世界のコラプサー化について

※2003年4月27日例会における講義を編集したものです。

今日は数学関係の話はそれほどしないで、コラプサーの問題について我々がどう対処
するかということについて整理の形でやっておきましょうか、というのが今日の議題
です。

 われわれは昔からトックヴィルを非常に重要な参考書として挙げていることから分
かるように、世界全体がコラプサー化してしまうことが、一番大きい未来の脅威では
ないかと、ずーっとそう考えてやってきたわけなんですけれども、とにかく今回のイ
ラク戦争で、はじめて世界はひとつ知った、それはアメリカの力を止められる勢力が
地上から消滅してしまっていると言うことで、その衝撃度というのはものすごいもの
だったと思うんですよね。
 わたしも正直言って、バグダッドが陥落した日の夜はちょっと恐ろしくて眠れなく
なりました。これは全体から見ると、逆にそれでアメリカに対する対抗勢力がそれで
育つから、世界の結末がどっちへ行くかはわからないけれども、でもひょっとしたら
これは、世界が完全なコラプサー化で終わってしまうという結末も我々は考えるべき
じゃないかと、それを考え始めたら眠れなくなってしまったたということがありまし
てね。
 
 今まで世界が本当にコラプサー化する、つまりアメリカの力に対抗する勢力がひと
つもなくなくなってしまった時に何が起こるかということは、あまり真剣に想像した
ことがなかった訳なんですけれども、これでやっぱり、それが現実のものになると考
えると非常に恐ろしい話だな、と思ったわけですよね。

 まず、そもそも世界がアメリカの帝国で完全に治まってしまって、イスラム勢力が
それに対抗する勢力とはとうとうなりえなかった、抵抗勢力としてのイスラム文明と
いうものが消滅してしまった時に一体何が起こるか。ということを考えると、まず一
つ考えられるのは、この帝国が恒久的に存続してしまうだろう、というその可能性な
んですよね。

 つまり、世界全体がグローバル化して、国境線の中に立てこもって何かをやること
が、不可能になってしまう訳ですから、そうなってくるとこの枠組みそのものは維持
されたまま、国境線の意味がなくなるという世界が続くであろうと。そうなるとやっ
ぱりアメリカとしては、一番優秀な人材、どこの国に生まれてもいいから一番優秀な
人材を一本釣りして、アメリカの力にしていく、取り込んでいくということになるわ
けですから、どこかで新しい、いい人材が育って行ったとしてもそれは全部アメリカ
に釣られて、アメリカの勢力の一翼をなしてしまうということになります。

 まあ今、日本で小さい形で起こってますけれども、いい人材がいるとみんなマスコ
ミが一本釣りして、コマーシャルとかに出倒して、3ヶ月で飽きて、どんなにいいネ
タでも3年ですべて使い捨て、という世界になってますよね。やっぱりトックヴィル
が一番恐れていたのはそのことで、もしそういう一種の帝国が出現したならば、我々
の世界からは長い骨太の歴史というものが消えて、非常に小さな事件しか起こらなく
なる。歴史的事件というものがなくなってしまって、全部小さな、ローカルな事件し
か起こらなくなる。ローカルな事件の中での小さな小競り合いにすべての力を消耗し
てしまって、一切が動かなくなってしまうんじゃないか、それが現実になるのが非常
に近づいているというのが、恐怖なわけですよね。

 この帝国がそのまま存続してしまうことは、そのまま歴史がなくなってしまう、と
いうことな訳じゃないですか。
 我々は、まあそんなことがあっても、今の帝国が国際情勢で止まったとしても、ま
あ人類はいずれ宇宙へ出て行くだろうしと、割とそう甘い考えをもってますけれど
も、果たしてこれが本当に、人類が宇宙へ出て行くかと思った時に、出て行かないと
考えたほうがいいんじゃないでしょうか。

 というのは宇宙空間というのは南極よりも苛酷といえば苛酷ですよね。そして金も
かかるわけでしょう。トックヴィル的な終末が訪れた時には、人間はとにかく楽し
て、なるだけいいものを得たい、とにかく楽したいというその衝動がすごく大きい要
因として出て来てしまう。それから組織の中に入るよりも平等のほうを望む。人の命
令は聞きたくない。命令聞くのが嫌で、努力するのが嫌で、それで、飽きっぽい。そ
して、飽きたらすぐに次のところへ行きたいというのが、トックヴィル的な終末的な
人間なんですよね。こういう人間が宇宙空間へ出て行くかといえば、それはやっぱり
あり得ないと思うんですよ。宇宙観光、月観光まではあり得ると思うんです。でもそ
の人が月に住むかといったら、それはないと思うんですよね。宇宙観光で、月にあこ
がれていった人というのは、多分月に行ったら一週間で飽きちゃって、もう地球に帰
りたい、地球のもっと刺激のある生活が欲しいと言って帰ってきちゃうと思うんです
よ。

 そうなってくると、一旦そのトックヴィル的な世界が起こってしまうと、宇宙空間
への進出も多分なくなるだろうと考えられます。我々は大航海時代というものが実は
宗教的情熱と、一体化してたということを思い出すべきなんですよね。住みやすいフ
ランスとかスペインとかそういうところを離れて、わざわざ遠隔地まで言ったという
のは、あそこに宗教的情熱を広めたいというそれがまず第一の要因としてあったから
な訳であって、それがない場合は定住しないで帰って来ちゃうんですよ。獲るだけの
もの獲って。

 そうするとやはり、宇宙空間へ広がっていくからこの帝国がそこで発展的解消され
るということは、あり得ないという訳ですよね。だとすれば、歴史というのはもう完
全にこの帝国が出現した状態で、国境線を作った枠組みのまま止まってしまうという
可能性が一番大きいわけです。つまり将来において、もはや中からも外からも新しい
挑戦者は二度と現われて来ないわけで、これは事実上滅びることのない最後の帝国だ
ということになります。そしてそれが、何千年後か何万年後かに巨大な隕石が地球に
衝突するかして人類文明を粉砕する日まで続くというわけです

 そして国境線がそのままということは歴史の物語が、将来、未来から消滅するとい
うことですから、そういう事態が起きた時に果たして人間社会に何が起こるかといえ
ばそれは、長期的なことを一切やらないという傾向が起こってくるんじゃないでしょ
うか。

 というのはさっき今言ったみたいに、トックヴィル的な末期的症状というのはとに
かく楽をして快感を得たいというのが、最大の要因なわけですから、そうなると我々
が例えばこうやって勉強したりとかするのも結局、未来の歴史に参加したい、歴史に
参加したいということがやはり一番精神的要因として強いわけですよね。でもその歴
史というものがもう消滅してしまって小さな事件しか起こらなくなるとなると、メ
ディアなんかで3月(みつき)で全て使い捨てにして、うまいサーフィンみたいにど
んどん渡り歩いて行く人間の方が、絶対そうやって生きたほうが得じゃないかという
状況になってくると、誰も本気で勉強して何か物を作り出そうということをしなくな
る可能性は強いわけですよね。

 そうなってくると、刹那的な暮らしをして何がいけないのかという理屈そのもの
が、根底から崩れていくわけですよ。結局苦労したって得るものってのはどうせ何も
ないんだから、一かばちかで、サーフィンやってうまく暮らせる人もそれなりに何割
かは居るわけじゃないですか。全部をうまく見限っていくことに成功した人というの
は、保身には成功する訳だから、それが一番得ということになって来るわけですよ
ね。

 刹那的な生活をして何がいけないのかということの論拠が、全て失われてしまう訳
ですから、人間社会の秩序そのものを保つ術というものがなくなってしまうというこ
とになる。歴史がなくなるということはそこまで恐ろしい事態を想像すべきではない
かと思うんです。

 世の中の人には、歴史なんてものがなくなったとしても、まあ、適当にスポーツと
かそういうもので、気を紛らわしてればいいじゃんと、スポーツの勝ち負けが全てだ
と、そういう幸せなおじさんになればいいじゃないかと、言うかもしれないんですけ
れども、これもちょっと甘いんじゃないかと私は思うんです。

 というのは、そもそも歴史というのは何かというと、人間の、利権とか、欲望と
か、暴力性とか、そういう醜いものを一切合財を飲み込んで、それをしも克服しよう
という人間の精神の営み、それが歴史だと思うんですよね。そしてスポーツ(選手)
というのは、逆に言えば、歴史が汚い部分を全部吸収してくれたその後の真空状態
に、温室として作った人工的なヒーロー、じゃないですか。だから逆にいえば歴史が
そういうものを全部、吸収してくれたればこそ、クリーンなヒーローってものが存在
しうるわけですよ。ところが歴史がそれを吸収できないとなれば、それはそのスポー
ツの温室の中に逆流して来てしまう訳ですよね。

 その片鱗が見えたのが最近のダーティーオリンピックで、オリンピックっていうの
はその歴史が担っていた部分、汚い部分というのを一部はやっぱり、吸収しちゃって
るわけですよ。国家の威信とか、商業主義とか、そういうものが一部をそこになだれ
込んで来てしまっている訳ですから、そうなってくるとスポーツ選手といえどもきれ
いな存在ではいられなくなってしまうということです。
 最近のそのオリンピックのしらけぶりなんかを見てると、もう歴史が消えてしまっ
た時には、スポーツもそこまで、つまらないものになってしまうんじゃないかと思う
んです。
 これに限らず、とにかく歴史という、リセットに最低百年はかかる巨大な存在を、
一年ごとにリセットさせる小さな世界に突っ込んで代行させるのが、最初からどだい
無理な話であることは、よく考えれば当たり前のことでしょう。

 そのように、未来の歴史に参加する、ということができなくなると、参加すべき
共同体というものが実は全て失われてしまうわけですよね。まあタレントにしたって
三月(みつき)で全部入れ替わりになっちゃうだろうし、もう永続的に参加できるも
のが一切なくなる。

 そうなると人類文明はどこに最終的にその逃げ道を見出すかというと、やはりかつ
ての中国の例を考えると、結局あれはアヘンに沈みこんだわけですよ。この先考えら
れるのは一種の麻薬、ないし麻薬と同じような効果をもった何か、ですよね。それが
テクノロジーを通じて何か生まれてきた時に、そこに皆沈み込んでいくと思うんで
す。もちろんアヘンみたいに、飲むと破滅するということを前もって分かっている訳
じゃなくて、肉体的には健康性を保てるけれども、精神的には何かに耐える力という
ものを全て無くして、全ての情熱を弛緩させた状態の、まあ一種の昏睡状態ですよ
ね。昏睡状態だけれどもそれなりに飲んでる間は楽、というような麻薬ないしメディ
アの、機械と組み合わせた何か。そういうものが登場した時に、それを止める手段
を、あるいはその流布、流入を止める手段はもう文明は持ってないと思うんですよ。

 そしてそれがいけないということが分かったとしても、そこから人間を脱却させる
力が残ってるかと言ったら、それはもう残ってないと思うんですよね。

 また宗教というものは、一旦伝統と完全に切り離されちゃった時には、新興宗教と
いうのはそんなに簡単に作れるものじゃないんですよ。良い宗教というものがそれな
りに、人に対する吸引効果を持つようになった時には、続いてやっぱり金が全部そこ
になだれ込んでくるわけですよね。そうすると必ず教祖が腐敗してしまうと。オウム
真理教なんてのも結局そういうことでしょう。金というか力というか、それがブ
ワーっとなだれ込んだ来たおかげで、まあ麻原彰晃はもともとそういう変な人間でし
たけれども、その周りに集まってきた幹部たちも全部それに汚染されてしまった。

 だから宗教は、その麻薬に対する対抗物として出てくるはずであるけれどもそれは
健全宗教ではなくて、オウム真理教みたいな不健全宗教が現れては消え現れては消
え、という状況をどんどん繰り返していく。そういう不健全宗教とそのアヘンみたい
な麻薬が跋扈する世界で、人間がじゃあそこから抜け出すべき力がどこにあるかと
言ったら、実はそれは多分無いであろうと思うんです。

 そうなった状態でも核兵器とコンピューターとテレビは、多分温存されてるはずな
んですよね。ということはやはり軍事力によってそれを抑えることはできない。コン
ピューターと金の力が全部のパワーを集めちゃってますから、何か新しい力を作って
いくということも、経済的には不可能である。だから結局縮退状態が完全に永久に続
いてしまうという、そういう恐ろしい状態が生まれてしまう可能性が非常に高いと思
うんです。

 我々は核兵器というものが世界に登場した数十年前には、人類そのものが物質的に
滅びてしまうということが、核兵器のもたらす最大の害だと思っていたんですけれど
も、1999年のノストラダムスの予言が外れたおかげで、もうそんな核兵器なんか大し
て怖いもんじゃないんだと皆思ったと思うんです。
 でもそれは実は、ある意味で核兵器は恐ろしいものだったということが言えるので
はないでしょうか。つまり物質的な部分を全く破壊することなく、精神的な部分を滅
亡に追い込んでしまうという、そういう危険をもともと持っていたのではないか。そ
れが実は核兵器のもっている恐ろしい力だったんであって、核兵器が恐ろしいってい
うこと自体は本当は、その予測そのものは外れてなかったんじゃないかということで
すよね。
 核兵器とコンピューターとテレビというこの3者、この3つを作っちゃったという
ことは実は、昔我々が核兵器ってものの物質的な破壊能力に対して持っていたのと同
じぐらいの恐怖を、「文明の脳死」あるいは「歴史の安楽死」という、想像とは少し
違う形で我々の上にもたらしつつあるのではないかということを最近は考えてるわけ
ですよね。

現在の先進国に住むわれわれは、宗教的民族ではない、つまり来世があるから現世は
どうでもいいや、という生き方はもうできません。つまり当面どうしても精神的には
現世を生きなければならないわけで、その最大の大黒柱はやっぱり歴史だったんで
す。そしてそれがなくなることの本当の怖さは、まだ十分には理解されていないと思
うんです。

 イラク戦争の時にとにかく、アメリカを止められるパワーが存在しないということ
を、初めて世界は知った訳です。でもこれはまだ軍事面オンリーであって、経済とか
そこら辺に関してはまだかろうじて残ってるとは言えます。けれども今のところやは
りハリウッド映画に対抗するだけのパワーは育つ見込みはないですし、結局アメリカ
的パワーの進展がどんどん進んでいて、縮退度はあがっているとは言えるでしょう
ね。縮退すれば必ずアメリカ的なパワーは勝つようにできてますから。縮退というも
のは街を見ても、まあ商店街ってのはどんどんつぶれてますしディズニーランドだけ
が儲けるという構造も続いていますし、結局縮退そのものはどんどん続いてるという
ことです。

 だから縮退した先のコラプサーというものに対しては、依然食い止める力は十分
育っていないわけですよね。そしてそれに対抗する力はどんどん滅びつつあるという
のが現状です。だからまあ私の予想としては、多分、大体あと20年が、人類文明が
そこから抜け出す力を温存できる限度だと思うんですよ。逆にいえばそのあと20年
以内に何とかすることで、この文明そのものが生きるか死ぬかが決まる、極端に言え
ばそのぐらいに思っていていいんじゃないでしょうか。

 これは考えれば考えるほど背筋の寒くなることで、われわれは生きているうちに文
明の脳死と歴史の安楽死を目撃することになるのかもしれません。そして本当にそれ
が訪れるとしたならば、われわれが未来に何かを残そうにも、送り先の相手がもはや
未来をもっていないのです。
 そうなってくると、未来に何かを残すことの意味はおろか、われわれ自身の過去の
意味すら怪しくなってくるわけで、他成らぬわれわれ自身が絶対的虚無のうちに人生
を終える、という可能性すら現実に存在していると覚悟すべきでしょう。

 ではそういう戦慄すべき事態を避ける道は何かというと、まず核兵器による国境の
固着化ということ自体は、もう既成事実として受け入れる他はありません。何しろ第
二次大戦の昔に戻るわけにはいきませんから。
 そのかわり、もう軍事力の実体世界に見切りをつけて、虚と実を交代させる形で世
界史の主流を無形パワーの側にまるごと引っ越させ、そちらで勢力均衡世界を防衛存
続させた上でそれを実体世界よりも優位に立たせることです。無論そこでは縮退とコ
ラプサー化が最大の悪という価値観でストーリーが構成されねばなりません。
 そして皆がそのストーリーに参加する形で、縮退とコラプサーを防ぐ方法の確立に
全力を上げるというわけです。いずれにせよ、あと20年です。