※2003年4月27日例会における講義を編集したものです。
この部分のテーマは、「社会の縮退を止めようとするとき、その力を一体社会のど
こからどうやってひねり出すか」という重要な問題について、その解答の鍵となる部
分をずばり示すということです。
我々がコラプサーの危機に瀕している、その時に何をすべきかということになった
時には、結局縮退というものをどうやって防ぐかということの、何か切り札を見つけ
ないといけないわけですよね。ところがこの間も話しましたけれども、純粋に経済の
メカニズムとして見た時には、縮退すれば金が儲かる。あるシステムを壊して縮退さ
せた時に金が儲かるということがあるわけですよね。
例えば家族というものが崩壊すると、それぞれを代行するビジネスが育ってくる。
レトルト食品の市場が増えるし、ヘルパーの仕事が増えるし、縮退したおかげで経済
的には需要そのものが増すわけですよね。ところが全体の文明としては以前よりも明
らかに悪い状態になっているはずで、本当は文明全体としては貧乏になってるはずな
んですけれども、経済的に縮退すればするほど、額面上は富んでいるということに
なってしまうわけです。
純粋な経済のメカニズムからすれば利益を極大にする方向に動くわけですから、純
粋に経済のメカニズムの中には、縮退を止めるメカニズムは存在していない訳ですよ
ね。そうなると止める方法はない、ということになってしまうんですけども、それで
必死に考えた結果、無いのかと思ったんですけれども実は一つ、ちゃんとした力があ
る。それはやはり碁石理論がそうなんだという事が、わたしの今の時点で出ている最
大の結論なんです。
というのはどういうことかというと、縮退している社会というのは、呼吸口の数が
少ない社会なんですよ。だから人間が社会を動かそうとする力が、利益を極大化しよ
うとする力ではなくて、碁石の呼吸口を極大化する力である、ということを考えた場
合に、実は人間の願望としては、縮退を止める方向に社会を動かしたい思う力は必ず
働いているはずなんですよね。
縮退している社会というのは、人間が全て平等を求めている状態なわけですから、
共同体というもの、共同体の上下関係が全部崩壊している状態というのが、まあ、縮
退してる状態な訳ですよね。
だから縮退状態というのは基本的に、トックヴィルも言ってますけれども、平等な
人間が非常に孤立した状態というのが、トックヴィルの言う縮退状態にあるというこ
とです。
縮退してしまっている社会の精神状態というのは、碁石理論を用いて表現すると、
大体次のようになると言えます。
まあとにかく人間がみんな、共同体の中で上下関係を作ったりとかいうことを嫌う
ものですから、人間全体が平等な立場に立ちたがる。それで他者との密接な関係を作
りたがらない状態ですよ。つまり個人で完結した社会、個人で完結しているという状
態が、コラプサー状態で一番望ましいという訳ですから、他人に依存しない、ある意
味一人一人非常に自立した存在で、まあ、ここ(自分だけの呼吸口)に自分のビジネ
スとかそういうものの可能性を見ていたり、という状態ですよね。
(写真1)
この状態における個々人は本当に孤立してますから、呼吸口の共有はされてない。
だから呼吸口はこれ全体で一人あたり一個ですから、社会全体では、一人一個が3人
で、3個です。
一方において、コラプサーじゃない、縮退度が非常に低い社会の場合はどうかとい
うと、とにかく割と上下関係も含めて、人間関係の相互依存度が非常に緊密な社会で
すよね。
(写真2)
まあこれで、外側の呼吸口は同じくらい、3個くらいだとしましても、回り全部が
塞がれていたとしても呼吸口は共有されてますから外に呼吸口が全部なかったとして
も、この人が3個呼吸できて、この人も3個できて、この人も3個できる。だからこ
れ全体で9個ですよね。こっちの方が、実は人間の呼吸口の数は多くなってるという
ことですよね。
つまり人間の呼吸口の数だけで豊かさを判断する限りにおいては、こっち(写真
2)の上下関係もあるし、社会的に非常に緊密に依存してる関係の方が、呼吸口の数
は多いということになるわけです。これは作用マトリックスで書いてみると分かると
おり、こっち(写真1)というのは、基本的に相互作用が少なく、対角線上の3つの
小行列が孤立した形で存在している状態で、これは縮退度が高い状態です。
そして一方、こっちの方(写真2)は、全部がかなり緊密にループを作って、利益
と相互関係を依存している状態ですから縮退度は非常に低い訳ですよ。縮退度が低い
状態から高い状態になるに従って、呼吸口の数が減ってしまうという現象が明らかに
ある訳です。だからこの現象を使う限り実は、縮退力を止めるためのプログラムは作
れない訳ではないということなんですよね。
問題は今は、これを組織化する方法がないということなんです。つまり、縮退度が
進んでしまったことでどれだけ呼吸口が減ってしまったか、という事が数字になって
いないということがやはり最大の問題なわけですよ。
逆に言えば、経済的なシステムとしては、縮退力をどんどんかけて来ますけれど
も、でももう一方の、呼吸口の数を減らさないためにはどうすればいいかということ
の戦略なりプログラムというものがあれば、人間にどっちを取るかと問うた時に、実
は縮退度が低い方に人間を動かそうとする力というのはまだ働く余地はあるわけです
よね。
だから考えてみると今イスラム圏などで、豊かになるよりもイスラムの社会秩序を
維持した方が俺たちはいいんだ、と言って行動する人というのは実はこちらの方の
力、この呼吸口の数の多さを、むしろ自分でこっちを選択して、縮退度の高い選択を
しないという、そういう力は現実に社会的にやっぱり働いてるわけなんで、それは必
ずしも彼らが愚かだとかそういうことではない訳ですよ。
ですから我々としてはこの呼吸口を多くするためには、縮退度の低い社会を維持し
なければならないという事です。この原理をやっぱり前面に押し立てていくというの
がコラプサーから文明社会全体を脱却させるための一番大きい切り札になる、と言え
るんですよね。
これからはやはり経済そのものも、単に青石の数を競う経済ではなくて、呼吸口の
数を増やしていくという方向に持っていかないと、たぶん駄目であろうと言えます。
逆にいえば、社会が縮退して行ったら何がいけないのかと、家族が崩壊しても需要
と供給が釣り合ってるから別にいいじゃないかと言う問いに対しては、「いや実はそ
れをやると、一番大事な呼吸口の数そのものが一般的に言って減少してしまうから、
いけないんだ。」と、そういう説明の理屈も成り立つわけですよね。縮退がなぜいけ
ないのかと問われたら、結果的に人間が非常に貧しくなってしまうからだと、金銭的
にだけは儲かっているんだけれども、人間が本質的に欲しがってるもの、呼吸口の
数と言う意味では、非常に、半分くらいに、貧しくなってしまう。そういう理屈を
もってそれに対抗していくしかない、と思うんです。
つまり結論としてはこういうことになります。それはまず、碁石理論による呼吸口の
減少と社会の縮退には比例に似た相関関係があるということです。そのため逆に言え
ば、呼吸口を増やそうとする本能的な社会的要求の力を、縮退阻止の力としてほぼそ
のまま用いうることになり、またその力以外に十分な強度をもつ力は、社会内部には
事実上存在していないと言えます。
しかしその復元力は、きちんと数値化されて組織化されない限り十分な社会的な力
とすることはできず、その数値化をどうやって行なうかが次の難題です。ですがもし
呼吸口数が縮退度にほぼ反比例するというなら、いっそこのさいそのことを使って逆
にそれを定義してしまう、つまり本来社会の縮退度は作用マトリックスで定義できま
すから、それをベースに呼吸口数を数値化するということも可能になってくるわけで
す。
つまりこの両者の相関関係をうまく使っていくことが、結局はこの途方もない難題
に対する解答の最大の鍵になっていくだろうというのが、この部分の結論です。