「経済数学の直観的方法 確率・統計編」のあとがきに代えて (2016.11.18)


 前回の「マクロ経済学編」の時もそうでしたが、今回の「確率・統計編」の場合も、とにかく厳しい枚数的な制約の中での慌ただしい作業だったため、序文でも本来なら書くはずの日付けや関係各位への謝意などが抜け落ちていました。(そのためこの場を借りて、ブルーバックス編集長の篠木和久氏、担当の善財康裕氏に感謝の意を表しておきたいと思います。)
 そして「あとがき」を書く余裕なども全くありませんでしたが、今になってようやく落ち着いて、そうしたことを述べる余裕も生まれ、特に今回の「確率・統計編」では、書いている最中で思うところがいくつかあったため、「あとがきに代える」というわけではありませんが、ここでそれらについて少し述べておこうと思います。

 さて今回の「確率・統計編」をお読みになればわかるように、本書では正規分布をメインに用いる、いわゆる「古典統計」の思想的側面を復活させることに大きな力を注いでいます。それというのも筆者が過去に天体力学や微分方程式について学んだり考えたりした時の、懐かしい記憶を思い起こすと、どうも現在の確率統計の世界には、それがとても必要なことのように思えたのです。 
 
 
とにかく確率統計の場合、何か全般的にその「思想」というものが、学ぶ人の頭の中に形成されにくい状況になっている印象があります。
 では天体力学や古典力学の場合はどうだったかというと、この時にはとにかく微分方程式というものの圧倒的な印象が、その形成に決定的な役割を果たしていたように思えます。
 つまり何だかこれを使えば宇宙の全てを紙と鉛筆で解き明かせるのではないか、という期待感があって、それに熱中して頭の中でいろいろで考えるうちに、自然にそうした「思想」が形成されていった、というわけです。
 
ところがしばらくすると、話はそう簡単ではないことがわかってきます。それというのも、紙と鉛筆で解けていたその方程式のほとんどが、実は「線型方程式」という非常に性質の良いものに限られ、そしてそういう性質の良い方程式ではこの宇宙の中のほんの一部の問題しか扱えないからです。
 そして残りの大部分の問題は、もっと厄介な「非線形方程式」で、それらはごく一部の例外的に性質の良いものを除くとほとんど解けず、要するにこの宇宙のほとんどの問題は解けないものであるという、苦い現実を知ることになります。結局そういう残りの問題はもう解くことを諦めて数値計算をするしかない、という状況に陥って、物理全体をコンピューターの手に委ねてしまい、そのあたりから古典物理はロマンの対象ではなくなっていきます。

 確かにそのように「解けない方程式が多い」という話があること自体は、「線型方程式」を解くことに熱中していた時にも、どこかで聞いていたとは思います。しかしその時はそんな雑音は全く耳に入らず、宇宙の問題は大体は解けるのだとひたすら信じ込んでいたのです。
 
しかしそれは決して悪いことではありませんでした。むしろそのように、先に横たわる「非線形」の障壁をしばらくの間は目に入れずに、性質の良い線型方程式の世界で一定の期間を過ごせたことは、後になって考えると、とても大事なことだったように思えるのです。

 
つまりその期間に、先ほどのようにいろいろ思いを巡らして、自分の頭でいろいろと試行錯誤的に訓練を行ったことで、頭の中にしっかりとした物理学の世界観や思想というものが形成されて根を下すことができたからです。
 逆に、あまり早くにその障壁を目にしてしまったら、最初からそういう訓練を積むだけの熱意が生まれず、頭の中に十分な思想やビジョンが形成されることが難しかったかもしれません。

 ではそれが確率統計とどういう関係があるのかというと、実は私にはガウスの古典統計というものが、何かこの天体力学の時の、紙と鉛筆で解ける「線型微分方程式」の立場に似ているような気がするのです。
 
ところが一般に確率統計の場合には、天体力学の時と違って、このガウスのツールに「紙と鉛筆で宇宙の謎の一端を垣間見せてくれる万能の素晴らしいものだ」という強い印象を抱くことができる幸福な期間が、非常に短いか、あるいは全く得られないことが多いのではないでしょうか。
 
そしてそれを学ぼうとする時には、しばしばいきなり最新のトピックスに接して、そこでは「古典統計はもう古い」というネガティブなコメントに接することが多く、私にはそれが気になりました。つまりこれはちょうど天体力学(古典力学)を学ぼうとし始めている矢先に「(線型)微分方程式なんて現実の宇宙の問題では使い物にならない」と言われてしまっているようなものではないかと思ったのです。
 確かにそれは本当のことではありますが、そのようにあまりに早くその話だけを先に聞かされてしまうと、先ほど述べたように思想的な部分が育ちにくくなり、それは確率統計の場合も同じだと思われます。そうした意識があったため、今回の本ではとにかく古典統計の思想の復権を最優先して、その障害になるような最近のトピックス的知識は思い切って省くスタンスをとりました。実際その方が(マクロ経済学編でも述べたように)、読者にこの難しい話を「呑んでかかれるようにする」ためには有効で、この本のもともとの目的にも忠実であると思います。

 そして確率統計の世界でそういう思想の形成を困難にしているもう一つの原因が、言うまでもなく多くの場合に、基本的な標準偏差あたりの段階で、直観的な理解ができなくなっていると見られることです。
 ここで思い出されるのが「物理数学の直観的方法」の時のことで、その際には大勢の優秀な人が実はベクトルのrotを十分理解していなかったという意外な事実が判明しましたが、今回の場合もあるいはそれに似ているかもしれません。
 つまり優秀な研究者でも意外にそこが障害となって、基礎がぐらついている状態で先端的なツールを扱っている場合が多いのではないかというわけです。
 そして「物理数学・・・」の時には、偉い先生ほど正直にそれを告白していただけることが多く、むしろこちらの方がその理系世界の知的誠実さに感銘を受けたものです。それ以後同書のrotの解説法はスタンダードとして多くの本に採用されるようになりましたが、あるいは本書の場合もそういうことになるかもしれず、こちらとしても一体どうなるか興味をもって注視しています。
 
 それはともかく、ここで先ほどの話をもう一度整理しておくと、先ほど述べたように古典力学の微分方程式の場合、それらは厄介さに応じて3つのレベルがあり、それは

1・紙と鉛筆で解ける線型方程式
2・例外的に性質の良い非線形方程式
3・残りのほとんどの解けない問題

で、1から3に向かって混沌の度合いが上がっていきます。

 一方これを確率統計の世界に対応させると、ガウスの正規分布による古典統計はちょうど上の「1」の線型方程式に相当するものだ、というのが筆者の見解です。そしてこういう場合、大事な思想はほとんどが「1」の世界観の中で形成されるのが普通で、「2」から先の知識は知らなくても基本思想の形成にほとんど影響しません。実際に力学の場合も「2」の非線形微分方程式に関する知識は、理系でも一般常識としては大して要求されないのが現実です。(なお注意しておくと、これを微分方程式の話に対応させたのは、単なる一種の例え話に過ぎず、上級編に出てくる「確率微分方程式」とは全く無関係の別の話です。)
 確率統計の場合も同様で、「2」や「3」のレベルの知識は、思想形成という観点からする限り、あくまでも「1」で得られた基本思想を修正するという程度の意義に留まります。というよりこの「2」から先については、議論を始めると結構大きな話になってしまい、「3」まで行けばそれこそ「統計というメソッドが本当はどこまで有効なのか」という大変なテーマにまで発展しかねないものです。

 そしてこの「2」と「3」のレベルの話題を論じるには、方法論として「物理数学の直観的方法」の末尾で論じていた「作用マトリックス」というツールと、それを非線形問題に拡張する際に用いる「スイッチ演算子」のメソッドを使うのが、筆者には恐らく将来的に最も有望なものとなるように思われます。しかしこれを述べるには相当のページ数を要するので、無論今回の本では扱っていません。
 
また、中心極限定理などの話も、「2」や「3」のレベルになると少し違った側面を見せてきます。つまり本では、分布をたくさん集めるとそれらのバイアス部分が+と−で次第に打ち消し合って正規分布が現れる、と述べていましたが、そのバイアス部分に非線形の部分が大規模に組み込まれている場合(ベキ分布などがそうです)、単純な和ではバイアス部分が消えてくれないことがあります。
 その議論は、先ほどのレベル区分では「2」に相当することになりますが、この話もその「スイッチ演算子」というツールを用いると、どういう場合にどういう経緯でそこからの逸脱が起こるのかの全体像を、「1」から「3」までのレベルを包括的に視野に収める形で、直観的に把握することができると考えられます。

 しかしこれは話題そのもののレベルが上級編のさらに上にあり、説明にも相当のページ数を要するため、本の中で扱うのはやはり不可能です。かといって、下手にそのことを説明なしで本で唐突に一言述べてしまうと、正規分布の思想がどこまで有効なのかについて、読者の頭の中で迷いが生じ、結果的に大事な思想の形成に水を差してしまう恐れなしとは言えません。
 そのため本では中途半端な形で議論することを最初からやめて、とにかく「1」のレベルの正規分布の範囲内で、話を一旦完結させてしまう方針をとっています。これは読者にとっても基本的に望ましいはずで、特に読者がこの話に最初に接する際には、そのようにまず話を「1」のレベルだけで行って、とりあえずそのビジョンを頭に入れてしまい、それが十分に根を下してから、その後で新しいツールを使った根本的な議論によって、次の「2」や「3」のレベルも含めた話へと駒を進める、というスタンスで行くのが、結果的に最も効率よく習得ができるのではないかと思います。

 ただブラック・ショールズ理論に関する最新のトピックスでは、時折この非線形の話題が顔を出して、それを使った新しい投資メソッドでこれを改良しよう、などという話を耳にすることがあります。しかしこの場合も基礎があやふやな状態でいきなりそれを聞くと、やはり先ほどのような障害が起こる恐れなしとしません。
 
そのためその話題について一言述べておくべきか、それとも本来の思想形成に水を差すような邪魔な情報は最初から入れないでおくかは、判断が分かれるところですが、本書では読者を信頼して、あえてそれについてもカットする方針をとりました。
 それゆえこれについて専門的な知識をお持ちの方の場合、それへの言及が不十分ではないかと思われたかもしれませんが、ただ本書の場合、それこそ最初の標準偏差あたりで躓いている人と、最先端の知識をもっている人との両方を満足させるという、ほとんど不可能に近い課題を要求されてしまっており、その点はご了承ください。

 しかし、いずれ将来、その「作用マトリックス」を使った形で、「1」から「3」のレベル全体を視野に入れた根本的な議論もやってみたいと思っていますので、そういう方はその機会までお待ちいただければと思っています。