米大統領選後の世界の行方(前)--コラプサーか倒米か
2004年11月例会講義を編集しました。
●今回の大統領選
さて米大統領選挙が終わって、世の中では今後4年間あの政権とどうつき合ってい
こうかということが論じられていますが、どうも私が見た感じではそれ以上に、現在
何か世界全体の上にはっきりとした巨大な政治的主題が生まれ、歴史全体がそちらへ
向けてゆっくりと進路をとり始めているように思えます。そして今回の選挙というも
のは、その主題をほぼ定着させたという点で、非常に大きな意味をもっていたように
思えるんです。そこで今回はそれについて話してみたいと思います。
ではその主題とは何か。それはちょっと物凄い話になってしまうんですが、結論か
ら先に言ってしまうと、それは
「現在の世界全体が、コラプサーか倒米か、その二者択一を迫られ始めているのでは
ないか」
ということです。まあこれは傍から聞いていると、恐らくまだかなり極端で先走った
見解に見えると思いますが、しかしカメラを思い切り引いて分析をしてみると、どう
も結局はそこまで雪崩れ込むしかないのじゃないかという結論にどうしてもたどり着
いてしまうんですよね。そこで、この具体的な意味について説明する前に、どうして
そこまで極端な話まで行かなければならないのかということの、周辺状況のようなも
のから話していくことにしましょう。
そもそも今回の選挙は、皆が普通の選挙とは何かどこか違う異常なものを感じてい
たと思います。実際にこれほど世界中の関心になった選挙も近年稀でしたし、開票速
報の地図にしても都会がケリー、田舎がブッシュという具合にきれいに赤と青で色分
けがなされていて、少々びっくりさせられました。そしてどうもこれは蓋を開けてみ
ればリベラルと保守の、価値観を巡る選挙だったと言うのが、世の中一般の見方で
す。確かにそれはそうなんですけれども、我々の立場からもう一歩突っ込んで見てみ
ると、これは実はアメリカが置かれているもっと深い状況を反映しているな、と思う
んですよ。
つまりそれは、今までアメリカという国がハーモニック・コスモス信仰を信じて
突っ走ってきたのが行き詰まり、社会の縮退が極大化したまま、出口を失っていると
いう状況がそのまま反映されていたということです。
考えてみるとブッシュ派にせよケリー派にせよ、両方とも実はハーモニックコスモ
ス信仰の信者であるという点においては変わらないわけですよね。 ブッシュはもう
完全にキリスト教原理主義をバックにして、西欧キリスト教文明が唯一の文明なのだ
から、異教徒どもを力で改宗させねばならないんだという訳ですから、そういった意
味でのハーモニックコスモス信仰の信徒です。
一方ケリーを支持した人というのは、ニューヨーカーのリベラルたちに見られるよ
うに、自由主義を進めることが世界を良くする道だ、という人達ですから、これもあ
る意味でハーモニックコスモス信仰の信者であるということにおいては、変わらない
わけです。
そしてそのハーモニックコスモス信仰そのものが袋小路になってしまったのですか
ら、両方とも全く出口がないところで分裂しているだけで、どっちもゴールへたどり
着けない。いわばハーモニックコスモス信仰の最後の足掻きであるという状況がまさ
に表れていたと思うんですよね。
● 倒幕の真相
そしてこの、文明そのものの行き詰まりということも含めて、アメリカを巡る全体
の構図が、どうも幕末の時代にちょっと似てるなという感じがするわけですよ。幕末
の動乱というのも、その一番根底の本質は、近代の中で農業文明が行き詰ってしまっ
てどうにも出口が見つからなかったことであるというのは、周知の事実です。しかし
だからと言って、倒幕の現実は一般に錯覚されるように、幕府がもう寿命が来て弱く
なったから、倒れるべくして老衰のように倒れて行ったんだというような感じのもの
では必ずしもなかったんですよね。
というのは確かに幕府は、当時かなりダメになっていたけれども、ダメというならむ
しろ全体を見てみると他の藩のほうがはるかに幕府よりダメだったわけですよ。どう
やら人材登用に関しても幕府のほうがはるかに進んでいたし、人材そのものの面でも
幕府には例えば徳川慶喜のようにすごいのがいたから、人材がいなかったわけでもな
いし、優秀な官僚はやっぱりほとんど幕府が持ってたわけですよね。
資源や装備にしたって、幕府が圧倒的に持っていた。それは幕府海軍と他の諸藩の
海軍を比較してみれば分かるとおりで、圧倒的に全ての点で幕府が優れていたわけで
すよ。
だから必ずしも幕府は弱いわけじゃなかった。というよりある意味ではむしろ話は逆
だったと言えなくもありません。むしろ倒幕という歴史的事件の本質は、海外から
やってきた近代商業・産業文明の力を、幕府と薩長雄藩のどっちが手中にするかの取
り合いを巡っての死闘だったと言った方が正確のようです。
もし前者、つまり幕府が貿易を独占する形で商業文明を採り入れたらどうなるか。
この場合、幕府は圧倒的な経済力と近代兵器を独占的に手に入れることができますか
ら、幕府の力だけが異常に強くなってしまって、日本全体が幕府中心の専制独裁体制
となり、それまでの緩やかな独立勢力であった「藩」というものは、徳川以外は全部
粉砕されて単なる群県の立場に落ちてしまいます。つまり幕府一つだけを残して全部
の藩が潰されてしまうという結末になるわけです。
一方後者、つまり諸藩が全部自由に貿易をできるようにする体制を選んだ場合、そ
れまで幕府が日本全土を治めていた農業文明秩序の体系というものが全部崩されてい
くわけですから、この場合は幕府の側が各藩に対する支配力を失って結局は倒れてし
まいます。だからどっちに転んでもどちらかが必ず滅びの道を歩まされてしまうこと
になり、妥協のない死闘にもつれ込まざるを得なかったわけです。
そしてその時に徳川慶喜という恐るべき存在が最後に出てきたおかげで、幕府の方
が政治的に勝つ可能性が非常に強くなってしまった。それでもう、止むに止まれぬ自
衛本能で、西郷たちは無理をしても賭けで倒幕に出たというのがどうも歴史の真相で
しょう。
実際確か大久保利通か誰かだったと思いますけれども、明治になってから述懐して
「われわれは最後の最後まで、幕府が倒れるなんてことは、あるとは思ってなかっ
た。我々は自衛のために、薩摩とか他の藩が生き残るために、死に物狂いの行動を
取っていたらああなっちゃったんだ。」というようなことを言ってたんですけれど
も、ひょっとしたらこれは実感だったんじゃないかという気がするんです。
実際当時から見ても倒幕なんてことを考えるのはね、何にも分からない学生運動の連
中みたいなもので、むしろ多少なりとも現実社会というものを分かってる人間はほと
んど全員が佐幕だったんですよね。そういった点から見ると、幕府が倒れる必然性と
いうのはむしろ薩長側の当事者たちから見ると、幕府が強くなり過ぎてしまっていた
ことにあったという面が言えるわけなんですよ。そしてどうもこれが現在、帝国化し
つつあるアメリカの姿とオーバーラップしてくるんですね。
● 幕府は倒れるしかなかったのか
では幕末史の場合、そこまで行く前に何とか方法はなかったのか、というので改め
てもう一回歴史の歩みを振り返って見ると、実はそんなところまで行かないで事態を
収める方法っていうのはいくつかあったと思われます。
つまり例えばもっと穏やかに、幕政改革という形で幕府と雄藩が共同して、幕府の古
い部分を除去するということをやっていれば、とにかくこれだけの資源を幕府は持っ
ていたわけですから、幕府を潰さないでその中枢部を温存したまま商業文明にうまく
乗り換える手段は、ないわけじゃなかった。ところが歴史を見るとその機会が全部、
不思議なことに潰えていくんですよね。その一番大きなものが何と言ってもあの島津
斉彬が、病死してしまったことでしょう。
あの時島津斉彬さえ生きていればね、彼が薩摩の軍団を率いて、京に登って幕政改革
を実行して、それで徳川慶喜をトップに据えた、新しい協調体制というものを作っ
て、それで近代産業文明に対応した体制に移行できた可能性は十分あったろうと思え
るんです。けれども、なぜか歴史はそのコースを選ばずに、斉彬を道半ばで病死させ
てその機会を奪ってしまいました。
最大の鍵を握る人物、斉彬が死んだ後でも、まだ幕政改革で何とかやる手段はあるに
はあったと思うんです。でもその時にいつも歴史の神様が、サイコロをそれとは逆の
方へ逆の方へ振って行くんですよね。そして最終的に内戦、倒幕というところまで行
かなければならなかったわけなんですけども、それならばそういう風に全部そのカー
ドが裏目に出てしまった事が日本にとって悪かったかということを考えてみると、実
は結果的に見ればあれが一番良かったと思わざるを得ないんですね。
●歴史の必然性
そうなって結果的に良かったと思える理由のまず一番大きいものは、幕府が滅ぼさ
れることによって、「文明が変わった」というはっきりとしたメッセージが日本全土
に強烈に送られたということです。
一般にある文明が滅びる時には、その文明と一緒にそれを代表していた国が滅びる
ことが、メッセージを大衆に送る一番有効な手段です。例えば共産主義が滅びたこと
は、何と言ってもソ連が滅びたことによって、世界の人々にはっきり伝えられたわけ
じゃないですか。あれでソ連がそのまま生き残っていたら、共産主義は死んだとは、
まだ言い切れなかった部分はあると思うんです。同じように、もし幕府が滅びずにな
し崩し的に温存されてしまったとしたら、武家社会が終わって近代社会に入るんだ、
というメッセージが中途半端にしか伝わらず、近代化をスムーズに進めることは遙か
に難しかっただろうと思えるんですよね。
もう1つは、たとえ幕末期の真の主題が農業文明から近代商業産業文明への乗り換え
であったとしても、一般の人にとってはそんな話は複雑すぎて実感がなく、そのテー
マでは動けなかったと思えることです。
確かに黒船が来てから、世の中全体が政治から経済から、とにかく何から何まで全
部「しっちゃかめっちゃか」になっているということだけは誰の目にもわかるんだけ
れども、じゃどう動いたらいいのかというと、さっぱり分からない。そんな状態で
は、たとえ一握りの知識人がそれを理解していたとしても、それだけでは絶対的なマ
ンパワーや精神力の動員ができず、歴史を動かすだけの力は到底生まれようがなかっ
たと思います。
それを、もう細かい理屈なんかどうでもいいから倒幕ということにしてしまえ、と
1つ目標を決めたことで、結果的にエネルギーを一個に集中させることができたわけ
ですよね。
一旦そうやって巨大な歴史のエンジンが動き出せば、いわば船が動きだすことで舵
が効きはじめるのに似て、複雑な商業文明への乗り換えプランもちゃんとそれに乗っ
かる形で軌道に乗せていくことができます。でもとにかく最初にエネルギーの流れを
作り出さなければ、どんなに正しい設計図があってもそれを現実の中に乗せていく事
は、多分できなかったでしょう。
だから維新後、なんで攘夷という題目がいつの間にか倒幕という題目になってしまっ
たのか、と政府高官が問われて、「よく分からないけどあの時はああでなければいけ
なかったんだ」と答えたという話がありますけれども、まさにそれはその通りなん
で、倒幕する必然性なんてある意味でどうでもよかったんですよ。エネルギーを1個
に集中するための目標物と、それからメッセージを送るための手段があればよかっ
た。そしてまさに幕府自体が倒すべき目標物となることで、結果的に日本に対する最
大の贈り物になって、日本はあの列強帝国主義が荒れ狂う中で生き残る道をつかむこ
とができたというのが現実だったわけですよね。
● 現在の世界と幕末の相似性
そしてこれをアメリカに置き換えて見るとまさにそのままであるという気がして来る
わけなんですよ。現在アメリカは帝国化しつつありますが、それ以上の問題として、
世界全体が文明レベル・社会レベルの両面で縮退を続けて地球全体がコラプサー化し
つつあり、短期的願望の過度の解放によって、もう社会秩序から何からしっちゃか
めっちゃかで、ほとんど収拾のつかない状況に陥ってしまっています。
世界全体がコラプサー化した場合、行き着く果ての世界がどうなるかという戦慄す
べき可能性に関しては、以前の講義でも述べたことがあるので(「世界のコラプサー
化について」http://pathfind.motion.ne.jp/20030427-1.htm)今日はその話は避け
ますが、とにかくどうもアメリカという国が存在する限り、世界がそのコースをたど
ることを免れる道はないのではないかというのが、現在の私の実感です。
まず何よりもアメリカは、ハーモニック・コスモス信仰のもと「縮退を進歩と錯覚
する」という思いこみを200年間持ち続けて、今もその布教を世界に向けて軍事力
と経済力をバックに強力に推進していますし、そしてまた世界全体で、そのような信
仰をもつ人々の物理的・精神的な守護神となっています。
その一方で、アメリカはその縮退の力を逆に自分の側に引き寄せて、自らの力とし
ています。つまり過度の自由主義を世界に強制することによって、アメリカ以外の企
業は全部左前にして、優秀な人材が全部アメリカ企業に集まるようにし、また世界各
国の企業がアメリカ体制の傘下に入るようにしてしまえば、結果として縮退が進めば
進むほどアメリカだけが強くなる。最近の中国経済の台頭というのも、実は後者の流
れの一環で、まさにコラプサーの渦の中に世界を巻き込む助けとなっているように見
えますよね。
とにかく今の米国体制を温存するなら、結局は世界全体がグローバリゼーションの
縮退力になし崩し的に押し切られ、コラプサー化の中でアメリカ帝国のみが国として
生き残るということになる公算はかなり大きいでしょう。これは当時の幕府が、貿易
を独占することで専制権力になろうとしていたという、その極限状況とかなり似てい
るわけですよね。
まあそれでもいいじゃないかという人もいますけれど、でもこの問題も幕末を参考
にすると、やはり一つ大きな示唆があると思います。それは、ある文明国家を支える
基礎原理が時代に合わなくなった時には、結局その国家が無理に生き延びることは世
界全体のためにならず、小手先の延命を図るよりは、ちゃんと一旦滅んで再生の道を
歩む他ないということです。
幕府の場合、われわれは、(いささか後知恵ではありますが)「農業文明が近代商
業・産業文明に勝つことはできない」という社会経済原理があることを既に知ってお
り、そしてこの経済原理の存在こそが、後世が幕府滅亡を歴史的必然として納得する
最大の要因となっています。
アメリカの場合、従来は何が歴史的必然であるかは確信されていませんでしたが、
作用マトリックスN乗理論が存在しているとなると、どうもこちらも議論に一つの終
止符が見えてくることになります。要するにハーモニックコスモス信仰が数学的な錯
覚に過ぎないことを証明する手段が存在していたわけですから、少なくともハーモ
ニックコスモス信仰の上に設計された文明が生き残ることが文明の摂理に反するとい
うことは、もうある意味で確定しつつあるわけです。
そうなってくると、この場合もやはり幕末と同様、もう一方の選択ということが浮か
び上がってこざるを得ません。つまりその専制帝国化という結末から逃れるために
は、とにかく一旦「倒米」というところに国際社会のエネルギーをまとめてしまっ
て、ハーモニックコスモス信仰の最後の遺物を全部除去する。そしてそのエネルギー
の余勢を駆って、世界全体がコラプサー化することを防ぐ。
逆に言えば、世界のコラプサー化という、人類社会に迫る巨大な脅威に対して、た
とえ少々乱暴でも倒米というテーマで世界全体のエネルギーを一つに集中し、そのエ
ネルギーの助けを借りることで世界全体がそこからの脱出を模索するという選択で
す。
まあ考えてみると現代の社会システムの縮退とコラプサー化というのは、要するに
瓶から出てしまった巨大な短期的願望の塊が異常繁殖して、人類の長期的願望を残ら
ず駆逐しつつあるということなわけですから、逆に言えば一旦瓶から出てしまったそ
の短期的願望をどうにかしない限り、そこからの脱出は不可能です。ところがその短
期的願望の刺激に打ち勝てるだけのものとなると、やはりそのぐらい過激な政治的
テーマを持ってきてそのエネルギーを借りる以外にどうしようもないというのは、あ
る意味で現実です。
しかしまあこれは世の中全体の常識からすれば、まだ如何にも過激でありすぎ、や
はり世界全体の論調としてはまだ、幕末の頃と同じように、幕政改革程度のソフトな
改革で何とか乗り切ろうと言うのが世界の一般常識でしょう。でもどうも最近の動き
を見ていると、これがやはり幕末と同じく、歴史のサイコロのいたずらでダメになっ
て行き、そして誰が言い出すでもなく、結果的に世界史のコースが自然発生的に倒米
というところに雪崩れ込んでいく可能性が高いなという気がするわけです。
これは以前「世界のコラプサー化について」のところでも述べましたが、世界が核
兵器・テレビ・コンピューターの力でコラプサー化するということは、すなわち世界
史がここで終焉を迎えるということを意味しており、ある意味で人類史上、未曾有の
想像を絶する恐るべき事態です。
逆に私としては、一種の生き物としての歴史が今、ここで自らの死と終焉を選択す
るとは思えないんで、そこから脱出するためのよりましな選択なら、何でも行うので
はないか、そのために、一種の集団的無意識で歴史のサイコロがそちらに振られてい
くんではないか、という気が何となくしているんです。まあ非科学的といえば非科学
的ですが。
事実、幕政改革に似た穏やかな形でアメリカ改革をやるチャンスというのは今まで何
度もあったとは思うんですよ。でもその都度サイコロの目は裏目に出ることになり、
そしてその最大のものが、言うまでもなくイラク戦争でした。当時私は、歴史がそち
らの方向にサイコロを振るという、通常なら恐らく考えられないはずの経過が現実の
もとになっていくのを目にして、いささか呆然としたものでしたが、とにかくあの時
アメリカという国は違う方向にサイコロを振って、自分から、世界と協調してハーモ
ニック・コスモス信仰体制(まあ資本主義絶対思想もその一環です)からの脱却を図
るという選択を閉ざしてしまいました。
このときに、世界が倒米かコラプサーかという二者択一を迫られるという路線は、
ほぼスタートしたと思います。つまりイラク戦争開戦の時点で最初の流れはほぼ決
まったわけですが、今回の選挙は、あの時ほどではないにせよ、それをさらに一歩進
めて、その初期段階で引き返すという選択をも潰した。そしてそれ以上に今回は、世
界の人間が、もうアメリカ内部での自己改革が不可能なのではないかという思いを抱
き始めたという点で、非常に意義が大きかったと思うんですよね。
世界的に見ても、この選挙前であれば倒米というのはいかにも行き過ぎだという感じ
はあったんですけれども、選挙後になって見ると、改革をやるよりも、もう倒米で行
くしかないんじゃないかという論調は、感情の面からすれば不自然ではないという状
況にはなりつつあるように思える訳ですよね。
ただ、今のところそういう動きが起こってないのは、どうすれば倒米なんてことがで
きるのかということが全く見当がつかないからです。力でアメリカを潰すなんていう
のは、それをやれば世界が大変なことになるという以前に、そもそもそんなことをや
ることが明らかに不可能だということは明らかです。要するにその手段が全く見えて
いないというのが、今世界全体がおかれている状況なわけですよ。
それを象徴する人物がマイケル・ムーアで、今まで彼に世界が期待をしていた部分も
あるんだけれども、結局空回りするだけで全く無力じゃないかということが明らかに
なってしまい、ある意味で、今までの反米がマイケル・ムーアで燃え尽きている部分
は、あると思うんですよね。
だから今、ニューヨークの反ブッシュリベラル派はもう何をどうすればいいか分から
ない、という状況ですから、新しい戦術なり武器なりが登場しないと、この倒米とい
う方向も現実のものにはならないでしょう。
●倒米の武器
ではその新しい武器はないのかと言えば、実は必ずしもそんなことはありません。無
形化戦略というところに話を持って行くと、初めてそこで倒米ということは実現の可
能性が出てくるわけです。
無形化戦略のフィルターを通して見ると、実はこの戦いの鍵を握っているのは、経
済でもテロでもない。知的制海権の争奪戦こそが最大の鍵を握っており、それがこの
戦いの真の中心となるはずだということが、浮かび上がってきます。
事実、アメリカという国は日本やヨーロッパとは違って、いわば抽象的な理念で成
り立っている人工国家に過ぎません。そして一般にはあまりよく認識されていません
が、それが今までまとまっていたというのは、実は知的制海権をもっていたからなの
であって、逆にそれを失えば、国はばらばらに分裂して、国として立っていることは
できなくなってしまいます。
そして知的制海権の争奪戦というところに話が行くと、そこには作用マトリックス
N乗理論という、これまで知られていなかった巨大な武器が存在していることになり
ます。過去にアメリカが知的制海権をとることのできたことの根底には、実はハーモ
ニック・コスモス信仰が世界全体の潮流となっていて、アメリカがそれを基礎に設計
されていたということがあったのですが、ところが今度は逆にそのハーモニックコス
モス信仰が誤りであるということを、世界が数学的証明によって知るという可能性が
出てきたわけです。
つまりこの数学的手段の存在は、まさにその知的制海権の中枢部を直撃することと
なり、いかなる経済問題・軍事問題を上回る問題となりかねません。まあ文系の人が
こんなことを言われても、多分あまりぴんとは来ないと思いますが、実際問題、そこ
を直撃されたことによる知的制海権の喪失は、かつてソ連が崩壊した時よりも大きな
インパクトをアメリカに与える可能性は極めて高いように思えます。
つまり、軍事的な手段でアメリカを滅ぼす事はできないけれども、無形化戦略という
論理によって、無形化した世界の中で倒米というドラマを演じることは不可能じゃな
いんじゃないか。ということは、そういった意味で無形化戦略の概念を流布させるか
どうかということが、倒米が本当に燃え上がるかどうかの大きな鍵になってくると言
えますね。
●これからの日本の役割
さてそのようにして、世界がどちらのコースを歩むにせよ、とにかく勢力地図の上
では、「無形化世界の力学と戦略」でも書いている通り、米中VS日欧回という構図に
なってくる可能性は高いと思われます。
そして幕末になぞらえるならば、まあ今までの話からするならばアメリカが当然な
がら幕府の立場に立つわけです。一方イスラムがまさに長州で過激浪士の人斬りが荒
れ狂ってる状況に相当する。そしてヨーロッパがさしずめそれをじっと見ている薩摩
でしょう。中国の立場はちょっと微妙でうまい対応物がないですけども、日本は上が
佐幕で下が倒幕というねじれ構造を抱えてる点では、サイズの点から言っても土佐の
立場にやや似てるかなという気がしないでもないわけです。
そうなってくると、日本は今まで外交の完全なアマチュアで、そのため世界の外交
の荒波に乗り出すだけの実力は到底なかったけれども、幕末の歴史の中で奇跡のよう
なことをやってのけたという、世界でもある意味まれな歴史的体験を共有してる国で
すから、その体験を生かす事を考えるならば、このアマチュアが大きな仕事ができる
可能性が、出てくるわけなんですよ。
つまり先ほどの対応からすれば、日本としては、ちょっと土佐に似た立場で、倒米
という将来の大きいドラマにかかわって行くということになります。そうなるとやっ
ぱり日本としては、倒米を推進する原動力や中心勢力になるというよりは、基本的に
は倒米側に与しつつ、むしろそのエネルギーの暴走をうまくコントロールして無血革
命に持っていくための役割だということになってくるわけですよね、日本の最大の役
割は。
そういう事であれば、日本という国は今後、国家としての目標を持つことができ
る、というよりも、若い人達にとっては、まさにその歴史に参加できる可能性が生ま
れてくるわけで、生きる将来の目標そのものを取り戻していくということが可能に
なってくるんじゃないかという気がするんですよね。
では日本は具体的に今後どうすれば良いのかということですが、今回は前半というこ
となので、一応話はここで一段落とし、次回にその続きをお話しようと思います。
(後半に続く)