところまで行かねば、まず到底収まらないだろう。
 しかし米国がそれをすんなり認めるとは考えにくく、それゆえその問題を巡って、仮想地球儀上の海洋で何らかの激突が発生することはほぼ確実と予想される。つまりその知的制海権の争奪戦こそが準四次大戦全体の戦略的中心なのであり、そして結局はそれが東部戦線の戦局をも決することになるはずである。
 そう考えると、日本は現時点では陸側には特に価値のある戦略目標をもっているわけではないため、そこではあまり積極的に動くべきではなく、むしろすべてを将来のその海側での戦いに賭けるのが賢明であることがわかるだろう。
(2001年10月31日長沼伸一郎)
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