無形化経済電撃戦・映画化構想

20020210 長沼伸一郎

 以下は、1997年のアジア経済電撃戦を可視化した「準四次大戦・西方電撃戦」の物語を、将来もし仮に日本、アジア、ヨーロッパなどの合作という形で映画化するとしたら、どのようなものが適切かということについて、その構想の試案をまとめたものである。

 映画が描くのは、その直前、まだアジア経済が将来の世界経済の主人であるとの楽観に支配されていた時期から、それが突如崩壊して、韓国がIMFの支配下に入るまでの出来事で、その史実をほぼ忠実に可視化して「史上最大の作戦」や「トラ・トラ・トラ」のような一大スペクタクル戦争映画として描く。


今この構想をまとめることの意義
 これは、必ずしも今すぐ実現の見込があるというものではないが、むしろその構想を今から練り始めることの目的は次のようなものである。
 それは、今までにも無形化戦略の可視化という作業を進めようとしたのだが、何しろ話が大きいので、どこか中心に幹となるものが何か具体的にあって、それに枝葉をつけていくという形をとっていかないと、どうも焦点が定まらずにやりにくいのである。
 そのためここでとりあえず、この97年の「西方電撃戦」を映画化するということを具体的な目標としてとにかく設定してしまい、これを幹としてそれに枝葉をつける作業を(実現の見込みの有無にかかわらず)進めていく。つまりむしろその目的は、可視化作業全体に一つの明確な目標を与えることにあり、実際そういう拠り所があれば、皆が少しづつそこに何かをつけ加えていくことで、一つの世界を作りやすいのである。

 ただし、確かに映画化自体に関してはすぐには実現の見込みはないといっても、10年ぐらいのスパンで見た場合、その見込みの方も必ずしもゼロとは言い切れないものがある。実際その革命的内容は、確かに人々の想像を遥かに超えたものではあるものの、同時に多くの人が潜在的に見たいと思っていたものであることも恐らく確かであり、作品として成功したものができれば、アジアでの大反響は容易に予想される。

 むしろこの構想の場合、問題は金銭的コストよりもむしろ知的コストの側が巨大だということである。何しろその映像は誰一人見たことがない代物なので、どういう「絵」を作れば良いのかということ自体が、今のところ誰にもわかっていない。
 そのため相当に長い時間をかけて多くの才能が知恵を出し合い、十分に熟成させねばならず、その知的コストとそれにかかる時間は、いくら巨額な資金の力をもってしても、なかなか短縮できるものではない。
 逆に作るべき「絵」がはっきりわかっておりさえすれば、単にそれをハリウッドの2年遅れぐらいのCG技術で映像化するだけでも、映像としては十分勝負できるものになるだろう。それを考えると金銭的なコスト自体は意外に安く上げられるかもしれず、その点ではちょうどハリウッドとは状況が逆なのである。

 そこでこの場合、とにかく10年ぐらいは時間をかけて、いろいろな人がアイデアを出し合い、風景、兵器、服装、建造物などのデザインやその相互の関係を制定し、試行錯誤も含めて大量の絵コンテを用意しておくことが必要となる。
 そしてその蓄積がついに十分な量に達した時、恐らくどこかで何かが起こるだろう。世の中というものはそういうものである。


この映画の性格
 先ほどもちらりと述べたように、これは重い社会派の映画ではなく、良くも悪くもダリル・F・ザナック(前記作品の製作者)風の大作で、終わった後に観客がそのスケール感に圧倒されながらも、同時にマーチ風のテーマを何となく口ずさみながら帰れるようなものを想定する。(とにかく最近は本当にそういう映画ができなくなってしまっており、その再生の試みであると思っていただければ良いだろう。)

 骨格となる歴史的大事件そのものが巨大で複雑であるため、一種の狂言回し役を作って彼らを中心にストーリーを展開させる。また歴史の側が複雑巨大なストーリーで展開している以上、狂言回しの周りのストーリーは比較的単純である必要がある。

 また娯楽性を強めるためには「敵役」の存在が明瞭であることが不可欠であるが、今回その役につくのは米国というよりはむしろいわゆる「為替金融帝国」である。(厳密に言えばこの「帝国」はそれよりもう少し拡大された概念で、トックビルが描く抽象的で完全に非人格化された専制権力を意味しており、特定の金融資本グループなどのことではない。)
 そもそも最近ハリウッドであまり「面白い」戦争映画が作れなくなった理由の一つが、現実世界で米国自身が強くなりすぎた結果、米国側を主役にする限りは、誰を敵役にしてもそちらが相対的に弱者となってしまい、どれもちゃちに見えてしまうことである。
 そのためもあって、この出来事を描くには、どうしても背後にある「帝国」の存在を描いて、それを強い魅力的な敵役として描写せねばならない。そしてその描写もまた、狂言回し役の周囲に起こる出来事を通じて行う。ただし敵役といえども悪を強調することはせず、むしろ「強く、冷たく、格好良く」というスタンスで描写する。

 そして以下に、映画がどのような場面で構成されるかのシノプシスを示す。


  「無形化電撃戦1997」(仮題の例。タイトル未定。)のシノプシス


オープニング部分
 オープニング前のまだ暗い画面に、無形化に関する印象的な予備知識がいくつか静かに字幕で出される。(そして音楽スタート)

 オープニング・シーンで、いきなり異様な形の航空機が画面一杯に登場し、無形化世界の圧倒的な印象を観客に与える。(スターウォーズ第1作のOPの感じか)


場面1.最初はアジア陸軍の快進撃の場面。
 アジアの新型機甲師団の描写からスタートする。高速性能が良い装輪式戦闘車両を大量に装備したモダンな機甲師団が、アジア地域の欧米の部隊と小競り合いを演じて、たちまち勝利する場面が描かれる。
 道路を高速で移動する新型機甲師団の戦術とその強さを、序盤の戦闘シーンを通じて観客に理解させる。(アップの迫力のある映像より、むしろ引きで撮って戦場全体がジオラマのようにわかりやすくなっている方が良いだろう。)

 この場面を通じて、アジア人将校たちを欧米の将校と同等以上の堂々とした存在として描き、アジアの貧乏くさくて弱いイメージを完全に払拭する。また歩兵の質には格段の差があり、米歩兵はおどおどしてむしろ貧相で、命令の右と左を勘違いする鈍さ。(「歩兵があれじゃ勝てませんよ」との台詞。)制服も小銃も、アジア側の方が上等。

 そしてアジア軍の方が食料・物資も潤沢で、ケーキなどがトラックに山と積まれている。一方捕虜にした米兵は栄養状態が悪い。アジア将校は部下の軍曹に、自分たちの物資の中からケーキを彼らに分けてやるよう命じ、軍曹も気前良く承知する。渡す仕草も丁寧。(この場面は、ケーキなどを如何にもおいしそうに描写することで、アジア側の余裕を表現。その印象を通じて、これまでのハリウッド映画でのアジア人と米国人の紋切り型の関係イメージを打破しておく。)

 また韓国の要塞のコンクリート壁(強い保護規制)の堅固な威容が示される。(これはむしろこの場面の前のOPにもってきて航空機と共に描き、最初に無形化世界の光景を印象づける助けにした方が良いかもしれない。コンクリートの堅城の素晴らしい絵コンテが欲しい。)


場面2.空で雲の中の「オーバーロード」に遭遇する場面。
(前の場面の「強いアジア陸軍」の描写との対比の形で、対戦相手として強い「帝国」が存在することを予感させる場面。)

 まず軽い航空戦シーンを通じて空軍の活動の一端が紹介される。続いて場面は偵察機の機内に。狂言回し役の主人公(韓国の情報将校か)がその偵察機に同乗。
 偵察機の空からのパノラマ的な視点で、アジア陸軍の強さと、米側が核兵器を使えないことが観客に示される。乗員の一人が、アジア陸軍に対して打つ手がない米陸軍を嘲笑う。(逆に観客は、何か強力な反撃が準備されていることを予感。)しかし情報将校は、その油断した態度そのものが心配らしい。

 偵察機は、それでも米側の秘密の核戦力拠点があるのではないかとの、ややあてにならない情報を確認するため、法的にはやや問題のある空域に侵入して偵察飛行を行っているのだが、やはり地上にはそんなものはないことが確認される。
 ところが機体の不調で問題空域からの離脱のため高度を上げたところ、正体不明の巨大なバルーン状の飛行物体(オーバーロード)を雲の切れ間から偶然目撃する。

 指示を無視した行動をとろうとしたところ、突如機内のIFF(敵味方識別装置)が異常反応。通常ならスクリーン上で味方は緑で、敵は赤で表示されているのだが、この時、今まで緑で示されていた周囲の航空機の表示が次々に赤に変わっていく。つまり周囲にはこちらが赤で表示されていることになり、追われる立場になることの恐怖。

 さんざん逃げ回るが、周囲の航空機が後から後から新たに「赤」に変わって逃げ切れず、ついに撃墜されて命からがらパラシュートで脱出。(IFFは後で大きな伏線に。それが次々に赤に変わって主人公が追い詰められていく様子は、あたかも背後に何らかの意志をもつ存在があるかのように演出される要あり。この場面で帝国の存在とその力が示唆される)。
 なお「場面1」の地上戦でも、敵味方の流動的な複雑な戦場で、IFFが敵味方識別用に不可欠なものとして使われていることがちらりと描かれる。
(ただしこの場合、地上軍自身が陸戦用のIFFをもっていて、直接自分たちでそれを使っているという設定にするか、あるいはIFFはもっぱら航空機に搭載されているが、地上軍が支援航空機からの情報に全面的に依存しているため、間接的にIFFの影響を受けているとするかは、今のところ未定。)

 なお、主人公のキャスティングは韓国かアジア映画のスターが適切か。偵察機にはヨーロッパ人将校も乗り合わせており、彼らがコンビで狂言回しとなる。韓国人将校は、クールでシリアスなエリートだが、一方ヨーロッパ将校のキャラクターは、上品で頭は良いが、ちょっとシャイでとぼけた御人好しの感じが望ましい。彼ら二人のキャスティングのバランスの妙が、映画全体のバランスを決める。


場面3.大鉄道網のパノラミックな描写と帝国の影
 脱出した主人公たちが降下したのは、「回廊」と呼ばれる、海上に隆起した細長い帯状の陸地(合計全長はアジア地域だけで数千km)の外縁の部分。
 降りた場所を地図で確認している場面で、広げている地図が航空写真映像にオーバーラップで切り替わり、どんどん引きの映像になっていくと、地球上を大規模に鉄道網とその回廊がカバーしていることの驚異が描写される。(この場合、一旦地図のカットにしてからでなく、よくあるように、人物を頭上から撮った映像から直接どんどん引いて地球の映像にするのは、CG見本市みたいでもう陳腐化していて良くないと思うが、どうだろう。重厚でスタイリッシュな新手法が欲しいものである。)

 回廊の二列に並んだ高い山脈は、海からの視野を完全に遮って、その中に外界から隔絶された世界を作っている。回廊の内側は山脈の岩膚が露出して針葉樹のある、荒々しい北方風の風景で、空は大抵は雲に覆われている。そしてそこに何本もの鉄道線路が敷設され、装甲列車が走っていて、どこか重苦しいヨーロッパ風の雰囲気が漂う。
 ある意味で、長い山脈に挟まれて謎を秘めたこの「回廊」はこの映画の風景の上での主役であり、ちょうど一昔前の戦争映画で、ドイツの要塞が隠されている奥地の山岳地帯の趣がある。
 つまり現在のアメリカ映画からは失われてしまった風景であり、神秘的な重厚さを損なわないよう、軽すぎるCG映像は使わないよう注意が必要。音楽は、昔のハリウッド風のおどろおどろしいBGMより、例えばブルックナーの交響曲に似た感じの質の高い重厚な音楽が望ましいかもしれない。

 ジョージ・ソロスが帝国軍の将軍として専用列車で登場。今回の作戦の立案者であるため、一応は悪役だがある意味では一方の主役。頭の切れる冷たい堂々とした悪の魅力が欲しい。ちゃちで強欲な悪人として描くと映画全体が安っぽくなる。(立場的にはドイツのマンシュタイン将軍を親衛隊−−SS--の所属にした感じか。)
 帝国軍将兵は、それとわかる服装をしており(肩部に黒白ストライプの識別帯をつけている)、皆きびきびしていて、以前のシーンの米兵とは対照的に強そうである。

(なお、ここからは次の場面4と並行的に進行する。)

 ソロスの所属や作戦が米国政府そのものとは一応少々別であることが、米国の将官との協議の場面などを通じて示される。(米国とソロスら帝国軍の立場は、ちょうどドイツの国防軍と親衛隊の関係に似ている。)そして帝国軍将兵が皆グローバルな「千年王国」の到来を信じているらしいことも、間接的に描写される。

 ソロスがIFFに隠された秘密を会話の端で観客に明らかにする。(IFFは中立的な自動敵味方識別システムのはずだが、実は帝国が背後で恣意的に誰が敵かを決められるよう偏向したプログラムを加えており、それが強力な支配力となっていること。)
 そして前のシーンで情報将校らが目撃した飛行物体が、そのための(無人?)空中自動管制施設であって、もっと遥かに全世界的で巨大な規模をもつものであることも、観客に知らされる。
 ソロスが半ば自嘲的に「それは今やわれわれの主人だ。しかし千年王国が結局はそれを中心にして作るしかない以上、それは神の摂理であり、その代理人には違いない。」と語り、以前の主人公たちが撃墜されたシーンとのつながりを観客に連想させる。

 続いて、場面1と同じ場所。アジア陸軍の補給部隊の大半が帝国のトラック輸送部隊で占められている不気味な描写。乗員が肩部につけている帝国の黒白ストライプの識別帯を見て、アジア人将校は「彼らは一体どういう者たちか」と不思議がる。


場面4.情報将校は、列車砲の大量集結を目撃。
 降下地点の周辺を歩き回った情報将校のコンビは、地上で乗機の残骸を発見、そこから写真フィルムやレコーダーなどの回収に成功。
 それらを基に、IFFを狂わせた原因が「帝国」の存在にあることを推理し、当時まだ軽視されていた帝国の脅威に気づく。貴重なフィルムを抱えて、独自行動を決意。(推理のプロットは後の注で例を示す。)
 墜落直前にとった写真に何かが写っている。場所を推理して突き止め、それを確かめるべく、軍内でその危険を知る協力者を得て陸路、回廊の山脈を越えて内側に潜入、そこで、電撃戦に備えて大量に集結した列車砲の恐るべき光景を目撃。だが残念ながら写真撮影には失敗。

(韓国人エリート将校には、どこか悲劇的な一生懸命さがあるが、ヨーロッパ人将校は父親のコネで観戦武官に似た割合お気楽なポストを手に入れてアジアに来ているため、何か飄々としている。エリートコースから落ちこぼれたおとぼけキャラのくせに推理力は確かで、彼の推理が狂言回しをスリリングに展開させる。彼は本来アジアのためにも韓国のためにも働く義理はないのだが、それでもコネを一杯使って韓国将校を助ける。二人の友情。)


場面5.ソロスらの、大作戦発動直前の準備。
 作戦開始に備えて射撃ポジションについた列車砲の、圧倒的な巨大感があらためて表現される。ソロスは回廊内に設けられた作戦司令室にいる。
 地下作戦司令室はドイツ軍のそれを思わせる3階吹き抜けぐらいの凄いスケールで、作戦予定区域全体の大きな立体模型地図が中央テーブルにあり、兵力の駒が置かれている。
 ここは列車砲の射撃指揮所も兼ねているため、そのためのフロアにも大勢の人間が詰めており、また他にも、各予定区域ごとの模型地図のテーブルらしきものが、別に複数設置されている。(以下の場面の作戦経過は、無論この模型地図を用いて観客に示される。)

 そして作戦計画のスケールの大きさを印象づける場面が(補給物資の物凄い量などを通じて間接的に)次々に映り、刻々と作戦前の緊張感が高まる。
 一方その裏で、情報将校のコンビはタイ軍上層部に不鮮明な写真を見せて危険を知らせようと駆け回るが、誰も耳を傾けない。(このあたりのシーンは、「トラ・トラ・トラ」の攻撃直前シーン風。)


場面6.ついに発動される電撃戦。
 秒読みがゼロになると同時に、巨大な列車砲の凄まじい砲撃が始まる。列車砲自体の映像はあまりしつこく出さず、むしろその衝撃が周囲に及ぼす、ちょっと予想できないような現象や風景をいろいろと描くことで、その凄まじさを浮き彫りにさせる。

(なお無論これらの各シーンの最初には、作戦経過にしたがってその場面の場所と日時−−「D+何日」と実時間の両方−−を文字で示すスーパーがつけられて、観客にそれが伝えられる。伝統的な歴史戦争映画では画面の真ん中を占領するように大きな字で出ていたが、この場合もその方が良い。)

 タイ前線に設けられた要塞砲と列車砲の撃ち合い。要塞の弾薬はすぐに撃ち尽くして沈黙する。

 要塞の司令室のスクリーンには、要塞自体のダメージや、戦線全体を要塞が一種の堤防として支えていて、それが決壊寸前であることなどが冷酷に示されていく。(派手な爆発アクションシーンばかりだと意外に飽きるので、そちらは短いカットにして散りばめ、むしろこうした全体状況が冷静に把握できるカットをベースにする。)
 要塞砲の射撃中、刻々目減りしていく弾薬の緊迫感を、スクリーン上の残弾カウンターの数字がゼロに近づいていくことなどでドラマチックに表現。

 戦術スクリーン上には、戦線背後のアジア軍の状況が映っており、機甲師団の車両が道路上に何本かの列をなしている。今のところ要塞砲の対抗砲撃がその射程ぎりぎりの距離で列車砲の接近を食い止める「堤防」となっており、まだそれらは列車砲の射程内に捕捉されていない。
 そしてその間に何とか安全圏に退避しようと、それらの車両が戦線後方へ道路上をゆっくり移動している状況が映っている。(要塞内の士官の「早く、早く」という焦りのつぶやきが聞こえる。)だがとてもではないが、安全圏に脱出するまで要塞は持ちそうにない。ついに残弾ゼロで「堤防」は決壊。


場面7.壊滅するアジアの新型機甲師団
 要塞砲が沈黙した後、列車砲は前進して今度は直接、機甲師団の上に大量の砲弾を降らせ始める。アジアの装輪式戦闘車両の大群は、先頭と最後尾を砲撃でやられて道路上で身動きがとれず、そのまま砲撃ですべて壊滅していく。

(なお、いよいよ機甲師団を目標に射撃を開始しようという直前には、列車砲の射撃シークェンスを弾薬装填から発射準備までメカニカルに一度じっくり見せて、緊張感を高めるのも良いかもしれない。「ナバロンの要塞」の射撃シークェンス風。)

 雨の中、路上で立ち往生する長い車両の列の遠くの後端に、毎秒1発ぐらいのペースで弾着の巨大な爆煙が上がり、それがだんだんこちらに近づいてくる。だが車両が道路の横に出て散開しようとしても、雨で草原の下の土が軟化していて、路外に半分出ただけでもうタイヤが地面にもぐってしまい、這うような速度でしか進めない。弾着はどんどん近づいてくる。

 指揮官は「タイヤの空気圧を下げろ」と命じて、タイヤの接地面積を大きくすることで少しでも走行性能を上げようとするが、ほとんど効果はない。
 やむを得ず指揮官は、せめてキャタピラ式車両だけでも路外に脱出させることを試み、その結果ごく少数だけが助かる。これらによって、新型機甲師団の戦術そのものが破られ、装備の構想が破綻していたことが観客に示される。(現場指揮官が必ずしも無能ではないことを示す描写があった方が緊迫感は増す。また全般的に、戦闘場面で帝国軍の将兵は、作戦経過を示す機械的な会話しか行わないが、むしろアジア軍将兵の側が個人的感想を洩らすことが多いよう演出し、その際に重要な情報を散りばめる。つまりハリウッド映画とは逆パターン。)

 一方アジアの空軍も、警報サイレンの鳴り響く前線の滑走路上で、突然の空襲を受けて離陸できないまま破壊される。
 空襲を加えてくる相手側の爆撃機や攻撃機のコックピットが一瞬ちらりと映ると、そこにもIFFがあって、スクリーン上に地上のアジア空軍機が赤で映っており、パイロットがただ盲目的にそれに従って突入してきていることが示される。
(「目標まであと10秒」などの台詞以外、個人的な会話などはない方が不気味。)

 低空が安全になったので、イルミネーター機(恐らくそれまで雲の上にいた)が精密照準のため高度を下げ、次々に雲の下に姿を現わして戦場上空を舞い始める。機内の照準サイトの視野に、逃げ遅れて路上で渋滞している機甲師団の長い列が映る。「目標照射」の声と共にそこに次々砲弾が落下、アジア陸軍の総崩れ状態が描写される。


場面8.帝国トラック軍団の大脱出作戦
 一方それらの補給に任じられていた帝国のトラック軍団は、攻撃開始時刻直前に勝手にくるりと回れ右して、ぽつぽつと降り出した雨の中を、一斉にあらぬ方向に走り去る。アジア将校たちは慌てて「どうした、一体どこへ行く」と呼び止めるが、銃を向けても無視して遠くへ去る。(ただしこのシーンだけは前の場面6の直前に置かれる)。

 各トラックには、あらかじめ砲撃下での安全な脱出計画が精密な時刻表と共に与えられており、運転席のダッシュボード下のカバーを外すと、カーナビに似た機器があって、キーを回すとルートが映し出される。(カーナビはごついデザインで、あまりモダンな感じではない。)
 トラックの大集団は、砲煙と大雨でこの世のものとも思えない異様な空の下を、ヘッドライトをつけて高速で整然と突進し、信じがたいほどスムーズに巨大な橋を渡って回廊へと脱出する。何か壮大なマスゲームでも見ているようにきれいに流れる車両の列の映像。


場面9.IMFの大戦車軍団の突撃
 トラック部隊が回廊内に無事逃げ込んで去っていくと、カメラがゆっくりパンして後ろを向き、回廊内でIMFの戦車の大集団が山陰でエンジンを切って密かに待機していた衝撃的な映像が初めて観客に示される。やがて砲撃が止んで周囲が一旦静かになる。
 すると今度はそれらの戦車の暖気運転のエンジン音が山間にこだまし、やがて戦車は次々に橋を渡り始める。そしてアジア領内で隊列を整えた後、突進を始める。事実上無人の地を行くに等しい前進。(ただし戦車に関しては、後に韓国の場面でも壮大に描くので、今は大集団の凄まじさそのものはあまり印象的に描く必要はない。むしろ前進の際の無抵抗ぶりを強調。)

 なだらかな起伏の緑の平原の前。雨は少し弱まったが依然降り続いている。何が起こったのかよくわからないまま、とりあえず防戦を命じられて機関銃を構える守備隊。
 雨音を通して遠くから聞こえる無数の戦車のキャタピラ音。雨でかすむ丘の向こうに次々現れる戦車群の、一種幻想的でさえある光景。
 ぽかんと口を開けた守備隊は、無意味に機関銃を撃った後、すぐにパニックに陥って逃げ出す。

 後続とみられる戦車部隊が、破壊された巨大な要塞砲台(先ほどの要塞)の脇を、我が物顔で次々と通り過ぎている。


場面10.マハティールの反撃
 ほとんど飛べる飛行機もなくなったアジアの空で、マハティールだけは空中指揮機に搭乗して果敢に離陸し、反撃を指揮する。スリリングな離陸シーンは無論だが、大砲撃にさらされる地上をバックに飛び続ける指揮機のシルエットを、どこか美しさを感じさせる不思議な映像として描く。

 しかしむしろ彼が反撃を行うことで、かえって地上は砲撃の目標とされて狙い撃ちされる結果を招き、地上からは反撃指揮をやめて適当なところで講和を行ってほしいとの悲鳴が届く。しかしマハティールは断固として拒絶。


場面11.韓国へ北上する列車砲群
 先ほどタイやインドネシアの軍上層部に相手にされなかった情報将校コンビは、今度は手遅れになる前に次の攻撃目標がどこかであるかを調べようとし、それが韓国だと確信する。
 彼らは再び回廊へと戻り、列車砲の大群が韓国へ北上している証拠写真を撮影しようと試みつつ、韓国へ戻ろうとする。
 北上する列車砲集団とのスリリングな競争となり、写真撮影には成功するが、かんじんの韓国への警告は間に合わず、彼らは韓国まであと僅かというところで、恐るべき砲撃の開始を地鳴りと共に回廊内で聞く。山へ登って見ると、彼方に壮大な砲撃の驚くべき光景が。


場面12.間に合わずについに始まった韓国への攻撃
 韓国への攻撃の規模はこれまでで最大のものであり、IMFの戦車大集団が地を埋め尽くす規模で前進していく映像が本格的に描かれる。「丘がまるごと動いてくるような」恐るべき光景。映画全体のクライマックス。(BGMはむしろやや明るいマーチ風で。「バルジ大作戦」の戦車前進シーンのイメージ)


場面13.韓国占領
 占領された各国の様子。進駐してくる戦車が、経済首都の雨に濡れた大通りを行進する。
 韓国では冒頭に出てきた要塞(ただしこれは列車砲と撃ち合いをするための要塞ではない)が武装解除を命じられ、整列したIMF戦車が裏から砲撃で楽々とそのコンクリート壁を崩していく。

 インドネシアでは、スハルトが降伏文書に強制的に署名させられ、戦車は市街地をも破壊する。(インドネシアには、前のシーンのどこかで情報将校らの縁者の一人を残留させておき、その首都からの脱出を描く。振り返ると燃える首都が絵のような美しい光景で見える。)

 また勢いを駈って、イルミネーター機は日本上空にも足を伸ばし、山一を壊滅させる。イルミネーター機の凄まじい威力は、ここで最も激しい形で描写される。


場面14.マハティールの鉄橋爆破作戦
 最後に残っている作戦目標はマレーシアであるらしいことが、作戦指揮室の模型地図によって観客に示される。

 日本は、弾薬援助部隊を独自に組織し(日本側の将官は榊原財務官)、戦闘中のアジア諸国に派遣しようと回廊上で待機させるが、米国と中国が立ちふさがり、ついに空しく出発の機会を失う。

 一方マハティールは、回廊の帝国軍が間もなく本土に迫ってくると判断し、また日本からの援助部隊が来ないことを知ったため、回廊とマレーシア本土をつなぐ鉄橋を爆破するという大胆な作戦に打って出る。爆破作戦は成功し、マハティールは本土防衛に成功する。(以上で、ほぼ今回の作戦自体は終息する。)


場面15.エピローグとして、次の主役たちの顔見せ
 そして最後に音楽が流れ始めて、如何にもしめくくりの雰囲気が流れ始めた時点で、次の時代の主役候補たちの姿が簡単にいくつか描かれる。

 韓国では、金大中がIMFに破壊された要塞のコンクリート壁を見ながら「むしろあんなものはない方が良いのだ。あれはわが国にとってのマジノ線だった」と語り、今までの硬直した防備体制の見直しや、空軍力の刷新などを指示する。

 日本では、格納庫の中の夜間戦闘機を整備作業中に、搭乗員らが将来について雑談。「次は日本へ来るのだろうか」との心配に対して、もう一人が「わからないが、いずれにせよ夜空はわれわれのものだ」と、自分を安心させるように機体を軽く叩く。

 ビル・ゲイツは大量に地上に並べられたRPVを前に、部下と会話しており、次の時代での本格的な登場を予告される。

 回廊にたたずむ主人公二人。雨が止む。カメラが晴れてきた空を写すと、雲の中の「オーバーロード」が不気味に再びちらりと意味ありげに写る。そしてカメラが視点を下げて海面が写ると、そこに潜望鏡が。

 そしてラストのカットは、日本の新型潜水艦のテスト航海。(パネルなどに書かれている文字がカタカナで、むしろそれが何か新鮮。艦内にIFFはない。)潜望鏡で戦場の光景を記録しており、今はそれを空へ向けて雲の中を観測している。声かシルエットだけで、直接顔などは正面からは映らない。
 飛行物体の名が「オーバーロード」であることが、ここで始めて語られる。「すべて終わったようですね」との声に対して「いや、ある意味でこれから始まるのだろう」との台詞で、これから本格的に物事が始まるらしいことが予告される。帰途につく潜水艦の姿(あるいは水面下に引き込まれて消える潜望鏡)がラストシーン。

 このエピローグの場面全体が、かなり明るいマーチ風の音楽をバックに、これからの物語の広がりを予感させる。(アジア的なウェットさとは完全に無縁。)

 画面が暗くなってからは、スタッフのクレジットが流れる前に、この歴史的大事件の規模を示す実際の換算結果の数字が、クレジットとして延々と流され、史実としての重みがあらためて観客に伝えられる。(「空軍大戦略」のラストで、バトル・オブ・ブリテンのデータが延々と示される感じで。そのためやはり壮大な交響楽でないと効果が薄い。)

最後はENDではなくTo be continued in the real history と出る。

(150分の映画だとすれば、各場面は平均10分。)

注・「場面4」での推理プロットの例
 以下は、主人公の情報将校が「場面4」において、回収したフィルムを基に推理を行って、そこに何かが写っていることに気づく場面のプロットの一例である。(なお以下は言葉で説明するとややこしいが、映像で見ると結構分かり良いかもしれない。)

 彼らは残骸から回収したレコーダーのテープから、撃墜される直前のIFF映像を再生して検討する。韓国将校は、緑の機影がどう赤に変わったかということばかりに注意を奪われているが、脇で見ていたヨーロッパ将校が、思いもよらないことを指摘する。

 それは、すでに赤に変わっている機影の集団同士が、何だか不自然な行動をとっていることである。
 普通なら、彼ら(赤)は全機が一致団結してこちらを攻撃してきても良いはずである。ところが彼らはなぜかそのように行動せず、特に回廊上空に差しかかった時には、むしろまるで彼らの中がさらに敵と味方の二派に分かれているような行動をとっていて、その結果として一時的にこちらへの攻撃も弱まっていた。実際それはスクリーン上で見ると、明らかに二つの集団が互いを避ける回避行動パターンに似ているのである。

 このことを彼はこう推理する。つまりこちらのIFF上が赤の機影だらけだった時、本来なら向こうのIFFでは、それらは色を反転させた形ですべて緑(味方)として映っていなければならない。しかし、もしここでもやはり映像が操作されていたとしたらどうだろう。
 つまり当時、向こうのIFF上では実はその半分づつが互いに赤(敵)として表示されていたのではあるまいか?だとすれば、彼らが協調行動ではなく互いに回避行動をとっていたことの説明がつくのである。(試みに、再生の際に緑と赤を半々にして色を変えてみると、実際に回避行動として自然なパターンに見えることが映像的に示される。)

 そして彼らは次のことを思い出す。それは主人公たちの偵察機も任務前半で往路に回廊上空を通ったとき、実は自分たちのIFFにもそれと似た映像が映って回避行動をとり、その空域を迂回したことがあったということである。その時の映像も再生して並べて見ると、確かにそっくりのパターンになっている。

 続いて彼はこう推理する。つまりこれは、回廊付近の地上に何か見られたくないものが存在していて、偵察機をその上空から遠ざけるため、IFFが周囲の機体を相互に敵だと錯覚させ、大きな敵編隊の幻を作り出すことで、誰もその上空に近づかないように仕向けているのではあるまいか?

 そこで彼らは、IFFが飛行機をどの方向へ「行かせたがっていないか」を映像上の各集団ごとに割り出し、それぞれの方向を延長して線を引くと、それらが回廊上のある地点で一点に交わっていることを突き止める。

 そして実は主人公らの偵察機は、墜落直前に回廊のその付近を通過して何枚か写真を撮影しており、それらを急いで現像してみたところ、そのうちの一枚に雲の切れ間から何かが写っているのを発見するのである。

 この場面で、はじめて韓国人将校はヨーロッパ人将校を見直す。(それまでは何だか不器用な間抜けとして小馬鹿にしていた。)事実彼はヨーロッパの軍か政界の偉いさんの次男坊で、そのコネで楽なポストについた。兄も軍内ですでに相当偉い地位にいる。
 彼はおよそ自己顕示欲というものをどこかに置き忘れてきた人間で、親切で無欲なのは良いものの、軍人として全然やる気がなく、大尉の階級もそうやって怪しげに得たもので、さすがにそれ以上の昇進はないと見られている。
 しかしだからといって父や兄に反抗したり世をすねたりする気配は全くなく、素直さ故に可愛がられていて、頼みは聞いてもらえる。自身が無欲なせいか、コネを使うことに罪悪感がなく、周囲も憎めないでいる。

 一方すべてに積極的だが真面目一途の韓国人将校は、この親切心以外の行動原理をもたない脱力的好人物の雰囲気に無意識に影響される格好で、はじめて組織から外れた独自行動をとることを決意する。その点で秩序無視型のハリウッド映画の主人公の行動とは異なる。ただし彼の性格や価値観そのものは何も影響を受けておらず、ハリウッドによくある「画一的東洋人が個性的西洋人の影響で開眼する」パターンではない。


可視化の対応物と、基になった史実

・この映画の基になる史実は、言わずと知れた1997年のアジア経済危機である。戦場となったのは、タイ、インドネシア、韓国などで、ここの経済が通貨危機で一瞬に崩壊した。

・列車砲の対応物は、いわゆるヘッジファンドなどの巨大機関投資家であり、その中心にあったジョージ・ソロスが、いわば今回の作戦の指揮官である。(なおタイでは昨年あたりに彼が講演のため入国しようとしたところ、人々がいまだにそれを許さなかったのだそうである。)

・鉄道は銀行の資金輸送能力を、砲撃は投機を示す。

・場面1で登場するアジア新機甲師団の装輪式戦闘車両−−具体的には、キャタピラをもたずタイヤ式の車体に戦車と同じ砲塔を搭載した装甲戦闘車両−−−は、当時のアジアで外資導入によって安直に作られた近代企業を示す。

 日本経済は戦車もAPCも全部キャタピラ式だが、タイヤ式はそれらに比べて道路上での高速発揮にすぐれ、またコストが安いのですぐに大量に装備できる。、
 そしてこれらのゆえに当時のアジアは「世界唯一の成長センター」ともてはやされ、97年の直前までほとんどの経済人が、衰退してゆくアメリカ経済にかわって、アジア経済が世界経済の最大の主役になると思っていた。(何しろ当時はインドネシアが超大国になるとの予測まであったのである。)
 アジア人将校が米軍を嘲笑う場面は、この史実に基づいている。

・最初の場面での米歩兵の質の低さは無論、当時の労働者の質を表現する。

・列車砲などが移動する「回廊」は、国際的な資金の輸送網を象徴する仮想的存在として、仮想地球儀上に場所を与えられている。アジア周辺では、海上に隆起した細長い陸地をつないで回廊を形成しているため、平均幅20kmの細長い陸地が長さ数千kmにわたって接続された形で沖合に生じていて、列車砲は直接ここから砲撃できる。
 つまりこの回廊は、いわばグローバリズムの象徴であると共に、「帝国」の陸側の本拠である。しかし97年の時点ではその脅威は十分に認識されておらず、主人公たちの警告を周囲が一笑に付すことは、この史実に基づく。

・場面6で出てくる要塞砲の対抗砲撃は、政府の介入による自国通貨の買い支えを表わす。史実でも、タイなど各国政府は必死で自国通貨を買い支えたが、あっという間に介入資金が底をついて沈黙した。

・場面7でアジアの空軍力が空襲で壊滅することは、この通貨暴落によってそれまでの「発展する強いアジア」のイメージが一瞬で打ち砕かれて、完全に情報制空権を失ったことを表現している。
 この時は、場面10に見られるように、これを「アジアの自業自得論」と評する欧米側の見解に対してマハティールだけが断固反対する主張を続けるが、他の指導者・識者はほとんどが沈黙してしまって、なすがままにされてしまった。

・場面8で出てくるトラック部隊の大脱出は、それまでアジア企業に投資していた海外からの短期資金があっという間に国外逃避し、負債を抱えて身動きのとれないアジア企業が取り残されていった史実を表現。

・場面9のIMF戦車部隊の前進は、通貨危機に陥った国の要請を受けて、IMFがいわば緊急治安維持部隊のように資金援助を行うことを示す。一般にIMFの支援は、同時にその代償としてその国の経済政策に占領軍よろしく干渉できる権限を手に入れられるため、ある意味でこれは表面上は救援軍だが内実は占領軍としての一面ももつ。

 過去の戦例でも、旧ソ連軍などが相手国の衛星国化を狙って戦車部隊を侵攻させる時に、表面上は相手国政府の救援要請を受ける形にするという手をよく使った。
 ただしこの映画の場合は、その救援要請が半ば自動的に発せられる制度やシステムがもとからあって、砲撃による破壊レベルがそこに達したことでそれが働いてしまったいう設定が必要だろう。(例えば主人公の「何てことだ、奴らは緊急治安維持軍と救援要請システムを占領部隊として使うつもりだったのか」などの台詞で観客に説明。史実でも、この寸前までIMFが強力な武器になると予想していた人はほとんどいなかった。)

・場面13で、韓国の堅固な要塞のコンクリート壁を戦車が背後から砲撃で楽々と崩していくが、これはそれまで韓国が国内経済に、日本以上と言われる政府保護規制を張り巡らせて、米国がそれを突き崩せず手を焼いていたが、それがIMFの力で背後からあっさり崩すことに成功した史実を表現している。

 またインドネシアではIMFの統治が極めて劣悪で、その後暴動まで誘発して国全体がガタガタになったが、市街地の破壊はこの史実を表現。

 イルミネーター機は、ムーディーズなどの格付け機関を示す。これが債権などの評価を格下げすると、ちょうど砲撃目標がレーザー照射されたようになり、誘導砲弾が集中豪雨的に落下して、一瞬で山一證券クラスの大企業が壊滅する。

・場面2でIFFが狂うシーンは、最小語数の原理によって、メディア上の言論が必ず短期的願望を肯定する方向にバイアスがかかってしまうことを表現。つまり自然に言論が縮退方向に誘導されて、それに反対する者は敵のレッテルを貼られることになる。

・空中の飛行物体は、その縮退力を司り、世界のゴールとしてコラプサーに向かわせることを目的としている仮想的存在「オーバーロード」を示す。それが雲の中に隠れて存在していることは、それが完全な仮想的存在であって決して目に見えないことを意味している。
 これはトックビルの例の名言集の中では、「新しい専制政治の社会にはただ一つの巨大な後見的な権力がそびえている」と表現されている仮想的な専制権力に相当し、それを象徴的に可視化したものである。
(「オーバーロード」の名称は、無論アーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり」にちなむ。この名称を冠したことで、各国にいるSFファンの共感を得ることを期待できるだろう。)

・場面14で、日本の援助部隊が出発できない場面があるが、これは日本が榊原財務官が中心となって「アジア通貨基金」(AMF)というものを作ろうとしたのだが、アメリカと中国の反対で挫折した史実に基づく。

 またマハティールが鉄橋爆破を行う場面は、この危機に臨んで彼が「資本移転の制限」という大胆な政策を打ち出した史実に基づく。当時これは「資本鎖国」と呼ばれて、欧米からは常識外れの愚かな政策と非難されたが、結果的には見事な成功だったことが示された。(ただし史実では時期的には本当は少し後に実施されたが。)

・場面15で金大中が空軍力の刷新を語ることは、日本文化解禁政策や、映画振興政策などのことで、実際に後に「シュリ」などの韓国映画の隆盛をもたらした。

・また、日本の夜間戦闘機は主としてアニメやおたく文化の力を示し、97年のこの時点ではすでに「もののけ姫」と「新世紀エヴァンゲリオン」の社会現象化によってその力が国内では認識されていたが、海外ではポケモンのヒットが翌々年だったので、「これからの主役」というのも一応史実には反さないだろう。

・同じく、ビル・ゲイツもすでにこの頃には世界的に巨大な力として認められていたが、まあインターネットでなければ夜も日も明けない状態になったのは、やはりその後である。なお、RPV(遠隔操作式小型無人ヘリコプター)は、インターネットHPのことを表現している。

・ラストシーンで出てくる日本の潜水艦は、実は厚かましくも我々パスファインダー部隊のこと。


可視化の細部

・「回廊」の詳細について
 基本的にそれは非常に細長い島がいくつかつながって出来たものである。島の両側に沿って二本の山脈が走っており、その間に列車砲などが通る鉄道の路床が出来ている。(山脈の一方は70年代のニクソン・ショックの造山運動の際に、もう一方は80年代の英国のビッグバンの造山運動の際に、それぞれ海中から隆起してできたものである。)

 山脈に挟まれた中央部は、基本的に「帝国」の聖域であり、ここはどの国家の領土でもないが一般人は立ち入れない謎の領域である。
 一方、山脈の外側には、一般人も乗れる鉄道が山脈の山肌に沿って走っており、一般人が労働のために外国へ移動する際にはこの鉄道が使われる。(つまり線路上からの風景は、列車砲などの場合は常に両側に山脈が見えているが、一般人の鉄道では片側に山脈が、そして反対側には海が見えていることになる。)

 そのため回廊の内側に一般人が立ち入れないよう、山脈を越えるルートの途上には監視哨などが設けられている。

 以上の設定からすると、映画で主人公たちが列車砲を追跡する時は、最初山脈の外側に沿って移動し、潜入に際してはその山脈を越えて中を見渡せる位置に行く格好になる。またその際、彼らは移動手段としては一般旅客用の鉄道を利用することになり、列車のシーンは割合多くなるだろう。

 安手の戦争アクション映画だと、ここで追っ手が列車に乗り込んできて、大抵は格闘したり飛び降りたりになるのだが、この場合は設定上あまり必要ない。
 まあ「大脱走」のように列車から飛び降りる場面ぐらいはあっても良いかもしれないが、むしろそういう描写は、もし次回作以降で後の時代を描くことがあった場合、国際テロ対策の描写でどうせ嫌というほど要求されるようになるものと思われる。

 それというのもこの回廊自体がグローバリズムの象徴であり、そして資本や人の国境を越えた自由な移動を表現するものである以上、対テロ戦もまたこの回廊上での戦いになるはずなのである。
 そしてその場合、国際的テロリストは、化学兵器の入ったスーツケースを抱えてこの回廊上(主としてその外縁)を鉄道で移動する存在として可視化されることになる。(今回、主人公たちはそういう存在ではないので、特に警備の対象にはならない。)

 なお次回作などでもし、国際テロ制圧のために国境を越えて駆け回る警察の特殊部隊などが登場する場合、彼らは移動手段にヘリコプターなどを使わず、回廊の鉄道上を自走高速装甲トロッコで移動することとする。そしてそのための専用線路が、一般の旅客用鉄道に並行して走っているものとする。
(考えてみると「ロシアより愛を込めて」も、ジェームズ・ボンドが列車を使わずもっぱらヘリコプターで移動していたら、さぞ重厚感の乏しいつまらない映画になっていたろう。)なおその線路自体は、一応はこの映画でも背景の一部に描かれているべきだろう。

 山脈の中腹には針葉樹がかなり生えていて、ヨーロッパ的な風景となっている。可視化のルールでは、針葉樹はもともとキリスト教的伝統を示す。現代の金融の世界はプロテスタント的伝統の延長にあるということで、ここの木々は針葉樹とされている。(ちょっと木の成長が早いことになるが、それには目をつぶろう。)逆に言えば、アジアの戦場にはあまり針葉樹はない。
 回廊の内部は、山脈に挟まれた鉄道の路床部分も標高が割合に高いので、たとえ隣に亜熱帯地域があろうと、回廊内部の気候は気温が比較的低くてヨーロッパ並みである。

 回廊そのものは東アジアから米国を通ってロシアまで続いており、その総延長は3万数千kmにおよぶ。その非常に細長い面積の総計は、優に日本(ただし現実の物理的国土)の面積に匹敵する。

 そうしてみると、この回廊の山脈の間の帝国の「聖域」は、単に鉄道線路のための土地というよりは、むしろ巨大多国籍企業などの無国籍マネー人種の根拠地である。
 そのために、ソロスの今回の作戦司令室などもこの中に置かれているわけだが、あるいは軍事施設ばかりではなく、長い回廊のところどころには、彼らの館や城なども存在しているかもしれない。(彼らが現実のオークションで買い漁って金庫にしまい込んでいる美術品の量を「城」として可視化するという案はどうだろう。)
 いずれにせよ、ここにはヨーロッパ的な風景をかなり自由に作れる余地があり、想像力を掻き立てられる場所である。


戦場の光景について
 基本的に経済戦の戦場は、各国の小領土がモザイク状に隣接して分布した格好になっている。つまり例えばインドネシアの地理的領土内部に、米軍、英軍、(無論日本軍も)の勢力圏の小領地がモザイク状に存在している。(現地法人などがその小領地内部にあることは言うまでもない。)
 これはどこの国でも同じであり、輸出入の経済交流がある限り必ずモザイク構造がある。小領地の中心部には(ちょうど大使館のように)小さな拠点の保有が保証されているが、周辺領地の面積の奪い合いは、軍事力による自由な争奪に委ねられている。

 場面1での、アジア陸軍と欧米陸軍の小競り合いは、このモザイク小領地の周辺の戦いである。

 このモザイク構造のために、核兵器は爆発範囲を敵国だけに限定できず自国領や中立国に被害を及ぼす恐れがあるため、どの国も互いに使用不能である。(つまり物質的世界の話で言うと、経済戦争を行っている先進国間では軍事力の使用が不可能であり、現実に当時米国が無敵の軍事力をもっていても、それをアジアでの経済戦争に使うことが全くできなかった。)そのことは場面2で偵察機からの視点で示される。

(以下、この項続く。)