イラク情勢2003年の総括と日本の採るべき戦略


※2003年11月例会講義を加筆・編集しました。


 ここのところ設計図シリーズの方に講義がちょっと移行してしまったんで、イラク
関係の分析は字にする方が全然お留守になってしまっていました。
 もう半年少々過ぎた頃ですし、それにまた例の、時間経過を1/10にして第二次
大戦の東部戦線と比較するという、半ばお遊びの年表ではちょうど今頃は、第2次戦
略目標(スモレンスク)に達していなければならない頃なんですが、どうやらこちら
はどう見ても第2次戦略目標らしきものには達してしないようです。
 で、まあキリのいいところですから、まあ、分析というか今までの総括みたいなこ
とをやっていこうという話です。

 最初に結論の方から言うと、今のイラクというのは、新聞なんかではここら辺はま
だそこまで詳しく分析してませんけれども、どうやら、「戦略の重心」ってものが失
われてしまってるんじゃないかというのが、今の私の見方なんですよね。
 まあ、この話はあとでじっくりやりますけれども、それに先立ってこの数ヶ月やっ
て来た予測の自己採点ということからやっておきましょう。

 


・数ヶ月間の予測を振り返って

 一番最初にイラク関係の予測で、「アメリカは本気でイラクをやるつもりなんじゃ
ないか」と言ったのが大体去年の9月頃、つまり開戦の半年ぐらい前の、まだイラク
の文字が稀にしか新聞に登場しない頃だったと思うんですけれども、あの頃はアメリ
カがイラクに対して「悪の枢軸」とのレッテルを貼って何故か牽制をかけ始めた。と
いうところから見て、どうもこれはイラクを本気で叩くんじゃないか、それはその側
面防衛のために言ってるのじゃないかということを感じて予測をしたわけです。まあ
それはまあものの見事に当たった訳ですよね。

 それから開戦直前の予測としては、バグダッドでフセインがそんなに長く抵抗する
ことは無理だろうと。その予測も一応当たりました。

 また、化学兵器が存在するかどうかについて、多分フセインは、戦争の混乱の中、
末端でもし使われちゃったら国際社会から大変な非難を受けるから、そういうことが
ないように絶対処理は命じている、ただし、それが存在するかもしれないという疑い
だけはアメリカ当局に持たせていたい。だから弾頭に小麦粉か何かを詰めたものを
持っていて、それが見つかるだけなんじゃないか、というのを確か開戦の直前の時点
で話しましたよね。それも一応当たりでした。

 
 その一方、一番私が予測に失敗したのは、あんなに早くバグダッドが陥ちるとは
思っていなかったことです。それで、バグダッドでフセインの銅像が倒された時点で
改めて予測を修正して、その一週間ぐらい後の予測では、「バグダッドは陥落したん
じゃなくて単に撤退しただけではないか、そして彼らは、占領軍として入ってきたア
メリカ兵の命を狙うことがメインの戦略に移行したのではないか」という予測を立て
て、それをここで講義以外の時間にお話しましたよね。まあその後の経過はものの見
事にその通りでした。

 問題は、バグダッドから撤退するということをなぜ私が予測できなかったか、とい
うことですが、それを改めて反省をしておくと、これはやっぱりちゃんと理由があっ
たんです。

 というのはフセインにとっては、一旦バグダッドを去ってしまうと、帰ってくるこ
とはもうほとんど不可能に近い、という状況がまずある訳なんですよ。なぜかと言う
とそもそもフセインの支持基盤というのは、少数派を支持基盤にしてるという、非常
に不安定な状況にあるわけですよね。

 何でそれで政権がとれたのかというと、もともとバース党というのがシリアとエジ
プトとイラクの三国にまたがった政党であって、その3国を合わせればスンニ派層が
一番多数派を占めるわけですけれども、イラクだけを切り離しちゃうと少数派になっ
ちゃう訳ですよ。

 今はエジプトとシリアは脱落してるに等しく、もうイラクと協調してバース党を再
興しようなんて考えは持ってないですから、ということは、一旦今持ってる支配体制
や制度を取ってしまうと、再び帰ってくる事は絶対不可能になってしまう訳ですよ。
だからそれから考えてそんなフセインがあっさり見限るとは考えにくかった訳なんで
すよね。

 それでもそれをあっさりやっちゃったというのは、まあ随分思い切ったなあと私は
思ったんですけれども、とにかくもしこれがバグダッド「陥落」ではなく「撤退」
だったということになると、フセインが最初からどういうことを考えていたのかにつ
いて、抜本的な情報の洗い直しが必要になってしまいます。実は新聞などではちょっ
とそこらへんを思い切ってやらなかったものだから、どれも皆分析が中途半端な曖昧
なものになってしまっているようです。

 さてそれではフセインがそもそもどういう戦略を考えていたのか。というと、まあ
とにかくイラクという国には、「イラク国民」という共通のアイデンティティが無
い。それはやっぱり勝手に分割をされて作られた人工的な国で、おまけに国境線の引
き方が最悪で、民族でも宗教でもうまくまとまらないようになっている。要するにこ
こが一番問題なのであって、「イラク国民」というのは存在しないと言う言葉が言わ
れていたし、それを無理矢理まとめるにはフセインの強権政治しかなかったんですよ
ね。

 それでこの際フセインとしては、アメリカ兵に対するゲリラ戦を通じて、イラク国
民に共通の敵と戦ったという経験をもたせ、イラクのナショナリズムというものをな
るだけ喚起させておこうと考えた。つまり一種の独立戦争ですよね。そしてそれを十
分やった後に、事態を収拾できる唯一の存在として出ていく。しかし自分が出て行っ
たらやっぱりアメリカに確実にトマホークでやられちゃうから、その時にクサイかウ
ダイ、息子の誰かを、仕切り直しという形で新生イラクの象徴として出す。多分そう
いう事を考えていたと思うんですよね。

 そしてまた、フセインが一体どこにいたのか。これに関しては断言するほどの証拠
はないのですが、ここではトルコにいたのではないかということを、一つ可能性とし
て挙げておきたいと思います。
 トルコという国は、とにかくクルド人問題を抱えてますから、フセインは居てくれ
たほうが有り難いんですよね。フセインがいてくれて、イラクをまとめてくれて、ク
ルド問題が火を吹かないようにしてくれることが有り難いので、フセイン温存という
ことはトルコの国益に適ってるわけです。そして多分戦前から、トルコ国内にはイラ
クの情報部の人間なんてのは何人も入り込んでいたでしょうから、フセインとしては
そのイラク情報部員に匿われてトルコにいる方が、一番安全な訳ですよ。

 イラク国内だとアメリカ軍がいくらでも掃討作戦を掛けられますけれども、トルコ
の中に密かに潜んでるとなるとアメリカ兵がそう無遠慮に入り込んでくる事は出来な
い訳じゃないですか。何と言ってもトルコというのは古くからのNATOのパートナー
で、重要拠点のボスポラス海峡を押えている国ですから、アメリカにとってもそんな
に簡単に敵に出来る国じゃないんですよね。

 トルコ政府としては、もしフセインが国内にいると知っていても、気がつかなかっ
たと言ってしまえばアメリカとしてはそれ以上何も言えません。それを考えると、実
はここが一番安全で、フセインのファミリーは皆トルコに避難して、身の安全を悠々
と計りながら、長期戦に持ち込めるという目算を立てていたのではないかということ
が、一つ考えられるわけです。

 まあ私は開戦前にはこの可能性を採らなかったわけですが、そのシナリオを危ぶん
だのはもう一つ理由があって、それは本当にゲリラ戦が盛り上がるかどうかがかなり
疑問だったことです。実際、体制による監視の目を逃れたイラク国民が、自発的にフ
セインのために戦うという要素は、もともと希薄で、通常ならばそんなことは期待す
るのはちょっと無理だったと思います。
 実はこの点はフセインにとっても賭けだったのかもしれません。それは、現在ここ
までゲリラ戦が盛り上がっている理由は、フセイン自身の戦略のおかげではなく、9
割まではアメリカ側のやり方のまずさにあるからです。

  実際、アメリカがあそこまでイラク国民の怒りをわざと掻き立てるような、そん
な無様なやり方をするとは、想像の外でした。相手がそのように愚かな失敗をするこ
とを最初から期待するというのは、戦略としては邪道でしょう。
 しかしともあれ、バグダット撤退から数か月ほどは、まさにフセインの思うつぼに
はまっていったというわけです。


・覆ったフセインの思惑--ウダイとクサイの死

 そのためこのまま行けば、フセインの構想も実現するかと思われたんですが、とこ
ろがこれら全ての前提を引っくり返したのがウダイとクサイの死でした。事実、二人
が死んじゃうってことはフセインは全く、多分考えてなかったと思うんです。
 どうも見た感じ、この構想が余りにもうまく行き過ぎたんでクサイとウダイが状況
を甘く見て、イラクの中に、安全だよと思って行ったらそこでやられちゃったんじゃ
ないかっていうのが私の見方です。大体殺された場所が確かトルコ国境の近くだった
というのも、何か暗示的ですよね。

 そう思って見ますとね、もうフセインの描いてる戦略、シナリオというのはウダイ
とクサイの死の時点で完全に崩れた訳じゃないですか。自分が出て行ったらね、確実
にやっぱりアメリカのトマホークの的になっちゃう訳ですよね。だからフセイン自身
が帰っていくってことはあり得ないわけだから、フセイン体制が復活することはもう
あり得なくなってしまった訳ですよね。

 ですからフセインとしては戦略目標を完全に見失っちゃってる訳です。それかあら
ぬか、二人の息子の死後、ゲリラ戦自体はどんどん活発化しているのに、何だかそれ
に反比例するようにフセインの存在感が希薄になってきているような気がするんです
よ。

 という事は逆に言えば、このゲリラ戦はもうフセインがいなくても末端が自分の意
志でやり始めちゃってるんじゃないかと思うんです。だからふた月くらい前までは、
アメリカ兵がフセインを探し出して殺せば、戦闘が止まる可能性はあったわけです
よ。ところがこうなっちゃうともうフセインを殺したって止まんないですよ。
 
 おまけにもうこうなって来ると、イラクそのものがアメリカとイスラム過激派の両
方のショーウィンドウになってる訳ですよね。イラクから撤退すればアメリカっての
はもう威信丸つぶれで、世界中のテロリストを活気づける恐れがありますから、これ
は何があってもアメリカはできない。それからイスラム過激派にしたら、イラクでア
メリカ兵を殺すことが英雄への道だっていうことになってきたから、武器の供給なん
かも、もう断たれる訳が無い。だからイラク国民がどんなに苦しんでいようが、戦争
は終わらないという構造が出来ちゃっている可能性がある訳ですよ。

 世界史上こういうことってのはよくあることで、たとえばドイツの宗教戦争の30
年戦争ですけども、30年戦争というのは、カトリックとプロテスタントが、ドイツ
を舞台に、外国のカトリックと外国のプロテスタントが戦場に選んじゃいましたか
ら、ドイツ人がどんなに苦しんでも、戦争はドイツ人の意志では終わらなくなってし
まったんです。
 だからとうとう人口が三分の一まで減るという史上最悪の戦争にまで発展し、恐ろ
しい史上最悪の経験をしなければ終わらなかった。まさにそういう事態にはまり込み
つつあるのではないかと思う訳ですよね。

 そうなると実はフランスなんかが言っている、「国連にもっと権限を移管せよ」と
か、そういったことも、戦前ならともかく、現在ではもはや解答ではあり得なくなっ
てる訳ですよ。つまり世界が持ってる策が全部使えなくなっちゃってるのが、今のイ
ラクの情勢です。だからウダイとクサイが死んだあたりから、事態は双方がコント
ロールを完全に失いつつあるとみるべきでしょう。

 で、手詰まりになったアメリカはこの先放って置いたらどうするかというと、例え
ばベトナムとの関わりで言うと、ちょっとカンボジアの悪夢が思い出されるんですよ
ね。

 アメリカはベトナムでいくらゲリラ掃討してもうまくいかないと言うんで、ゲリラ
の輸送ルートを断つために周辺諸国にも手を伸ばし始めたわけなんですよ。その結果
カンボジアがルートの一つになっているというので、カンボジア侵攻をやったんです
よね。まあもともとベトナムが揺れてたんでカンボジアはかなり揺れてたわけですけ
ども、それが結局ポル・ポト台頭の一番の大きいきっかけになっちゃった訳です。そ
して今回それと同様のパターンで、それがサウジに行くとなるとこれはちょっと大変
なことになるわけですよ。

 まあ一番心配なのはやはり言うまでもなく選挙とのからみです。まあ大体選挙の
キャンペーンというのは三月(みつき)くらいしか持ちませんから、選挙直前の三月
くらい前にバアッと始めるのが、キャンペーンとしては一番有効ですからね。
 だからそのための策は今のうち練ってると思うんですけども、まあその時に、とに
かく今、ここから退いちゃったらもっと悪いことになるよ、という論拠でキャンペー
ンを張るでしょう。まあテロリストとのかかわりで言えばそれは半分の真実ですが、
その時に、それをネタとして、やっぱりサウジとかそこら辺を中心としたテロリスト
が、いかに流れこんでいるか、そしてまた彼らの体制がいかに非民主的か、そういう
映像が大量に流されるでしょう。
 
 まあメディア宣伝だけで十分に効果が期待できれば、別に軍事行動を起こす必要は
無いですけれども、でもそれじゃ足りないと思った場合には、軍事行動を、小規模な
ものとはいっても起こす可能性はある。それがカンボジアの悪夢と同じ悪夢を辿っ
ちゃう可能性というのは、高い訳ではないですけれどもゼロではないと思っていま
す。

・採るべき策は何か−−テクノ・ウラマー構想のインパクト

 こうしてみると、どうもお先真っ暗という感じですが、そうすると、策というのは
何があるのか。今語られてる策というのはまあ、もう全部屑カゴ行きだと思って差し
支えないです。全部、役に立たなくなっていることはほぼ確実なわけですから。
 それで、最終的にどうなるかって言うとまあ、結論から先に言っちゃうと、一言で
言えば結果的には「イラク分割」というところへ行くしかもうないだろうというのが
一つ。それからもう一つはやっぱり切り札を握っているのは「テクノウラマー構想」
以外には多分無いだろうという話なんですよね。そして日本がとるべき道もまさにそ
こにあります。

 そもそもフランスも含めて今のイラク情勢をどうするかっていうことのプランが一
つも無いことの原因は、やっぱり2つの事を理解してないってことが一番大きいと思
うんですよね、この根本は何かというと、まず第一は、イスラム社会というのは基本
的に安定したウラマー=イスラム法学者から成る知識人層の存在がコアになって、長
いことまとまっていたんだということです。

 一般に社会の「主権者」とは要するに立法権を最終的に誰がもっているかで決まり
ます。イスラム社会の場合、イスラム法自体は人間が手を加えてはいけない建前に
なっているので、人間には立法権はありません。そのため、法律の解釈権をもってい
る彼らイスラム法学者が、それに一番近い存在です。
 そして社会を押える時は、その社会を押えているコアの部分を押えれば、そこは安
定させることが出来るんですけども、そこ以外のところで幾らやっても上手くいかな
い。ウラマー層が上手く機能してないことが、百年前からのイスラムの諸問題の根底
にあるんだという事がまず理解されていないわけですね。

 それから第2にイスラム文明がアメリカ型文明を受け入れない理由というのは、実
は作用マトリックスN乗理論がないと直観的にはわかりにくいということです。つま
り彼らはハーモニックコスモス信仰が誤りだということを無意識のうちに知っている
からこそ、アメリカ文明を受け入れないわけですよね。つまりこの2点を認識してい
ないことがイスラム関係の統治が上手くいかない全ての原因だと言っても差し支えな
いと思うんですよ。

 そのため有効な策があるとすれば、それはこの2点を踏まえた上で立案された構想
しか役に立たないことになってきますね。そうなってくると、今まで国際政治のプロ
が誰一人予想しなかったことではありますが、この件に関しては数学者が国際政治の
前面に出てきて、作用マトリックスN乗理論に基礎を置く「テクノウラマー構想」が
鍵になるしかないということになります。

 まあこの構想に関しては、講義を通じて何度も話しているので、内部の人間にとっ
ては耳タコかもしれませんが、初めて接する方のために一応説明しておきましょう。
要するに現代のイスラム世界の最大の問題は、近代テクノロジーとイスラム法を融合
させる社会的が確立されておらず、そのためウラマー層がうまく機能していないこと
にあります。
 そのためそういう、科学技術とイスラム法の双方に通じた新しいウラマー層、すな
わち「テクノ・ウラマー」を育成することが、中東を筆頭とするこの世界を安定させ
る最大の鍵であり、支援にしてもそこに焦点を結んだものこそが本命でなければなら
ないというのが、この構想です。

 まあこれだけを聞くと、単に昔からあるような技術者育成に関する国際的支援策に
毛が生えた程度のものだと錯覚されるかもしれませんが、しかしそれらと異なるの
は、この構想があくまでも作用マトリックスN乗理論という新しい数学を基礎にする
という点です。
 実際(この数学を知る人なら納得できると思いますが)それが何しろ「数学史上最
大の盲点」と呼びうるほどの巨大なものを秘めている以上、この構想は従来の技術支
援などとは次元が異なるほどの革命的な性格を、必然的にもつことになるはずです。

 つまりそれは、なぜイスラム文明が近代数学(解析学)を作ることに失敗し、近代
文明に乗り遅れたのかに関して数学的な説明を与え、そしてむしろイスラム文明の方
が社会の縮退を防ぐという点で米国社会よりも優れた面をもつことを、数学的に証明
することができるからです。

 そしてそれは、ここ百年ばかりイスラム世界が悩んできた問題、つまり西欧近代科
学を理解できる人間を育成すると、その人物がイスラム社会秩序を破壊する人間にな
りがちだという障害を完全にクリアし、テクノロジーとイスラム秩序を両立させると
いう、これまで不可能と考えられてきたことを可能とすることになります。これが世
界に与えるインパクトの大きさは、文明史規模のものとなるはずですし、そのぐらい
のスケールの大きな視点に立つ構想でないと、もはや事態は収拾できないでしょう。


 しかしながら従来の常識からすると、実はウラマー層の再建ということは、現実に
は即座には受け入れられにくい面がありました。それは以前にもお話したことがある
と思いますけども、イラクの場合、宗教に関しては多数派を占めるのはシーア派で
す。シーア派というのはイランを中心としており、イスラム世界全体から見れば少数
派で、どっちかというと万年野党のプロテスタント勢力、みたいなところがある。
 
 だからそのシーア派のウラマー層を勇気付けて、これがイランと結びつくという事
は、湾岸諸国、他のスンニ派の政権の諸国に革命的風土を持ち込んじゃって、政権を
危うくすることに繋がる。だからイスラム諸国としてもこれが分かっていながら、ウ
ラマー層を強化しようって策は彼らは打ち出すことは出来ないんですよ。それをどう
やって解消するかというと、イスラムと近代技術をどう折り合いをつけて運営するか
ということを、スンニ派のウラマー層でまずできることを示し、湾岸諸国の国内体制
を安定させる見込みが立てばいいわけです。

 イラクという国がうまくまとまらない理由も、それを宗教でまとめるか民族でまと
めるかがどっちつかずであることが大きな原因で、宗教でまとめようとした場合には
南部のシーア派人口が問題になり、一方民族でまとめようとすると、北のクルド人人
口が問題になります。だからどっちでやっても上手くまとまらず、そのためイラクは
3つに分裂する要素をかかえていたわけなんですけども、どっちか一方でやると決め
られれば、3分割はする必要はなくて、2分割でいい訳ですよね。
 
 つまりこの場合、民族主義を捨てて宗教でまとめようというスタンスですから、南
部のシーア派人口層をイラクとは切り離してイランの勢力圏に引き寄せられるに任せ
てしまえば、国内はスンニ派でまとまり、もうクルド人問題ってのは起きてきませ
ん。
 だからさっき言ったみたいに、まずスンニ派のイスラムのウラマー層にテクノウラ
マーを育成する術をつけておけば、シーア派層が元気になってイランに吸収されて
も、イランの力では湾岸諸国全体を脅かす力は無いから、結局傷は一番軽く済む。こ
れが、現在のところ考えられる最良の選択な訳ですよね。

・日本の採るべき道 

 そして このテクノウラマーを育成する国はどこにするかといったら、実はこれは
何度も言ってるように日本しか考えられないわけですよ。彼らにとっては、数学を新
しくベースにするといっても、そのこと自体にキリスト教文明のにおいがついている
のは困る。
 その場合、もし「この新しい数学は非キリスト教文明である日本で誕生したもの
だ」という魅力的なキャッチフレーズがついていて、さらにその先の技術的支援も非
キリスト教文明で高い技術テクノロジーをもってる唯一の国である日本がやってくれ
るとなれば、彼らにとってどれほど受け入れやすいかは容易に想像できます。


一方日本にとってこれを行なうことのメリットは何か。列挙してみましょう。

まず第1は、これによって少なくとも日本がイラク問題に対して無力無策ではなく、
確固たる一つのビジョンと指針を持てるということです。特に、現在のように国際社
会そのものがイラク安定化の策を全て失いつつある情況では、その漂流状態からの脱
却は画期的な意味を持つことになるでしょう。


 第2は、このテクノウラマー構想を行なう際には、その支援を行なう勢力は先進国
とイスラム世界の文字通りの仲介者となるため、軍事的に中立であることが要求され
るということです。
 要するにこの構想の正当性をヨーロッパなどにも認めさせることができた場合、日
本が米国にくっついて軍事的な支援を行なうことが、国際社会にとって利益にならな
いということが国際社会の共通認識となり、派兵を堂々と断われるだけの理由を手に
入れることができるということです。


 第3は、イスラム勢力にこの構想が支持された場合、日本をテロ攻撃の標的にする
ことはイスラム教徒全体の利益に反することになり、それは結果的にテロに対する最
良の防壁となすことができるということです。
 さらに、日本の数学者人口を支えているのが結局は日本の産業社会であることが先
方に理解されたならば、日本の産業を苦しめることもまた利益ではないということに
なり、将来における原油確保の際にも有利に働く可能性があります。


 第4は、これは日本が知的制海権をとるための千載一遇の機会になるということで
す。要するに今までは、日本が知的に何を編み出したところで、それは「欧米の作っ
た概念の改良」という位置付けでしか、国際的な知的世界には記載されないという宿
命の下に置かれていました。
 しかしこの場合は、この数学に「日本生まれ」というタイトルをつけておかなけれ
ば国際社会が困るという構図が生まれるわけで、この数学が将来様々なものの基本に
なると予想されることから考えると、これが知的制海権をとる上でどれほど有利に働
くかは容易に想像できます。
 そして知的制海権をとることこそ、次の時代に日本が生きていくための最も重要な
課題であり、一見見えにくくはありますが、この国の抱える他の如何なる問題に比べ
ても優先順位において第一位を譲るものではありません。


 そして最後、第5に、このテクノウラマー構想は、単にイスラム圏を安定化させる
という消極目的ではなく、むしろ「文明社会の縮退をどうやって防ぐか」という未来
の文明全体が抱える共通問題の解答を、あの社会を通じてみつけるという、より積極
的な意味ももっています。
 つまりそこで成功したシステムは、将来日本をはじめとする西側諸国でも採り入れ
ることが期待されているわけで、一種そこは未来の文明の実験場なのです。現実問
題、この日本の社会秩序の崩壊を再建という作業を日本国内で行うなど不可能と言わ
ざるを得ません。この脆弱な現代社会は実験そのものを行うリスクに耐えられないか
らですが、もしあそこが実験場になってくれて、その設計図が同じ数学を共通語とし
て用いていたならば、先進国国内の社会秩序再建という絶望的難題にも設計図が見つ
かる可能性が出てきます。


 要するに現在の日本に、もしこのことの価値を理解できる政治家がいれば、それだ
けで情況は劇的に変化する可能性があるわけです。そしてもしそれが困難ならば、理
系出身者が、自分たちこそがこの問題の主役たりうるのだということを認識し、この
構想を上に上げていくための努力を少しでも行うことが、現在この国がなしえる最良
のことであると、私は確信しています。