数学を武器とする日本の中東情勢への全く新しい対応策の構想

20030816 長沼伸一郎
※2003年6月例会における講義をもとに新たに書き起こしました。

 さてこのところ、イラク情勢は予想どおり混沌の様相を深める一方で、早くも日本はそれに巻き込まれつつあります。そして日本側は何の海図も持たないまま翻弄されて右往左往するのみで、誰も何をどうすれば良いのかわかっていない有様です。
 しかしとにかく海図がない限りは、翻弄されるのも当然で、それは今後もどんどん悪化する一方でしょう。そこで、この機会にこの問題に対する根本的な分析と、日本がどうすればそこから脱出できるかの明確な海図を提示しておきたいと思います。

 まず結論から先に言うと、その最大の切り札となるのが、作用マトリックスn乗理論を武器とする「テクノ・ウラマー構想」です。そこでこれに関して、まずあらためて説明しておきましょう。
 「ウラマー」とはイスラム法学者のことで、実はそもそも彼らの存在こそがイスラム世界全体を支えていた最大の背骨でした。それというのも、彼らはイスラム法の解釈権を握る存在で、立法権が人間に許されていないイスラム世界では、その面でスルタンすなわち世俗君主よりも優位にあり、その存在が秩序の要となっていたからです。そしてこの階層の衰弱が、近代におけるイスラム世界全体の没落の根本原因だというのが、まずこの世界を認識する最大の鍵です。

 ではなぜ彼らの力が衰弱してしまったかといえば、その最大の原因は、彼らが微積分学と解析学的世界観の登場に対応できず、それゆえに近代合理主義に乗り遅れてしまったことにあります。しかしわれわれはすでに作用マトリックスn乗理論を通じて知っていますが、それは彼らが愚かであったためではなく、むしろ一面で物事を正しく認識していて、ハーモニック・コスモス信仰を受け入れなかったためでした。
 しかし当時の彼らはそれを明確に証明する手段をもたず、そのため結果的に知識人層が二つに分裂して社会が自力で立っていけなくなってしまったのです。

 しかし今や少なくともわれわれのもとには、その数学的な証明手段は手に入っているわけです。そこで、われわれが新たにこの作用マトリックスn乗理論を用いてイスラム社会の秩序と最新テクノロジーを両立させる手段を確立して彼らに提供し、それを基礎とする新しい「テクノ・ウラマー」を育成することが、結局はイスラム世界全体を安定化させる唯一最大の鍵であるはずだというのが、この構想です。
 もともと彼らウラマーは、数学者や天文学者を兼ねていることが多く、事実代数学は彼らが築いたものです。そして作用マトリックスn乗理論は、微積分学と代数学を統一する思想であるわけですから、芽は十分あると言って良いでしょう。

 事実、この構想をやるということになると、立場的に日本以上に適した国はありません。テクノウラマーを育成するためには非キリスト教徒の数学者を大勢抱え込んでない限り、まず不可能ですが、やはりイスラム世界がそれに必要な数学者を全部自前で供給する事は無理だということははっきりしていると思うんです。
 大体彼らはコンピューターについてもそれほど日本ほど知っている訳じゃありませんから、コンピューター世界も知ってるし数学者の数も多い、そういう日本という国が、イスラム文明を、世界全体がコラプサーになるのを防ぐために必要としてるんだいう主題のもとに支援するということになると、彼らとしてはかなり歓迎できることではないかと思います。
そして日本がこの構想を掲げて米国とイスラム世界の中間に立ち、「文明の衝突」を回避するための重要な駒となるのだということを世界全体に納得させられることができれば、話を政治戦から数学戦に持ち込むことで、対米従属から独立することも可能です。
  
 実際日本の立場から見た場合、これは単なる国際貢献ということではなく、もっと遙かに積極的な国防の意味をもっています。つまりもし仮に、イスラム世界の宗教指導者にとって、日本という国がテクノウラマーを育成するために絶対に必要なものだと認識してくれたとしたならば、日本を西洋と同列に置いてテロの標的にすることはイスラム世界自身の将来を害するという話になってきます。
 それからそういう数学者達の人数が大勢いないとその計画が出来ないということになるならば、この科学者の人数を維持しているのは結局日本の産業な訳ですから、日本の経済が駄目になってしまえば、数学者達の人数の維持そのものもできなくなってしまう。そうなれば日本に対して、原油を止めたりすることは、これもまたイスラム世界全体の利益にならない。
 つまりもし彼らがそう認識したり宣言してくれたりするならば、ひいては日本をテロから守るための強力な武器となってくれることも期待できます。

現在の世界情勢では、米国が推進している「文明の衝突」の戦争を緩和することを圧倒的多数の国が求めており、米国とイスラムの仲介を果たせる文明勢力を一つでも温存したいという国際社会の意志は強いはずです。
 そんな中で、「日本という国は、アメリカ軍の後ろにくっついていくということはしない。テクノウラマーを育成する事を国の最も重要な役割と考えている」と主張するとすれば、まあそのためには軍事的には中立を守るという主張というのは十分通ると期待して良いでしょう。

 ただし米国に向かってその言い分を通すには、並の政治力ではちょっと無理、というより、軍事力をバックにもたない政治家の力ではそもそも無理なので、日本の立場でそれだけの説得力を発揮するには、結局は数学という武器を使う以外にないと思います。
 逆に西欧の多国間の中では数学のもつ説得力というものは、日本国内で想像されるよりも遙かに大きなものが期待できるはずです。要するにこの新兵器を用いた「テクノウラマー構想」以外、日本が米国によってずるずる破局に引きずり込まれることから脱出する手段はないだろうというのが、私の意見なんです。


 では以下に、それに付随する注意事項や必要な予備知識についていくつか述べておきましょう。まあこれを独立に読むだけでも中東講座としての意味は十分にありますので。

・シーア派の問題とイラク

 さてまず第一に、われわれがテクノウラマー構想を進める時には、基本的に軸足をスンニ派の側に置くことになります。もっともそんなことを言われても、そもそもシーア派とスンニ派はどこがどう違うのかわからないという人がほとんどでしょう。これが分からないのはアメリカも似たようなものでして、これがわかっていないから彼らのイラク統治政策が支離滅裂になっている面は大きいと思うんです。だからここで、予備知識としてちょっと述べておきましょう。

 シーア派とスンニ派って言いますけれども、単純に言えばシーア派がイランを中心に分布する少数派で、スンニ派が多数派です。そしてシーア派というのは少数派であることもあって、一種の野党というか反抗勢力としての性格を持ってるんですよね。そして気質の点でもちょっとヒステリックな体質があり、日本の幕末に例えれば、一種長州人みたいな性癖を持っています。
 そして誕生の経緯にしても、ちょっと被害者的な立場から出発していて、そもそもシーア派というのはマホメットの甥にアリーという人間がいました。この人は直線的・技術的な知恵というのは非常にあった人なんですけれども、政治的な機略となると直線的でありすぎて、とかく猪突猛進しやすいというところがあったんです。まあ日本の昔で言えば松平定信みたいな秀才とでもいったところでしょうか。
 まあムハンマドの甥という恵まれた立場でしかも知恵も非常にあったというので大変人望があったんですけれども、政治的機略の無さ故に結局倒されてしまうんですよね。それでアリーの信奉者達が、自分達をアリーの党派である、シーア・アリーであると称したところからこのシーア派というのが始まったんです。
 
そのせいもあって、割と個人崇拝的なところが強いのがシーア派の特徴なんです。それで、そのシーア派とスンニ派の間では、イスラム法の最高権威をどこに置くかで根本的な違いがあるんです。
 シーア派では、導師=イマームという存在がありまして、その人一人の聖なる判断が全てに優先するんだという、一種、聖人を崇めるみたいなところが法学そのものの中に入ってるんですよね。
 だから実はイラン革命が起こったとき、ホメイニ師がイマームであるかないのかということはイスラム圏では結構問題になったらしくて、結局イマームっぽく見えるけれどもイマームそのものではないという結論にどうやら落ちついたらしいんですが。とにかくホメイニ師を見てもわかるとおり、イスラム法解釈を個人が独裁的に決めるという色彩をもともと帯びているんです。

 一方現実的で冷静なスンニ派の側では、「イジュマー」というものが、法の最終的な権威であるとされるんです。イジュマーというのは何かというと、世界各地にいるイスラム法学者たちの合意ですね。そういった意味では一種の合議制というか、要するに議会政治みたいなところがスンニ派にはあるんです。
 まあこれだけ見ても、われわれの側としては何となくスンニ派の方が付き合い易そうだという感じはありますよね。

 しかしこちらには鈍重さという泣き所がありまして、とにかく全員の合意を取らなければいけませんから、一個決めるのにものすごい時間掛かります。それにスンニ派の場合にはそれを討議する機関もちゃんとあるわけではなくて、彼らは「別に、一世代で決める必要はないや」と、「神のことなんだから何世代もかけて決めりゃあいいじゃないか」という非常に気長な発想を持ってまして、そのために組織そのものも非常に緩やかなんですけれども、逆にいえば一個完全な合意を得るために数世代掛かるという、ものすごく鈍重な対応しか出来ないんですよね。

 それに対してシーア派の方は、まあホメイニもそうですけれども、そういう一人の人がガーッと出てきて決めてしまえば全員それに従うわけですから、対応が非常に早いわけです。だからイスラム勢力全体が弱まってしまった時には、彼らがもともと持っている野党的な体質と、カリスマ的人物にくっついていく性質が現れて来ますから、しばしば一種の革命勢力としての性格を帯びるようになり、体制転覆の原動力となることもよくあります。
 そしてこれが今の湾岸諸国、サウジアラビアとかは皆ほとんどスンニ派諸国ですけれども、そこからみるとイランというのはこういう理由で非常に危険なわけですよね。
 
 しかしそれへの対応策は単純といえば単純です。要するにスンニ派の側で比較的迅速に、近代テクノロジーに対応できる形のイジュマーというものができてしまえば、もはや人数そのものはスンニ派の方がはるかに多いわけですから、もうそれほどシーア派の台頭を恐れる必要はなくなるわけです。さらに言えば、それが数学という共通語である程度まとまったものが短期間に供給されれば、鈍重さという弱点もそれほど問題ではありません。
 要するにこの点でも、新しい技術を知ったイスラム法学者、テクノウラマー層というものが新しく生まれてくるということが最大の鍵であるという事は明らかであると思います。

 そしてこの問題は実はアメリカの今のイラクの占領政策にも影を落としていまして、イラクの南部というのはシーア派人口が大変多いですから、このシーア派人口が覚醒してイランと連携することが怖くて、アメリカはまともな将来図をどうにも描けずにいます。
 ではこの構想があった場合、イラク安定化の最終的な解決策というか落とし所がどうなるかというと、とにかくイラクというのは宗教でも民族でもうまい枠組みが作れない最悪のモザイクで国境が引かれていることが問題の根源です。
 そこでこのさい、南部のシーア派地域を思い切って切り離し、それがイランの勢力圏に入ることには、あえて目をつぶる。現在だとそんなことはシーア派勢力の増大が怖くて湾岸諸国はやりたがりませんが、ここでもしスンニ派のテクノ・ウラマーがしっかり育っているとなれば、そんなものは恐るるに足りません。
 そして北部に関しても、スンニ派のイスラム秩序で社会をまとめるというスタンスで、民族・部族という主題を相対的に押し下げて、安定化の後にはこのテクノ・ウラマーが社会秩序の鍵となっていく。とにかく長期的に見れば、イラクを最終的に安定化させるにはこれしかないと思うんです。
 いずれにせよ、イラク自体にとってもこの構想は将来決定的な意味をもつ可能性は高いでしょう。

・パレスチナ問題への意外な鍵

 では中東のもう一方の大問題であるパレスチナ問題に関してはどうでしょうか。
 実はイスラムの世界の歴史を見る時、一つものすごく明瞭に分かることがあります。それは、イスラム世界というのは部族という言葉が出た時はものすごい内乱と混乱の中に置かれているということです。そしてイスラム世界が、強くて安定していて力があるときというのは、部族とか民族という言葉がほとんど出てこなくなるんですよね。
 
 たとえば十字軍時代に英雄だったサラディンっていますけれども、彼は実はクルド人だったんです。ところが彼の一生を見てみると、彼がクルド人であったということは殆ど表へ出て来ていない、つまり彼はイスラム世界全体を守るためにやっているんだというのが表へ出て来ていましたから、もう部族という言葉がその時は消えてるんですよ。
 翻って現在のイスラム世界を見ると、そこにはやはり民族という言葉がものすごく強く作用してるという点が、イスラムが強かった時期と比べると顕著に分かる特徴なんです。つまり、民族主義というものと縁を切る事が、イスラム世界全体が安定するための一つの大きな鍵なんですよね。そして民族という概念がイスラム世界の癌だという話になってくると、これは実はイスラエルという存在が何ぞやという問題とも、かなり関わってくるんですよ。

イスラエルとのパレスチナ問題というのが何故生じたか、ということは皆さん基礎的な事はご存知だと思います。それは第一次大戦中に英国がアラブ人とユダヤ人の両方にいい顔をしようと思って、勝手に別々に約束をしてしまって、それがダブルブッキングになってしまった。だからパレスチナの地を、アラブ人にはアラブ人に与えると言い、ユダヤ人にはユダヤ人に与えると言ってしまった。そういう元々のダブルブッキングの問題があるというのがまずベースです。
 そしてそこに実は、シオニズムという宗教が絡んでいるのが問題を決定的におかしくしているんだというのも、これもまた常識でして、シオニズムというのは、「シオンの地」という所に帰ろうという世界的な運動です。
 シオンの地というのはユダヤ人の宗教の中にあるユダヤに約束された地ということで、そしてそれがパレスチナの地であるということになっています。この話を聞くと、宗教が絡んじゃってるんだからこれはもう絶対に解きほぐしようのない話だということになってしまう訳ですよね。でもね、私に言わせればこれはちょっと違うと思うんです。

 実はパレスチナ問題の根本は宗教ではない、そもそもシオニズムそのものが宗教ではなくて、民族主義が宗教の皮を被っているだけだというのが私の大きな認識なんです。
 このシオニズムそのものは、ユダヤ教の正当な教徒のあいだでも、これが登場した時は大変評判が悪かったんだそうです。
 それはどういうことかというと、宗教にはそういうことってよくありがちなんですけれども、現世で与えられるものの約束というものをいわば、永遠に取れない、目の前にぶら下げられたニンジンのように吊り下げておくという事は宗教にとって非常に必要なことなんですよね。つまりこれは、連続活劇ドラマなんか見てもわかるじゃないですか。なんかお宝とか、追わなきゃならない目標というものがドラマのシリーズ全体を通じて設定されてるんですけれども、それを得てしまった時点でドラマって終わってしまうでしょう。だから、1時間のドラマとしたら、終わりに近づいた頃に、取れそうに見えたけれども逃してしまった、ということで次回お楽しみにということで繋げる訳じゃないですか。
 で、実はそのシオンの地というのもちょっとそのドラマのニンジンに似たところがありまして、現世で容易に達成されないからこそ宗教の核とするに足るんだ、という所はあるわけですよね。だからそれを事もあろうにキリスト教徒と組んで、彼らの軍事力に頼って回復してもらうという事が果して宗教としていいことなのかという意見があっても不思議ではない訳ですよね。事実これが出てきた時には、宗教関係者の中では冒涜として反対意見があったということです。

 だから宗教そのものとしてはこれは逸脱だったんだけれども、これがこれほどまでに、伸(の)して来たというのは、これが本質が民族主義だったからなんですよ。つまりユダヤ民族主義というもののためのものとしては、宗教が目的じゃない訳ですから、民族主義の目標としてはそれを早めに現実に得てしまった方がいいということになって来る訳ですよね。だから、これも結局宗教ではなくて民族主義が癌なのであるという事になる訳です。

・明治日本との比較によるイスラエル理解

 ところでイスラエルという国を理解しようとする時には、日本の明治以降に非常に似ていたんだということを頭に入れておくと非常に分かりやすいんです。ついでですから、これについてもちょっと述べておきましょう。
 
 日本も明治時代まではほとんど世界に登場しなかった国だったんですけれども、明治に突然、世界史の中にデビューして、それから日清・日露戦争という国防のための戦争をやって、それを見事な戦略で勝った。そしてその後、坂の上の雲で目標を見失っちゃった訳ですよね。それで満州というものを抱え込んだまま、それを手放すことが出来なくなってしまったと。
 当時は日英同盟がありましたけれども、日英同盟を切られたことで、世界的にも孤立して、(結局)満州を捨てそびれたが故に、日本そのものが滅びてしまった訳じゃないですか。それでその満州から撤退した方がいいなんて言った人間は、国内の過激派から殺されてしまった訳ですよね。
 
 それとかなり似たところがありまして、イスラエルの場合も1940年代の終わりに急速に建国されまして、4回の中東戦争をやって、これがまあ、実に日露戦争なみの見事な勝利だったわけですよね。そして無敵イスラエル軍という自信を得た上で、それで、パレスチナの占領地というのを抱え込んでしまった。満州と同じようにですね。
 たった一つ違うのは、日本の場合日英同盟がその後切られてしまったのと違って、イスラエルとアメリカの同盟はまだ生きていて、そしてまた当時日本が日英同盟を失ったことでタイムズ紙などの新聞の論調の援護を失ったのとは対照的に、未だにやっぱりニューヨーク・タイムズは庇ってくれる。その一点だけが違うんですけれども、その他の点を除けば非常にイスラエルのと明治の日本が歩んだ歴史は実に似ていると言えると思います。

 もう一つ似ているのは天皇制とシオニズムというのが、この場合ちょっと立場的に似てくるということなんですよね。
 終戦前に日本を見ていた外国人たちは、天皇と天皇制が軍国主義日本を作ったんだから、天皇を温存している限り、軍国日本を解体することなんかできっこないじゃないかと思っていた訳です。でも日本人である我々は知ってますよね、それは二千年間、天皇というのはいたけれども、それは全然危険な存在でもなんでもなかったんですよ。天皇制が危険な存在になったのはつまるところ、民族主義に利用されたから危険になったんですよね。

 そしてまさにそのシオニズムというのはそれに似た所がありまして、そのユダヤ教の教義を民族主義に利用したことで、シオニズムというものが過激派の温床になってしまって、外から見るとそれは宗教に依存するものだから絶対に解きほぐしようの無いものだと見えてしまうということですよね。しかしそれはやっぱり民族主義から切り離してしまって純粋な宗教にしてしまえば、それはそんなに危険なものではなくなってしまうのではないか。それは今の日本にとって天皇制もそんなに危険なものでないということと、ちょっと似たところがあるんです。

 そもそもユダヤ人が、ユダヤ人というのはまあ流浪の民族ですけれども、その流浪の歴史の中でも、彼らがイスラム圏の中に住んでいた一千年間というのはその中で相対的に非常に平和な時代だったんですよね。
 というのはイスラム教はユダヤ人を、一応はイスラム教徒とは別の存在としてみていましたけども、でも人頭税さえ払えば、むしろ金融業を引き受けてくれると言う点で上手い共存が出来ていたわけです。むしろ啓典の民であるという点からして偶像崇拝教徒とは違うんだと、一段高い地位を与えてくれてた訳ですから、相対的にユダヤ人の地位というのはそんなに悪くなかったんです。それを何よりも雄弁に物語っているのは、エルサレムに古いユダヤのシナゴーグが未だに建ってるということなんですよね。もしそんなに昔からユダヤ人とアラブ人がそれほどまでに憎しみ争いあっていたとしたら、そんな千年前のシナゴーグが破壊されずに残ってるわけないじゃないですか。それが残ってるという事は要するに争いもそんなに強く無かったということなんですよ。

 イスラムとユダヤ教は今のところは、民族主義があるが故に不倶戴天の仇ですけれども、実はユダヤ教の厳しい戒律などを見てみると、社会のコラプサー化を防ごうという点で、その目的意識はイスラム社会のそれとかなり共通する面はあるわけです。 だからイスラムそのものが、縮退を防ぐために重要なんだということを一番の主題に持って来るならば、正統派のユダヤ教との間との共存というのは、共通の目的を持つことで十分可能になっていくのではないでしょうか。
 まあイスラムの宗教の力を強くしていくなんてことを普通の人が聞くと、そんなことをしたら中東の争乱はもっとひどいことになるに違いないと感じるだろうと思います。確かに短期的、一時的にはそういうことになる可能性は否定できません。しかしながら以上の分析からする限りでは、それをある程度まで続けていくと、宗教という主題がメインになっていくことで、相対的に民族主義という主題のパーセンテージを押し下げて、最大の癌を小さくしていくことになります。そしてさらに、その宗教の内容が「社会の縮退の阻止」ということを最大の主題とするものであるならば、共存の機会を探っていくことは十分可能です。
 要するにこの構想の場合、抗争のカーブは一旦上がってから下がる曲線を描くのではないかと。つまりそれは最初一時的に上昇しますが、間もなく下がり始めて、十分な時間がたった後には、安全レベルまで下がるのではないか。それが私の読みなんです。

 ともかくやはり今のまま、民族主義もそのまま放っておいた状態での解決策、あの地域を安定化させる方法があり得るかどうかというとちょっと私は、怪しいと思うんです。そうなってくると、テクノウラマーという構想で民族主義の率を減らして、なおかつイスラム世界全体に新しい秩序を作る。これがやっぱり、最終的な策としては本命だと私は思うんですよね。

・日本がその際に守るべき原則

 さてこのように構想自体はある程度まとまっていると言っても、何せ日本はこの手の外交に関してはアマチュアですから、その際に守るべき原則というものを決めておかなければ危険でしょう。ではその原則ですが、大体三つぐらい原あると思うんです。以下に列挙しましょう。

 まず第1の原則。それはまず、日本がやるべき事は世界全体の縮退とコラプサー化を防ぐ術を発見する、そのための支援である、したがって基本的に数学の射程外からは出ない、ということです。日本にはその数学の射程外から出てやって行くだけの力というのはありません。軍事力に対抗できるものは数学力だけですから、数学の射程外からはなるだけ出ないようにする。これがまず第1点です。

 第2点、民族主義には基本的には関わらない。民族主義が出て来た時には基本的に中立を守る。これはちゃんと宣言しておく必要があると思うんです。民族主義に巻き込まれたならば本分とはかけ離れたところで争いに巻き込まれることは必定ですから、とにかく民族主義には関わらないんだということをあらかじめ原則として挙げておくことが必要になります。

 それから第3の原則は、我々がテクノウラマー構想を進める目的というのは結局知的制海権を取るためにあるのであって、もしこれをやることで陸側に何か権益が生まれたとしてもその半分以上取ってはならないという事です。半分はヨーロッパに与えるようにして日本は半分以下を取るようにせよ、それによってヨーロッパを味方につけておけと。これを守らないとヨーロッパから攻撃されて構想そのものがポシャる可能性があります。

 これらの3点を守っていれば、日本の今の実力でもなんとか安全にやることは十分できると思うんですよね。現在すでに日本の外交は拙速なイラク支援法案などによって予想よりも早く危険な事態に突入してしまいましたけども、今からでもこの3点を守りつつテクノウラマー構想を進めることが、日本がこの事態を乗り切るための唯一の活路になっていくはずだと、一応私はそう確信しています。