フセイン拘束後の中東情勢と今後の見通し
 

 つい数週間前にイラク情勢の締めくくりを行った後に、立て続けにいろいろなことが起こって、情勢は大きく変化してしまった。(何しろ講義で話した頃は、まだ外交官死亡事件さえ起こっていなかったのである。)そこでその部分の補足をここで行っておきたい。
(20031225 長沼伸一郎)


・前回の分析の修正
 まず、前回(12/2掲載分)に述べた分析について言えば、フセインがトルコにいたかもしれないという見解については、どうやらそれは誤りだったらしい。(ただし4月から7月の期間に限って言えば、そうであった可能性はまだ一応残っているが。)

 一方、7月のウダイとクサイの死後にフセインは戦略目的を喪失してアパシー状態に陥り、ゲリラ戦の指揮もろくにとっていなかったのではないかという推測については、どうやら当たりだったようである。
 これに関しては現在メディアで流布されているイメージでは、フセインはバグダッド陥落からずっと穴の中で震えていたということになっているが、私見では必ずしもそうではなく、息子の死でアパシーに陥る7月までは、むしろ彼は積極的に戦略を掌握する気力を持っており、ゲリラ戦の開始も当初は彼の意志による所産だったとみる。

 実際そう考えないと、彼が、開戦初頭のCIAの威信を賭けたトマホークによる殺害作戦を生き延びたこと、バグダッド陥落直前に大胆にもベンツに乗って民衆の前に姿を現わしたこと、ゲリラ戦を行うために十分な兵器を末端に温存させることに成功したことなどの一連の出来事と、乞食のような現在の姿がうまくつながらないのである。(ジャーナリズムはもう前者のことはあらかた忘れてしまっているようだが。)


・甦ってきた比較年表
 しかしそれよりも興味深いのは、以前3月のイラク戦争のさなかにこのサイトで公表していた年表が、意外にも再び意味を取り戻しつつあるように見えることである。

 忘れていた方のためにあらためて述べておくと、その年表とは、イラク戦争開始の世界史的意味を第二次大戦中におけるナチス・ドイツの東部戦線の開戦に対応させ、開戦の日付をソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の開始と同時点に設定して、時間経過を1/10にして比較したら一体どうなるかという、半ばゲーム感覚の比較年表のことである。

 その年表ではやや大きな歴史的視野が採用されていて、このイラク戦争を必ずしも単独で一個の戦争と捉えることをせず、むしろもっと大きな無形化された戦争の一部、すなわち恐らく50年近くに及ぶであろう「準四次世界大戦」の中の、単なる「東部戦線」の開幕に過ぎないという基本的観点に立っていた。

 さらにその時の見解では、その「東部戦線」の範囲自体も、イラクだけでなくもっと広い中東全域に及ぶものとして捉えられており、もしそれら全体を「バルバロッサ作戦」に対比させるならば、イラク戦争はその単なる入り口の「国境会戦」の段階を意味するものでしかないということだった。

 逆に言えばこの戦争は恐らく単にイラクで留まる話ではなく、最終的には「イスラム文明解体作戦」(中東の民主化などということを本気でやろうとすれば、結局はそこまで行かざるを得ない)までを視野に入れた、壮大な作戦の一環だと推測されていたわけである。

 そしてもしイラク戦争が入り口に過ぎないとすれば、真の最終目標地点(「バルバロッサ作戦」の場合それはモスクワであった)はどこかということが最大の関心事となってくる。そしてその時の結論では、今回モスクワに相当するその最終目標は、サウジアラビアなのではあるまいかという大胆な推測が述べられていた。

 しかしその後のイラク情勢の泥沼化ぶりで、そんな壮大な目標は夢物語として屑かご行きになるとしか思えない情況に陥った。実際、確かにバグダッド陥落という「第一次戦略目標」は早期に達成されたものの、続く「第二次戦略目標」の達成などは地平線に姿さえ見えていないというのが、つい数週間前の情況だったのである。そのため一時はこの年表も意味を失ったものと思われた。

 ところが今回新たに起こったフセイン拘束という大事件を年表の中に書き込んでみると、意外なことにちょうど次のような格好になってしまうことがわかる。


      表3

 これを見ると、フセイン拘束の日付がちょうどぴったり、バルバロッサ作戦での「第二次戦略目標」たるスモレンスク占領の日付の位置に来てしまっており、その時間的な誤差は実に僅か「2日」(無形化時間で)という、奇妙なほどの偶然の一致ぶりを示している。(おまけにこのフセイン拘束作戦の名がなぜか「赤い夜明け作戦」という、いかにも東部戦線を連想させるものだったというおまけまでついている。)

 逆に言うと、今にして思えばこのフセイン拘束という事件こそ、まさしく「第二次戦略目標」そのものとして位置づけられるべきものだったことになり、たとえ治安の回復が成らずとも、むしろこれがストーリー上での一里塚となってくることは間違いない。

 そしてまた、これが「第二次戦略目標」だとするならば、ちょうどここまでのイラク戦争全体が、年表上で時間的に「国境会戦」の中にぴったり収まってしまうことになり、あたかも骨太の歴史のストーリーがそこに再び姿を現わしつつあるように見えてくるのである。

 そしてこうして一里塚に立って眺めてみると、フセインの歴史的評価というものもほぼ定まりそうであり、どうやら彼は結局は準四次世界大戦の英雄−−スターリンに相当する存在−−には、なれなかったことになる。(風貌や雰囲気は如何にもスターリンに似ているのだが。)
 確かに彼は米国を東部戦線の開戦に引きずりこむきっかけを作った人物であり、少なくともその面では歴史に残る存在だが、「国境会戦」の段階で無様に捕虜になってしまった以上、やはりそれ以上の存在ではあり得ないと考えるのが順当だろう。
(逆に言うと、もしスターリンが緒戦で前線付近にいたところをスモレンスクあたりで捕えられてしまう、などという事態でも起こっていたならば、スターリンもフセイン程度の評価を下されていたのかもしれないが。)


・参考−−「バルバロッサ作戦」の進展経過
 ところでここで、これからの展開を占う参考とするため、第二次大戦でのナチスドイツによる「バルバロッサ作戦」がどのように進展していったかを、あらためて簡単に述べておこう。それは(年表上にも示されているように)大まかに以下の4つの期間に分けられる。

第1期
 まず当初のドイツ側の計画では、モスクワ街道を一直線にモスクワまで突進することになっており、街道の途上にあるミンスクとスモレンスクが、それぞれ第一次および第二次戦略目標とされていた(そしてモスクワが最後の第三次目標である)。
 そして時間的な区分としては、第二次目標スモレンスクを占領したところまでが、最初の第1期である「国境会戦」に分類される。

第2期
 ところがスモレンスクに到達した時点で、突然ドイツ軍には前進停止命令が出された。それは、南部のキエフ・ウクライナ方面の戦線ではソ連軍がいまだ健在であったため、側面の安全を確保するために軍を一旦南へ向ける必要が生じたからである。
 ところが軍内部ではこのまま最初の計画どおりにモスクワに進むべきだとの意見も強く、どちらを優先するかを巡って上層部で意見が対立し、そのまま1か月間、進軍が停止するという事態を招いた。これが「戦線停滞」の時期である。

 
     バルバロッサ図

第3期
 そしてその議論は結局、南部優先ということで落ち着き、軍は一旦南に大きく向きを変える。そしてキエフにおいて巨大な包囲戦が展開されて南部のソ連軍は殲滅され、一応は大きな成果を上げた。これが「キエフ包囲戦」の段階である。

第4期
 そのキエフ包囲戦の終了後に、ようやく最終目標であるモスクワを突く「タイフーン作戦」が発動された。これはあと一歩までモスクワに迫ったにもかかわらず、冬将軍の訪れでついに敗退し、バルバロッサ作戦全体の失敗を決定づけた。
(なお、モスクワが陥落しなかった理由は冬将軍の他にも、有名なスパイ、ゾルゲの活躍があり、日本の対米開戦によってシベリア極東のソ連軍を後顧の憂いなくモスクワ防衛につぎ込むことが可能になったことも一因となっている。その意味で、実はこの作戦は日本との因縁浅からぬものがあったわけである。)


・現在の情況
 つまりこれに対応させれば、現在はちょうどこの第1期の「国境会戦」が終わった段階だというわけだが、では今後の事態はどのように進展していくだろうか。

 まず「第二戦略目標」確保の意義についてだが、確かにフセインそのものは(今までの予測でも述べてきたように)すでにゲリラ戦の重心ではなく、その点に関する限りはさほど決定的な意味はない。
 しかし現在むしろ戦略的に重要な意味を帯びているのは、捕えられたフセインのあの惨めな映像の存在である。

 実際それは、いささか皮肉なことにイラクのゲリラにとってはさほど決定的な影響は及ぼさないが、米国の大衆と中東諸国の指導者にとってはその意味は極めて大きく、ある意味で米国としては、これを手に入れることこそが、この戦争を行った目的だったとさえ言えないこともないかもしれないほどのものである。

 そのため米国の国内について言えば、ブッシュ政権としてはとにかくあの映像をイラク戦争のゴールの象徴として位置づけて、それによって国内の情報制空権をとり、一方で政治に関しては国内経済に全力を投入して何とか好景気を演出することで、選挙まで何とか引っ張っていくことを考えているものと思われる。

 実際心理学の話ではないが、米国民から見れば、なまじこれまでイラクでさんざん苦境が報道された後に、あれだけ衝撃的な勝報がとどいたため、逆に今までの苦境全体が、耐える意義のあるものだったというイメージができやすい情況になっており、米国内に関してはその力は1年程度ならもつ可能性がある。

 そのため当面の問題として見ると、結果的に次の一年は、これ以上中東で下手なことをして「寝た子を起こす」ことは避け、とにかく選挙と経済に専念する「戦線停滞」の時期に入る−−少なくともメディア上ではそのように演出される−−可能性が高い。

 これに関しては、むしろ選挙のために中東で積極行動を起こす必要があるのではないかとの見解もあるかもしれないが、しかし今回彼らが身にしみて学んだのは、問題が長期化するか否かの事前予測の難しさである。
 実際もしこれから行動を起こすと、下手をすれば一番苦しい時期が投票の時期にかかってしまいかねない。そのため安全のことを考えれば、その期間中は単なるポーズをとるだけに留め、まあよほど経済が破局にでも陥らない限りは、決定的な行動を起こすとは考えにくい。
 つまりこの点でも年表のこの先の部分と現実が奇妙に一致してくる可能性が高いわけである。

 しかしだからと言って、それが米軍の撤退や長期的な中東政策の穏健化につながるかと言えば、むしろ話は全く逆であろう。
 ここで、例のフセインの映像がもたらす影響を考えてみると、中東諸国の指導者にとって、それがどれほどの衝撃だったかは想像に余りある。彼らにとってフセインは善悪を別としても、スターリンの如き「鉄の男」であったことは間違いなく、実際彼よりうまくやれると思っていた人間は誰一人いないはずである。

 そのフセインがあのような姿になった映像が電波に乗って世界に届けられたことは、彼らにとって頭上からアイクチを突き付けられたに等しい。
 米政府は間違いなくその力を知っているし、それはまた自らの正しさに対する確信を強めたはずである。逆に言えば、イラクだけでやめて手を引こうという態度への後退は、政府内部ではすでに困難となっている可能性が高い。

 しかし一方において、軍事力の行使に関してはかなり痛い目に会って学習効果もあるため、むしろ無形パワーの側に主力を移した形で、しかし中東の民主化構想自体は、以前にも増してキリスト教原理主義的に強烈に追求されるというのが、一番ありそうなことだろう。


・新たな問題点
 その米国の傲慢な自信がイラク統治の態度に反映しないとは考えにくいが、しかしそうなってくると、イラク南部の大半が事もあろうにシーア派であったことが、米国にとっての大きな不幸の種となってくる恐れがある。

 そもそもシーア派は昔からイスラム世界の万年野党として抵抗精神が強く、そして歴史的に見ても、イスラム世界全体が危機に立ったとき、自分たちこそ防衛の最前線に立たねばならないとばかりに猛烈にハッスルする傾向があって、それはあたかもこの宗派の中に刻み込まれた一種の本能のように見えなくもない。
 そのためもし米国の態度がそのような色彩を以前にも増して強めたとすれば、それはまさにシーア派のその部分を刺激することになりかねないのである。

 大体において今まではイラク情勢の困難や問題の本質は、もっぱらイラクという国の構造の中にあった。つまりその国境線が宗教、民族のどちらでまとめようとしてもどこかが矛盾するような最悪の引き方をされており、それが問題の最大の中核をなしていたわけである。
 そのため従来からこの国は強権政治によってしか統治できず、そしてフセインを除去しても病の根源はそのままなのだから、確かにそれが原因で今後しばらくはイラク人同士の内部抗争がかえって激化する可能性が高い。

 しかし先ほど述べたその新しい要因が将来において現実に浮上してきた場合、むしろそれが従来の要因を圧倒して主役となってくることがあり得るのではあるまいか。
 そしてとかくこの種の、民族が隠し持っている不思議な義務意識というものは、外からはなかなか理解しにくいものであり、現実にそれはしばしば世界史を大きく動かしてきたのである。

 そのためもしその点がイラク統治の最大の障害として浮上してきて、国内で騒乱となった場合、米側は当初それを十分理解できずに事態を拡大させる公算が高い。(イラン革命の時もそうだった。)
 そしてそれは続いてシーア派の総本山である隣国のイラン国内を刺激し、米国の目がむしろイランに向けられてくるという可能性が、ここに出現してくるのである。


・予想される一つのコース
 ではいささか気が早いが、その視点に立ったときにはどのようなシナリオが予想されるだろうか。仮に先ほど述べたように当面1年間、選挙のために大きな行動が見送られて「臭いものに蓋」の状態が続いたとすれば、問題の蓄積量も相当なものになっているだろうから、もしブッシュ再選が成ったとした場合、選挙明けぐらいにはその解決のための積極行動が要求されるようになってくると考えられる。

 そしてその場合には米政府内で、現在の混乱はイランが病原体となっているとの論が生じてきて、イランに対する何らかの行動が起こされる可能性が出てくるというのが、一つ考えられるシナリオである。

 あるいはこの予想は先ほどの年表に引きずられているのかもしれないが、ともあれそうなってくると、ちょうどこれが「バルバロッサ作戦」第三期のキエフ包囲戦に相当する行動として現実のものとなり、再びダイナミックに例の年表に似たコースが現われてくるかもしれないというわけである。

 ただしこの場合、その行動はむしろ無形化した形をとり、軍事力を直接用いることは(教訓もあって)控えられる可能性が高い。
 つまり例の映像がもたらした脅し効果を最大限に用いれば、軍事力の行使に至らずとも目的は達成できるはずであり、その場合、イラン指導部としては有効な対抗手段を持つとは思えず、屈辱的な譲歩でがたがたになっていくと思った方が良いだろう。
(無論、過去何度もやってきたような、CIAの支援のもとに内側から政変を起こさせる、というようなプランも、オプションのうちには入っているだろう。)

 しかしそれは指導者を脅す効果はあっても逆に民衆の怒りを掻き立てる効果ももつ。そしてその段階で、「中東の民主化」という美名の裏の、「イスラム文明解体作戦」という本質が露になり、事態は世界全体のイスラム教徒との問題に発展する様相を呈しかねない。

 そうなれば次の段階で、いよいよ最後の牙城としてのサウジアラビアが目標になる可能性が浮上してくることになる。
 実際、中東の民主化を本気で行おうとすれば、実はイスラム社会に対してハーモニック・コスモス信仰を強要することが前提となってしまう。つまりそれは一種の強制改宗に他ならず、結局その本質はイスラム文明解体作戦とならざるを得ないのである。

 その場合、いずれにせよイスラム世界の中枢部であるサウジアラビアに騒乱のエネルギーが集まってきてしまい、米側としては見通しの有無にかかわらず、サウジアラビアそのものを制圧することが必要となってきてしまうだろう。
 そしてここで再び年表のイメージを念頭に置くと、要するにこれが第4期のモスクワ攻略「タイフーン」作戦の時期に重なる形で起こるのではないかという、壮麗なストーリーが予想されうるわけである。

 まあこれはあくまでも一つのシナリオだが、しかしとにかく確実なビジョンをもたずに戦術的に目の前の敵を追っていくということを続ける限り、事態はどんどん拡大するものである。すでに現在の情況自体が一年前の常識の範疇を外れた驚くべき事態ではあるが、そう考えると、現実はそれをさらに上回り、事態がそこまで発展することも覚悟はしておかねばなるまい。


・仮想地球儀上での戦略的情況の表現
 ではここで、現在までの情況と今後のシナリオを仮想地球儀上に表現したらどうなるかを、ちょっと見てみよう。

 まず可視化のルールでは、現実の軍事力の行使は(「通常兵器の相対的核兵器化」の論理によって)戦術核の使用として可視化される決まりである。
 つまりこの場合には、米英が開戦初頭、緒戦の2日ほどの期間に、国境線付近のコンクリート要塞破壊のため、国際社会の反対やルールを無視して戦術核の使用に踏み切り、早々に第一戦略目標の確保には成功したという形で表現されるわけである。(図では現在までのイラク戦争は青の矢印で示されている。)

 そしてここでは現在の「第二戦略目標」達成の意味は、一種の航空拠点を確保した状態として表現されている。
 つまり現在、周辺諸国が例のフセインの映像によって震撼させられている状態は、そこを基地とする航空機による頭上からの脅威として可視化するのが最も適切である。
 そしてそれは、その航空機自体よりも、むしろそれが陸上からの戦術核の到来を確実に予告する存在であることによって恐れられている。

 そう考えると、可視化を行う際の機種としては爆撃機よりも、一種の「誘導機」を考えた方が適切で、それが高高度からぴたりと地上の政府を照射しており、いつでもそれを目がけて核弾頭(ないし核砲弾)が誤差数mで確実に着弾するという情況を考えれば、最もイメージに近いだろう。

 また同様に可視化ルールに従うと、一般にテロは化学兵器が使用されている状態として表現される。(現実もそうなら米政府は大義名分が立ってさぞ結構だったろうが。)
 つまり現在はちょうど前線背後でレジスタンス(あるいはパルチザンと言うべきか)が手製の化学兵器をブービー・トラップに仕込むか何かして占領軍を苦しめており、いまだ十分にそれを制圧できていない、などという状態として表現されるわけである。

 また、石油を巡る戦略的情況に関しては、産油国数か国の仮想面積が原油埋蔵量を表わしているのでそこから読み取ることできる。ただし今回の作戦では米国にとって石油は、やはりあくまでも二番目の意味をもつ副次目標でしかないと考えられる。


              図8

 そして黄色と赤の矢印が、今後予想されるコースである。もし現実にそこまで行くとしたならば、仮想地球儀上での作戦区域面積は、バルバロッサ作戦のそれを優に上回ることになり、名実共に戦史に残る大作戦となろう。
 ただしそれらは無形化された形で進行するかもしれず、そこで「戦術核」の使用に至るかどうかは現時点では不明である。

(なおこの地図や年表の各国を第二次大戦の東部戦線に対応させると、この場合クゥェートがポーランドに、アフガンがユーゴスラビアに、それぞれ立場的に近い。そしてさしずめイランがウクライナで、イラクそのものは白ロシア=ベラルーシとでも言ったところか。)


・空軍力の罠
 さてこのように全体の情況を捉えると、今後を占うに際して、教科書通りのパターンが情況の中に現われつつあることがわかる。
 すなわち一般に戦略の法則として、そのような形で空からの絶対的戦力を手にすると、それを手にした者に危険な自信を与えて、確かに相手の正規軍や政府は簡単に屈服させることができるが、それはかえってゲリラを繁殖させることになり、おまけにそれは空からは制圧できない。
 結果的に、強い空軍力が存在すればするほど、本来無くてもよい泥沼状態を陸上にわざわざ生じさせて、それがどんどんひどくなって収拾がつかなくなるというのが、比較的最近(つまりベトナム以後)明らかになった一つの戦略法則なのである。

 実際歴史的に見ても、ゲリラを最終的に封鎖する武器としては、一般に海軍力の方は極めて有効で、しばしば切り札となったが、空軍力はむしろ害になることが多く、それは物理的戦争でも無形化した戦争でも同じである。
 現在イラクに生じている泥沼はまさにこのパターンそのものであり、それが長期的にますます悪化する可能性が高いことは、無形化戦略の原則からもよくわかるのである。

 さらに言えば現在の混乱の根本原因は、何と言っても米国が、自国の文明が実はハーモニック・コスモス信仰という思想的土台の上に築かれていて、そのために自分が「縮退を進歩と錯覚する」強い迷信とそのシステムを世界に強要しているということ、そしてイスラム側の根強い抵抗の根本には、その迷信を拒否しようとすることに基づく部分が多く含まれているのだということを、十分に理解できずにいるという点にある。

 そう考えるとこの場合も、いずれ戦略の決定的な鍵が、それを巡る知的制海権の問題にシフトしてくる可能性が結局は高いのだということが、ここからも読み取れるだろう。


・日本の対応
 ではその時日本はどうするべきか。まあそれは前回までに何度も繰り返し述べてきたことなので、内容についてはここでは繰り返さないが、要するに「テクノ・ウラマー構想」こそが、この問題の中枢にアプローチすることのできる唯一の解答である。

 文系の人がこれについて聞くと、とかく単なる技術支援程度のちっぽけなものと錯覚され易いが、何と言ってもこれは「数学史上最大の盲点」と不可分に結び付いたものであり、そしてその盲点が同時に米国の盲点でもある以上、むしろ知的制海権を巡る部分の方が、戦略的には圧倒的に大きい意味をもっている。

 確かにこれには表面的には、単なる産業支援としての部分も存在するが、この構想による知的支援がイスラム世界全体に及ぼす秘められたインパクト力の巨大さに比べれば、到底比較になるようなものではない。
 なぜならそれは数学を武器に、イスラム世界が自分の文明を捨てることなくテクノロジーと共存していく道を開くという点で、今までイスラム世界の前に横たわっていた最大の障害を除去できる可能性があり、それは中東およびイスラム情勢の構造を根底から揺るがしかねないものである。
 そして日本以外にそれを実行できる国はなく、逆にその方策をとらない限りは日本は激流の中で漂流を続けることになるだろう。

 というよりも、もはやそうなってくると日本そのものが世界にとって事態を収拾できる唯一の駒としての意味を帯びてくることになり、それをみすみす米国の下男として無駄に使い潰すことは、惜しいなどという表現で追いつくものではない。

 そして現在の自衛隊派遣で揺れている日本の情況を仮想地球儀上で表現するならば、さしずめ陸軍のごく一部が米陸軍に無理矢理編入される形で、前線後方の占領地を維持する任務のために、重々しいNBC防御装備を持たされて、とぼとぼ陸路をそこへ向かいつつあるようなものだろう。(「バルバロッサ作戦」でもフィンランドなどの周辺諸国がいやいやドイツ軍に参加させられており、まあこれも後世から見ればそのようなものに見えるに相違ない。)

 それに対してこの「テクノ・ウラマー構想」の場合、それはむしろ米国の意志とは別に海上から独自の支援行動を行うという形で表現される。
 確かにこれには、陸上へ経済戦争のための近代兵器を送り届ける支援行動という部分も存在するが、むしろメインは洋上での知的制海権を巡る戦略行動の部分である。そして特に後者の部分は、日本にとってある意味、米国からの独立戦争的部分の色彩も帯びることになる可能性があるわけである。


・岐路に立つ世界史
 考えてみると、もともとイラク戦争の開戦自体、国際社会が共和制から帝制へのルビコン河を渡ったに等しい重大な意味をもっていた。
 だがもしこの上さらに、最終的にサウジアラビアが「陥落」してイスラム社会の中枢部が米国に制圧され、これまで世界史の中でイスラム文明が保持してきた、社会の縮退を防ぐシステムの部分が組織的に破壊された場合、長期的に見ると単なる戦略的意義の問題さえ超えて、人類文明全体が回復不能な打撃を受ける恐れが出てくる。

 つまりそれはまず戦略的に見ると、世界が勢力均衡体制に踏み止まるために不可欠なバランス基盤の一角が崩れることを意味する。
 そしてさらに文明史の観点から見ると、それは文明社会全体がコラプサーへの転落から逃れるために必要な力やエネルギーを最終的に喪失し、「世界史の死」という戦慄すべき事態の到来を決定づけることになりかねない。

 その真の恐怖を理解できる人間はまだ少数だが、とにかくその巨大な危機に比べれば、(不謹慎のそしりを受けるかもしれないが)テロの問題さえおよそ吹けば飛ぶようなちっぽけなものに過ぎず、その程度のものに目を奪われている余裕はないのである。

 このように見てくると、実は今後の情勢は、展開次第ではバルバロッサ作戦さえ比較にならないほどの巨大な世界史的意義を帯びてくる可能性があり、まさに人類文明がそのぎりぎりの岐路に立っているかもしれないという事実が浮かび上がってきて、いささか慄然とせざるを得ない。

 それゆえこちらとしては、少なくとも将来、世界全体が今までの米国的迷信を捨て、「縮退とコラプサー化を防ぐことこそ、文明社会の第一優先目標である」ということを認識し、そのための歩みを新たに始められるようになるまでは、何とか情況が持ちこたえてもらいたいと願っている。
 それは現在の西側社会の一般常識からはまだ受入れられにくい見解かもしれないが、しかしその危機感は、例えば第二次大戦時にロンドンあたりの場所から、「バルバロッサ作戦」の最中の陥落の岐路に立つモスクワを眺めていた人間にとっては、立場の違いはあれ、多少の複雑な思いと共に共感できることではなかろうか。