海軍戦略応用編〜バグダッドの地政学的意義

※本論文は、11月例会にて行われた海軍戦略講義をテープ起こししたものです。
内容が、現代史に絡む故に、いささか微妙な問題を含むため、一般公開は避けて
チーム専用ページに掲載します。
(20030306 解説地図追加)

ドイツを始めとする第二次大戦参戦国にとって、戦略の中枢は実はバグダッドに
あったのではないか、という観点からバグダッドの地政学的意義を再検討します。
まず地図を見てください。地図上に重要な地点をプロットしてあります。
モスクワ、スターリングラード、クルスク、チャリャビンスク(ウラル)、バクー。
これらが、ドイツとソビエト連邦の戦争を知るために絶対必要な地点です。
ウラルは軍需産業の中心地で、チェリャビンスクは、タンコグラード(戦車tank工場の町grad)
とも呼ばれたほどの戦車生産の中心地でした。

 ここでまず歴史上のドイツ軍の戦略を簡単に見てみましょう。3つの作戦がありました。
ドイツは1941、2、3年と3回、ソビエトに侵攻しています。一つ目が1941年のモスクワを
目標とするバルバロッサ作戦、2番目が1942年のカフカス・スターリングラード戦、
3つ目は1943年のクルスクの決戦です。
 各々について簡単に説明しましょう。
 バルバロッサ作戦というのは非常に単純な作戦で、ドイツ国境にあったドイツ
の機甲師団をモスクワめがけて侵攻、殺到させるというものでした。ところが
冬将軍の訪れでモスクワをついに攻略できずに、後退しました。
 その後の膠着状態の打開のため翌年1942年に、ヒトラーが「バクーの油田だ、
バクーの油田が欲しい」と言い出したのが、2番目のカフカス・スターリング
ラード戦のそもそもの発端でした。

 カフカス地方というのは地形が険しく、南からの正面攻撃だとかなり手こずる。
それで、バグダットを出発した南側からの攻撃は、せいぜい20個師団ぐらいの
陽動で、むしろ主力は100個師団ぐらいを西方国境に置き、電撃作戦でウクライナ
を抜いて一挙にその背後に迫るという作戦案がたてられました。
その際、バクーに侵攻する時に横腹を突かれては困るので、
安全を確保するための基地、砦が欲しかった。スターリングラード攻略戦
はもともとそれが目的で、スターリングラード自体は戦略目標でも何でもなか
ったのだが、スターリングラ―ド(スターリンの町)」という名の町を陥落さ
せればソ連軍の士気はがた落ちするだろう、とヒトラーが考えたために、だん
だんスターリングラード自体が重要な目標に変わっていきました。結果的にはスターリ
ングラード攻略中、ソビエト軍に背後へ回られたドイツ軍はが全滅する、という
悲惨な結果に終わりました。
 3番目のクルスクの決戦ですが、その時点でドイツ軍は2箇所の突出部を持ち、
ソ連側はクルスクが突出部となる、という配置になっていました。そこで
ドイツ軍はその突出しているクルスクを切り取ってしまおう、と精鋭部隊を
全部集めたというのが、クルスクの決戦だった。両軍にとっては雌雄
を決する最後の遭遇戦だったわけです。
 本当は、ドイツ軍は勝てるはずの戦いでした。プロホロフカの大戦車戦、史上
最大の戦車戦と言われる戦いがあり、それにはドイツ軍は何とか勝った。
そして予備戦力を投入すればそのまま勝てるか、というところでシシリー島に
連合軍が上陸を始めてしまったため、ドイツは作戦を中止して兵を退かざるを得ず、
結局これ以降ドイツ軍は既に、新しい作戦を遂行する力を持たなかった。

 これらを見て、ドイツがやっていたことは何だったか。それはソビエト軍を東
へ、力で押していくだけなんですよね。ソ連としては、意志、政治の中心であ
るモスクワと、体力と、戦車生産の中心であるウラル、タンコグラードの連携
が取れていれば、バネを押されているようなものでドイツ軍の力が衰えればか
ならず押し返せるはずなんですよ。つまり、2つの中心の連携を遮断するとい
うことが、対ソ戦略の最大の鍵でなければならない、ということがわかります。
 日本の場合で考えてみれば、意思の中心が日本にあって、インドネシアを中心
とする東南アジア地域に資源地帯があった。この連携を断たれれば終わりです。
 一方、西部戦線にあっては意志の中心はイギリスにあり、力の中心はアメリカ
にあった。だから、その連携をUボートで断てば勝てるということになります。
対ソ戦でのドイツ軍には、意志の中心モスクワと、供給の中心タンコグラード
の連携を断つという視点が根本的に欠けていた。
 そうすると、ドイツ軍の対ソ戦略というのはどうあるべきだったか。バルバロ
ッサ作戦なんて、最初からやらなければよかったんです。そのかわり、まず地
中海を押さえ、ロンメル軍にスエズを渡らせて、一挙にバグダッドを落とす。
地中海からイギリス海軍を追い出しておけば、クルスクの決戦の時、連合軍が
シシリー島に上陸するなんてこともなかった。そしてバグダッドからバクー、
それから北方へ進軍して2つの中心の連携を断つ、という進軍が最善といえます。
 初年度の1941年にはスエズを陥し、冬の間にバグダッドまで進む。1942年にバ
クーを陥し、1943年にタンコグラードとモスクワの連携を断つべく進軍を始める。
この時点で既にソ連は石油を得ることができなくなっていることと、もう一つ、
当時バスラを通っていたアメリカからの支援 経路が断たれていることも重要です。
 ソ連側としてもモスクワとタンコグラードのどちらを守ればいいのか分からな
いので、兵力を分散せざるをえないですよね。ここで、レニングラードを陥し
ておいてモスクワへ向かう陽動部隊をモスクワに向かわせればどうしてもそち
らの方に兵力を割きますから、その上で2つの中心の連携を断つ方向に兵力を
集中させれば確実です。
 このように見てくると、ドイツの対ソ戦略にとって最大の要点がバグダッドに
あったということははっきりします。
 地政学の原則からしてドイツが勝つためには、バルト海と地中海を閉鎖海にし
ておいて、英米の海からの進入を防いだ上で東ヨーロッパを料理するというや
り方が最善です。そういう意味では第一次世界大戦の時のほうがよくわかって
いました。当時ドイツは3B政策といって、バグダッド、ビザンチウム、ベル
リンを結ぶ鉄道を作ることがイギリスを倒す最大の鍵であるということを理解
していたわけですね。
 第2次大戦でそのバグダッドの重要性が忘れられていた理由はやはり、ヒトラ
ーがフランスとソ連の2正面作戦を避けるため、まずフランスを討ってから時
間差でソ連を討つという作戦がありきだったから、このような地政学的な視点
が欠けていた訳です。
 バグダッドの重要性というのは、イギリスの海軍戦略との関係を考えてもよく
わかります。ドイツがスエズとバグダッドを取っているとなると、ドイツ海軍
はこの辺(インド洋北西部〜アラビア海)の制海権を手にすることができるわ
けです。しかしイギリス海軍としてはインド帝国とのつながりというのは非常
に重要ですから、この辺の制海権というのは死活問題である訳です。
 それと既に日本はシンガポールを占領していましたから(1942年2月)、東か
ら日本軍に攻めてこられる可能性もあるわけですよ。ですからもしドイツがバ
グダッドを陥したとなると、イギリスはインドそのものを失う危険に晒される。
そうなってくると、日本海軍にもまだ有効な戦略が考えられた。日本という国の生命
線は、南アジアの資源地帯と日本との連絡を維持することにあるわけですから、
マリアナ諸島に航空基地建設の権利を得て、アメリカ軍を開戦後1年半から2年、
行動不能の状態にする。そしてこの海域(マリアナ諸島以西の太平洋と南シナ
海)を絶対安全水域にすること自体を、戦争目的にすることができる訳です。
 そしてその時点でイギリスと講和の談判に入る。その前段階として戦艦大和を宣伝
部隊として、アジア人にも大和のような世界一のハードウエアが作れる、決して
ヨーロッパ人に劣っているのではないと言う事をデモンストレーションしながら
アジア諸国を歴訪し、アジアのあちこちに独立への火種を撒く。これが大和の
最も効果的な使い道です。
 そしてもしイギリスが講和に応じなければインド独立を支援する(インド独立闘争の志士、
チャンドラ・ボースは日本に亡命していた)が、講和すればそのままイギリス領と
認めるという条件であれば、イギリスとの単独講和も全く不可能ではなかったはずです。
 このように、ドイツがバグダッドに目を向けるか否か、が第2次大戦のすべて
を決していたということがわかります。バグダッドを押さえるということは、
ソ連の分断作戦の基地とするということと、ペルシャの石油を押さえるということと、
アメリカからの補給を断つという一石三鳥の作用があった。
 ここで、スエズとバグダッドの大陸諸国にとっての重要性を最初に指摘したのはかの
ライプニッツでした。彼はオーストリアの外交顧問をやっていた時、ルイ14世の軍隊が
東に眼を向けるのを警戒して、イギリスと争わせようとしました。それでイギリスを
攻略する一番良い方法は何か、それにはカイロを陥してイギリスとインドの連絡を断つ
のが最善です、とルイ14世に働きかけたのですが、これはあまり聞き入れられなかった。
 その後、この戦略をすくい上げたのがナポレオンです。エジプト遠征っていうのは実は
そのためだったんです。ライプニッツ、ナポレオン、ヴィルヘルム2世、そしてヒトラー
という連綿たるつながりが、この戦略にはある訳です。 

地図は、以下の解説でドイツにとって望ましかった戦略の一例を示す。
(青はドイツ側、赤はソ連側、オレンジの四角は油田地帯を示す。)

地図1

作戦の第一段階。ドイツはソ連侵攻を行うかわりに、まず全力を地中海に向けて
バグダッドを制圧する。
(副次的効果として、インド洋からの対ソ支援ルートも遮断する。)

地図2

作戦の第二段階。次の年、まずバグダッドから北上してカフカスの油田地帯を脅かし、
ソ連側がそこの防衛に軍を集結させた時点で、ドイツ側の主力は一挙にウクライナを
抜いてその背後に迫り、前後からの挟撃作戦でカフカス地帯を制圧する。
これによって油田をソ連から奪取すると共に、次の作戦の足場を築く。

地図3

作戦の第三段階。3年目。カフカス地帯から主力を北上させ、
モスクワと「タンコグラード」すなわちウラルおよびシベリア地帯の遮断作戦を行う。
(地図上の赤い駒は、左がモスクワ、右がチェリャビンスク=「タンコグラード」の位置を示す。)